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遠くて近い国、ブラジル

ブラジルはサンパウロに来て、はや2日が経つ。

ポーラ美術振興財団による「若手芸術家の在外研修助成」に申請する際に、行き先としてブラジルを選んだのはすでに約1年半前。申請するからには絶対に実現させたかったので、必死に計画書を書いた。その甲斐あってか、無事に選考に通ったものの、その後様々な事情によりすぐに出発することができずにいた。しかし、失効期限ギリギリの今月、何とか帳尻を合わせて飛行機に飛び乗ることができた。

しばらく寝かせていたnoteでは書き記していないが、ブラジルへの出発3日前にパレスチナ人映像作家によるドキュメンタリー映画『壊された5つのカメラ パレスチナ・ビリンの叫び』の自主上映会を都内で開催した。

noteを再び活性化させようと思っているので、近いうちにこの上映会についても文章を綴るだろう。ただ、今回のトピックはブラジルである。一つだけ言えるのは、地獄と化している現在のガザの状況を前にして、自分の責任においてこのような上映会を開催するのは、思っていた以上に負荷が高かったということだ。結果、サンパウロに着いてからの数日間、あまり動かずにまずは体調を整えることを重視している。

この機会に、なぜそもそも自分はブラジルに来ることを望んだのか、もう一度振り返ってみたい。

街のそこかしこにあるピシャソン(ブラジル特有のタギング)。

派遣先として今まで一度も行ったことがないブラジルを選んだのは、端的に言えば直感によってだった。もちろん、ポーラ美術振興財団に提出した書類には、真面目に動機や計画について書いた。しかし、その手前の段階で「ブラジルに行く!」と自分の心の声が聞こえたとき、自分の選択が正しいという確信はあったものの、同時にその根拠は曖昧で断片的だった。

まず大前提として、サッカー少年だった俺の心には、常にブラジルがあった。今の少年少女たちが目を向けるのはまずヨーロッパなのかもしれないが、日本という国がサッカーを最も深く学んだのはブラジルからである(もちろんドイツなどの影響も強いが)。90年代はブラジル帰りの三浦知良が日本代表で活躍し、『キャプテン翼』の大空翼は夢の舞台であるサンパウロでプレーしていた。そして、Jリーグは途轍もない個人技を持つブラジル人選手たちで溢れていた。その流れが変わったのは、中田英寿がイタリア・セリエAに移籍した1998年。俺は当時9歳で、サッカーを始めて間もない頃だった。

それまでは、哲学をフランスで学ぶように、ビジネスをアメリカで学ぶように、サッカーをブラジルで学ぶことが、長い間「本物」だと見做されていたように思う。俺にとってブラジルとは、幼少期以来の深層心理において、憧れの地であると同時に、絶対に越えられない壁を意味してもいた。

若手芸術家として滞在しているのに、いきなりサッカーの話を長々とするのはなぜ?と思う人もいるだろう。だが、サッカーという「文化」を通して、幼少期から俺はブラジルの「社会」について、知らず知らずのうちに学び、想像力を掻き立てられていたのだ。ブラジル社会を作ってきた奴隷制や移民の歴史も、そこに巣食う貧富の差や長く続いた軍事政権による圧政についても、10歳そこそこの時点でそれなりの知識を持っていたと思う。

とはいえ、サッカーを通してしかブラジルに向き合う術を持たなかった俺を変えた転機は、おそらく大きく3つある。

1つ目は、管啓次郎による著作『コロンブスの犬』だ。著者のブラジル滞在中に執筆された本作は、その特異な文体や批評的視点、有機的に絡み合う現地経験とイマジネーションによって、俺の世界観をガラリと変えた。テキストによる表現の可能性が、それまで全く認識できていなかった方向から拓けたような感覚を得たのだ。それは管啓次郎本人の力量によるものであることはもちろんだが、同時に俺には「ブラジルが管啓次郎にこの文章を書かせた」ようにも見えた。「一体、こんな作品を生み出させてしまうブラジルという土地は、どうなっているんだ?」という興味を強く抱いたことを鮮明に覚えている。

2つ目は、2015年3月から5月にかけてパリのシネマテーク・フランセーズで開催された、1920年代以降の100作品以上を一挙に上映する「ブラジル映画特集」だ。当時パリで孤独感に苛まれ、シネマテークで延々と名前も知らない映画を観ながら毎日時間を潰していた俺は、それまでほとんど観たことがないブラジル映画の洪水に飲み込まれ、桁違いの量のブラジル映画エッセンスを予期せぬ形でぶち込まれることとなる。

中でも衝撃的な出会いだったのが、グラウベル・ローシャだ。ローシャの狂気が刻み込まれた作品たちによって、俺にとっての「映画」の概念は吹き飛ばされ、自由とは何かを突きつけられた。その勢い、感性、発想は、今まで観たどんなヨーロッパ、日本、あるいはアメリカの作品とも、まるで異なる宇宙からやってきたように感じられた。ローシャ作品以外も含めて、ブラジルという地域が世界的な映画史の中で燦然と輝く一つの震源地となってきた事実とその豊穣さに気付かされたのは、間違いなくパリで体感したこの特集上映のおかげだった。

3つ目は、人類学者マタイス・ファン・デ・ポートによる著作『Ecstatic Encounters』との出会いである。マンチェスター大学での映像人類学博士課程在籍中に指導教授から勧められたこの本は、ブラジル・バイーア州の街サルヴァドールをフィールドとして、憑依儀礼であるカンドンブレの核心に迫る画期的研究書だ。

ラカン精神分析を援用しながら、カンドンブレが「本当に本当」=really realの宗教体験として認識される様式とは何かを探究する本作は、その手法や理論的ポジショニングもユニークかつユーモラスだが、それと同時にサルヴァドールという土地が放つ複雑な芳香を捉えてもいた。今回の滞在中に、サルヴァドールで長期間を過ごしたいと思っているのも、この著作を読んだことが大きな土台になっている。

他にも写真家のセバスティアン・サルガドやトン・ツェー、ジョルジュ・ベンといったトロピカーリア期のミュージシャン、「抑圧された者たちの劇場」(Theatre of the Opressed)を提唱した劇作家であるアウグスト・ボアル、教育学者のパウロ・フレイレなど、正直きりがないが、ざっと記憶をたどってみると、上に挙げたようなきっかけが大きな分岐点となってブラジルに対する興味が掻き立てられたと思う。

ここまで読むとわかると思うが、今回のブラジル滞在は、必ずしもアマゾン熱帯雨林に関連した活動をメインに行うためのものではない。むしろ、アマゾンというフィールドを越えて、表現者としてさらに一皮むけるために自らに課す試練だと捉えている。今まで滞在してきたどんな場所ともまた異なる一方で、子供の頃から常に夢見ていた場所に触れることになる。これまで新たな場所に飛び込んできた経験と同じように、そこには未知の感覚や、奇跡や、リスクがまた現れるだろう。それを乗り越え、作品制作に繋げるプロセス自体が楽しみで仕方がない。

ポルトガル語という新たな言語に挑戦するのも、楽しみだ。現時点では、スペイン語とフランス語の知識を活かせば文章を読むことにほとんど問題はない。しかし、ブラジルの人たちとポルトガル語でスムーズに談笑できるようなレベルではない。サンパウロに着いて2日経ち、すでにかなりのスピードで上達しているとは思う。カフェやレストランでの注文や軽い受け答えならポルトガル語でできるようになっている。この調子で吸収を続け、早く自在に使いこなせるようになりたい。

サンパウロでの滞在は短期の予定だけれど、この街には見るべきものがたくさんある。早く時差ボケと体調を整えて、あらゆるものを味わいたい。

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