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生きる意味

生きる意味を考える時
生きていると感じる
それは意味のない行為だし
答えなど見つからないものだ

今私が生きていることは必然だ
こうして文章を書いているのも生きているからこそできる行為だ

人は生きる意味を考える
しかしそれに意味がないこともわかる
そもそも生きる意味などというものがあるとすれば
生まれてくる意味などないからだ
そもそも生きる、生まれてくる意味を知った上で
私たちは生まれてくるわけじゃない
卵子に精子が入る前から
私たちは生きる意味を認識しているわけじゃない
「人間は考える葦」
というのが事実なら、卵子や精子は「人間ではない」から
考えることなんてしないはずだ

ならば生きるということに意味を持たせることに意味はあるのか?
私たちは「ただ生まれてきた」だけであって、それ以外の理由などない
それでも生きる意味を考えるのは
そこに「自分以外の人間」がいるからではないか?
人間はこの世に一人だけなら、果たしてこの問いにたどり着いただろうか?
人間社会という構造に放り込まれ、社会という属性に押し込まれ
どうしてもその場で生きないといけない
その場所に合う踊りを踊らなければ、はみ出してしまう

今ある状況に時に反発し、時に合わせて踊る
その気持ちの矛盾、葛藤が「生きる意味」の問いを投げかけてくる

《どうして私は踊らなければならないのだろう?》

もちろん社会の中にいるからに違いない
踊らなければ社会からはみ出る
はみ出れば生きていけない

ならばなぜ私は問う?

社会に入れば、自分が見えなくなるから
社会に合わせようとしている自分に、自分の存在が見えない

見失って探そうとする行為が
「自分は何のために生きているのだろう?」

生きる意味なんてない
全て意味があることをしてきたわけじゃない
意味があるか吟味してから行動してきたわけじゃない
自分を探す行為そのものが、生きることにつながり
やがて意味ができる

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