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#文章
もし吉田知子と呑むならば、その機会と境界線を探りはしたが惨敗だった。
先日、年間読書量ゼロの先輩に言われました。
「君は、日本一の読書家だと思うよ」と。
うっすらと私もそうじゃないかと思っていたので今日から名乗ります。
日本一の読書家の私がこんなことを言うのはお恥ずかしいのですが、どっぷりと本に浸かれず、最近は短編や随筆を読んでいる。何が正しいのか分からないまま、フラフラフフフであります。
四十を越えても自己が定まらず、迷いに溢れている毎日が嫌いではない。た
スズキ ヒロに伝えたいこと
久しぶりの読書は、スズキ ヒロの『Book Cover』からにした。スズキ ヒロとは、卍丸くんだ。
彼とは会ったことはない。会ったことはないけれど繋がっている。矛盾しているが、SNS上の繋がりだけではないという、見えない繋がりに何かしらの見える物を感じる繋がりだと言いたい。
どうして、こういう回りくどい言い方をしなければならないのか。少なくとも私には、人との関係が希薄になったこの何年間で一番、
小津夜景の暮らしに触れた一日に。
「梅雨が明けた頃でいいかしら」
「梅雨が明けた頃会いましょうね」
その日、同じ時間を共有したのであろう2人から、別々に写真やメッセージが私宛てに届いたのは偶然ではないのだろう。
ふいに届く言葉にふと、その時間を想像し、想いを馳せる事が出来るありがたさを感じた。
「楽しみにしてます」と文面を一言で返信しようとしていた自分に、これはキッカケだ。逃すな。と踏みとどまった。
好きな作家が亡くなり
出会う本と、その役割について森絵都から考えることになった私は、自分の役割を問う
たまに、読んでみて欲しいと言われる本を紹介されるようになった。
こういう事は、今まで全くなかった。近くに1人も読書を好きだと話す人も居なく、読書に興味を持っている友人も居なかったからだ。
今のように、SNSなどで頻繁に本と出会えたり、その人の感想を読むことで「その人」の人となりが分かるのも面白いと感じる。
なるべく読んでみて欲しいという、そのリクエストには応えたい。それは、本が好きだし自分が
未だに五里霧中の中に。私の安部公房の道程は大工の助けが必要だ。
安部公房
砂の女
ずっと投稿出来なかった本。
面白さの違和感の正体がなかなか掴めなかった。
今もまだ説明出来ないが、ひとり安部公房祭り最中の大工に呼ばれた気がするので残しておく。
安部公房を次に読むならと色々な方に薦められた。
空想をより現実に迫る作家だと思う。頭では空想の世界と理解しているが、知識と表現で現実にもあり得るのではなかろうかと思うのである。文学というものの面白さを知れる本。
読書を再開したら、中谷美紀に告白をしてInstagramにお別れを告げた日
この2ヵ月、読書を全くしなかった。
少なからず、本を読むというのは自分にとってストレス発散や、リラックス、自分と向き合える大切なものであった筈だ。
企画していたイベントが、自分の心の許容範囲を越えていると自覚したのは、本を読めなくなったからだ。
一緒に主催した友人も滅多にしない仕事のミスをして、こんなに許容範囲が狭くなっていると思わなかったと言っていた。
精一杯やるという意味を久しぶりに体感
生活を丁寧に感じる事は、時代を経過しても時が戻る事を向田邦子から学んだ。
📚
眠る盃
父の詫び状
先日、私の読書友達から問い合わせがあった。
「開高健と向田邦子が貸出中で借りる事が出来ませんでした」
私は先日、開高健と向田邦子はいいと講釈したばかりだった。
「時代が私を追いかけ始めたね」
その友人にこう答えた以来、なぜだか返事がない。
向田邦子。久しぶりに読みたくなった私は、読書メモを振り返った。
これは、拙い伝え方だが私が最初に向田邦子に出会い「父の詫
開高健の嗜むという意味と趣味の域を越える粋に私は憧れる。
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開高健
オーパ
巻末の解説が重松清さんだった。ここで月刊「PLAYBOY日本版」1977年の暮れに連載で書店に並んだということを知った。重松さんの解説で直筆原稿版の意味を教えてくれている。推敲で削られていること。それは、作家の手の内を垣間見ることができるということ。逆に考えれば、ほんの数行の削除や異同が目立ってしまうほどの完成度の高いもので開高健のすごみを、実感する人も多いに違いない。と
初心に帰る道には、萩原浩と私の20年。忘れられない一冊と忘れられないバストを添えて。
今朝、いつもの通りInstagramを開いた。画面に出てきたその本は、私の忘れられない一冊だった。その人の感想は、
何度も笑いをこらえきれず、涙目に。ユーモアとの絶妙なバランスがまた良かった。
と書いてあった。
やっぱり誰かに笑いを与えている。
それはやっぱり私を初心にさせる。
今週末は私にとって大事な人達に会う日だ。
それは自分の気持ちをあっという間に20年近く戻してくれる大切な時間だ。
翻訳者須賀敦子が書いた本人の言葉は、僕に旅をさせた。
📚 #ヴェネツィアの宿 #こうちゃん
須賀敦子を手に取った。
この後、彼女が翻訳したアントニオ・タブッキを読むためにだ。
私の印象は、彼女が書く文章は、読み手に本当の意味での心情は明かさない。無駄は省く。それは、読み手自身で思考し、整理し、考えなさいと言われている気がした。
それは翻訳体験からきているものなのかどうかは、わからない。
だけど、美しい。
向田邦子の文章を読んだと