- 運営しているクリエイター
#大学生日記
やるせなさを受け入れてくれる明るいうた
久しぶりに音楽のことを書かせてください。自分は音楽が好きで、色んな音楽を気になった側から味見している広く浅くタイプの愛好家だ。
その中でも好きな音楽の傾向のひとつとして「やるせなさを受け入れてくれる明るいうた」というものがある。この「やるせなさを受け入れてくれる」というところが肝だ。ただの「明るいうた」だと、ぼくのような人間は塩を撒かれたナメクジみたいに雲散霧消してしまう。
↑畑にわかおが入っ
授業中に「道産子ギャルはなまらめんこい」を読むという自傷行為がやめられない20歳男性
本当にぼくは親不孝者なので、バカ高い学費を払って受講する権利を得た大学の授業時間を湯水のように無駄遣いしている。
そして最近覚えた無駄遣いの仕方が、授業中にジャンププラスで漫画を読むことだ。ジャンププラスはすごい。タダで読める漫画の数が多すぎる。別の漫画アプリで1日4話ずつ釣りバカ日誌を読むのが生きがいだった頃にはもう戻れない。1度揖保乃糸の味を覚えると、トップバリューのそうめんは食べられなくな
メモ:ワールドカップ
普段サッカーのことなど全く考えないで生活しているくせにこういうときだけワールドカップをネタにするのはやり口が汚いじゃないかと言われれば返す言葉もないのだが、こういう機会を利用しないと何もかけない気がするので許してください。
小学生の頃イナズマイレブンが爆流行した影響で、サッカーに興味がないやつは人権がなかった。ぼくですらなんとなくその雰囲気に迎合し、七夕の短冊に「川島選手みたいなゴールキーパーに
モテ格差社会の到来と九相図と性欲と壊したマグカップ
大学生になって気がついたことだが、1ヶ月に1回、2〜3日ほど、なんかすごく性欲が高まる時期がある気がする。高校生のころは、そんなこと意識する暇もないくらい忙しかったり、部活などで発散できていたのだろう。
お察しの通り今のぼくは高まったその性欲を発散する手段を全く持ち合わせておらず、そんな自分が情けなくなってこの時期には必ず自己嫌悪に陷るのである。
性欲なんてなくなってしまえばいいのにと思うこと
Creepy Nutsを馬鹿にしている日本語ラップ通たちの首根っこを押さえて、新アルバムの神曲『フロント9番』を耳に流し込んでやりたい。
例のごとく犬と戯れながらリビングでテレビをぼーっと観ていると、ヒルナンデスにDJ松永が出ていて、今日リリースされたアルバム「アンサンブル・プレイ」の告知をしていた。
ぼくはクリーピーナッツが好きだ。「フリースタイルダンジョン」からヒップホップに入った世代にとって、あのときのモンスターたちはヒーローである。思えばラジオを聴き始めたのも、フリースタイルダンジョン全盛の時期に始まった、「Creepy
永野だけが本当のことを言っていると思う。
誰も傷つけない社会を目指すという大義名分のもとに言論統制が進む現代日本において、もはや芸人やタレントが嘘偽りのない本音をメディアで語ることはほぼ不可能になってしまったような気がする。変なことを言うとすぐ女子にチクられる小学校みたいな環境がぼくたちを取り巻いている。
そんな現状を憂いながら、味のしなくなったガムのようなラジオを聴き流して毎日を過ごしていたのだが、救世主が現れた。
この男である。遡
闇堕ちしたカネコアヤノ、魚住英里奈の曲が刺さる深夜
最近はもっぱら音楽ばかり作っていた。一念発起して機材を購入し、おれはライムスターになるんだと息巻いて音源をつくるものの、出来上がった曲の微妙さに幻滅するというループを一週間単位で繰り返していた。
↑微妙な曲
そんな日々のさなか、深夜3時。出来上がった作品を投稿するために、釈迦坊主(メンヘラギャルから絶大な支持を得ているラッパー、顔がいい)のDiscord(掲示板みたいなやつ)を
自分のことは棚に上げておいて
自分にとって鼻持ちならないことでも、それがある程度理にかなっていることであれば、大抵納得出来る。
しかしなかにはどうしても許せないこともあって、それは11歳下のアホな弟だったり、今ぼくが乗っている電車内で人目も憚らずイチャついている、これから卒業旅行に出かけるであろう高校生のカップルだったりする。
ぼくだって8歳のころには年相応にアホだったと思う。クイズ番組の問題を正解するたびに「こんなのかん
トリプルファイヤーの良さが分かる人と友だちになりたい
最近いやでも自覚せざるを得なくなってきたのだが、ぼくは相当感受性が鈍いようである。鈍感なのだ。両親から愛されて育ち、なんら問題なく恵まれた環境に身を置いてきたからだろう。
世の中の理不尽に対する不満や怒りなどは全く持ち合わせておらず、自分がよければそれでいいと思っている。逆に綺麗な花や美しい風景を見ても、何ら心に湧き上がるものがない。母親の影響で、とりあえずデカい声で「きれ〜い」と言ってみること