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青石太郎という存在

昨日5月7日は、映像作家・青石太郎の作品上映会に行って、『Lilypop』と『時空は愛の跡』を鑑賞。多摩市の映画カフェ「キノコヤ」という場所だった。

太郎は高校の同級生で、1年生のときにクラスが一緒だった。俺が高校時代に一番影響を受けた友達の1人だ。映画や音楽、服などの粋(いき)について色々と教えてもらったり、ブレずに突き詰めることを教えてくれた友達で、ずっと尊敬している。

高校卒業後、彼は武蔵野美術大学映像学科に進学して映画を撮り始め、卒業作品の『Please Please Me』(2012)が第34回PFFぴあフィルムアワードで日本ペンクラブ賞を受賞。その後、毎年のようにインディペンデントな長編作品を撮り続けている。

本人曰く、「売り込んでいる時間があるなら次の作品が撮りたい」「死んだあとにレトロスペクティブをやってくれれば」というスタンスらしく、劇場公開されたことはなく、商業的なプラットフォームにはほとんど載っていない。唯一載っているのは上に書いた受賞作の『Please Please Me』で、これはU-NEXTで視聴可能だ。

映像批評文ではないし、走り書き程度のメモなのでここで大層な分析はできないが、太郎の作品に宿る透徹した目線や人間関係の繊細さへの瞬間的閃きにはいつも驚かされてきた。最近なかなか会う機会がなかったけど、今回まだ観ていない2作品をスクリーンに上映するということだったので、行ってきた。

作品についての筋書きや概要は割愛。『Lilypop』(2021)は、迷いながら撮った様子が画面から感じられて、太郎の最近の関心や試しているやり方を知るにはよかった。でも、個人的には『時空は愛の跡』(2018)がめちゃくちゃ良かったので、そっちについての言葉がどうしても多くなってしまう。

『時空は愛の跡』は、完成したあとすぐに太郎がリンクを送ってくれて、当時俺はイギリスに住んでいたけど、ずっと観れていなかった。研究であまりに忙しすぎたのと、この作品の性質上、パソコン画面で観るより大画面スクリーンで観たいという理由があった。

ただ、完成の知らせを聞いた当時から、良い作品に間違いないという確信はあった。まず、タイトルがとてもいい。ちょうどよく意味がわからない。SFっぽさもあり、サイケデリックな感じもあり反抗的だ。友達グループを集めて5日間一緒に寝泊まりし、ドキュメンタリー的にも撮る、そして脚本も演じる、あとでそれらを並列させて境界を曖昧にさせていく、というコンセプトも面白く、潔くて良い。

何より、この作品が奇跡的なのは、集まったグループの個々人自体の魅力だ。1人を除いて俺も知っている人たちだけど、彼らは今それぞれの道で活躍し始めている。屈託がなく、キャラをしっかり持っていて、とにかく良い奴ら。彼らがあの時期、太郎とともに過ごした5日間、この時間にしか絶対に生まれない瞬間的な関係性が克明に写し取られていて、人間の機微を観察するということの繊細な作業が刻まれている。コンセプチュアル・アートとしても、ドキュメントとしても、映画としても面白い。

太郎は売り込むことにあまり関心がなさそうだけど、俺はぜひこの作品がもう少し多くの人に届いてほしい。そして青石太郎という存在が、淡々とかけがえのない作品を作り続けていることを知ってほしい。表現には色々な道がある。太郎が持つ強力な軸の強さや、ウィットやエレガンスに俺はいつも憧れてきたし、学んできた。これからも、お互い頑張り続けたい。

実は、青石太郎上映会は今月あと2回あって、俺が観た『Lilypop』(2021)と『時空は愛の跡』(2018)どちらも上映される。5月13日と14日、場所も同じで映画カフェ「キノコヤ」。個人的には『時空は愛の跡』が本当におすすめ。映画館に行っても観れない良作だ。

予約を下のリンクからするのを忘れずに!
https://kinokoya.peatix.com/


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