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#歌
ヨルシカのアポリアについて考えたこと
ヨルシカの楽曲『アポリア』の、主に歌詞についての考察です。
ED曲になっているアニメ『チ。 ―地球の運動について―』への言及もあります。
何か新しく考えたら追記するかもしれません。
「気球」は地球の比喩でもある気がしました。
n-bunaさんのコメントに「歌詞に出てくる気球は、際限のない知の欲求の喩えです。」とあるので、
知の気球→知球→地球 なのかなと。
チ。は地動説の話なので、地面が気球のよ
ヨルシカの『忘れてください』について考えたこと
ヨルシカの楽曲『忘れてください』の、主に歌詞についての考察です。
新しく思いついたら追記するかもしれません。
忘れてくださいは、「探さないでください」と書き残して家出する人が探してほしいみたいに、本当は忘れないでほしいって感じがします。
忘れてくださいの英題 Forget it は、Forget 糸 僕と君を繋ぐ糸を忘れてくれって意図もあるのかなと。
僕(me)ではなく、僕と君の間の繋がりを忘
ヨルシカのルバートについて考えたこと
ヨルシカのルバートの、主に歌詞についての考察です。
MVが出たら追記するかもしれません。
『ルバート』はアナログ盤、レコードでの販売で、B面にブレーメンが収録されています。
ルバート(rubato)はイタリア語で盗まれたという意味なので、
『ブレーメンの音楽隊』の動物達が泥棒の家を奪うことを連想しました。
「当てのない旅をずっと続けていたわ」はブレーメンへの動物達の旅、
タヒ(死)から逃れるタヒ
n-bunaさんの『カーテンコールが止む前に』について考えたこと
n-bunaさんのアルバム『カーテンコールが止む前に』収録曲の、主に歌詞についての考察です。
新しく何か思い付いたら追記するかもしれません。
『一人きりロックショー』の「今君の言葉が 13 and 45」は、
13+45=58(五十八)=ごとは=言葉 と思えます。
君の言葉(58)が分解され、意味(13)と死語(45)になったと。「大体なんでも 意味はないけど」と続きますし。
「あの日の事が 1
ヨルシカの晴るについて考えたこと
ヨルシカの晴るの、主に歌詞についての考察です。
第2クールのOP曲になっている『葬送のフリーレン』への言及もあります。
フリーレンがドイツ語で氷結(freezeと同じ語源)、ヒンメルが空なので、
フリーズしていたフリーレンの時間を、晴る(ヒンメルの青)が溶かし動かしてくれたと思いました。
第2クールのキービジュアルに「魔法は、自由だ。」とあります。
freezeをfree(自由)にしてくれた青空
ヨルシカの月光浴について考えたこと
ヨルシカの月光浴の、主に歌詞についての考察です。
「光陰矢の如し」の光陰は月日の事で 光=日 陰=月 なので、
月光浴→月日浴→月日(=光陰)を浴びる と思えます。
月光浴が月日の月なのは、 松尾芭蕉のおくのほそ道序文「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」を連想しました。(エルマの日記で松尾芭蕉について触れられています)
月光浴「貴方の足が月を蹴った」は、芭蕉のように人生という名の旅
ヨルシカの斜陽について考えたこと
ヨルシカの斜陽について考察したことです。
「僕らは目も開かぬまま」は、恋は盲目って事に思いました。
日が落ちるように恋に落ちたと。
恋に落ちて頬が赤く染まるのを、
落ちていく夕陽の色に喩えてる気がします。
「頬色に茜さす」は、茜色に染まる頬を反転させてるのかなと。
「柔らかに爆ぜた」は恋の爆発で、
恋心のお日様のような爆発に僕の目が開かない、と取ると、
『僕の心のヤバイやつ』という言葉に合い
ヨルシカの幻燈について考えたこと
ヨルシカ『幻燈』楽曲の、主に歌詞についての考察です。
『ブレーメン』『チノカテ』『月に吠える』『451』『靴の花火』『左右盲』『アルジャーノン』は個別に記事を書いたので、それ以外の曲がメインです。
『月と猫のダンス』に行っていないので、ライブ内容を踏まえた考察ではありません。
都落ち都落ちMVは3分84秒(=4分24秒)で、
あと1秒長ければ385(みやこ)です。
385(都)から落ちて384に
ヨルシカの451について考えたこと
ヨルシカの楽曲『451』についての考察です。
451を『華氏451度』モチーフだとすると、
焚書の火を幻の火、つまり幻燈に喩えてる気がしました。
音楽画集『幻燈』のスマホをかざさないと聴けない仕様は、
デジタル化され本が無くなった世界に似てるなと。
4月5日発売の幻燈第1章に『451』が収録されるので、451が並んでいて面白いです。
451=詩恋=私恋
451=11×41=いいよい=良い宵
ヨルシカのアルジャーノンについて考えたこと
ヨルシカの楽曲『アルジャーノン』の、主に歌詞についての考察です。
ヨルシカの他の楽曲や『アルジャーノンに花束を』への言及があります。
「頭の真ん中に育っていく大きな木」は、
ツリー状に枝分かれした未来の可能性、迷路だと思えます。
ゆっくりと歩いていく「根本」は現在や過去の事で、
「長い迷路の先」つまり未来を恐れない為に、現在や過去をしっかりと踏まえるのかなと。
未は木の上の枝葉、末は木の先端、
ヨルシカのテレパスについて考えたこと
ヨルシカの楽曲『テレパス』の、主に歌詞についての考察です。
※MVが出たのでリンク貼っておきます。
涙についての曲だと思いました。
雪化粧が地面を隠すように泣き顔(寂しさ)が隠れていて、
「溢れた塩の瓶」=しょっぱい涙 かなと。
雪が解けて水になるように、雪化粧みたいな寂しさが解けて涙になる、という。
一瞬だけでいい歌、メロディーも無く寂しさでもいい歌は、泣き声でも良いって事かなと。
ヨルシ
ヨルシカの思想犯について考えたこと
ヨルシカさんの、主に『思想犯』について考察しました。
思想犯の「烏の歌に茜」についてです。
茜の花言葉は「私を思って」「媚び」「誹謗」「傷」などのようで、思想犯の歌詞に合ってる気がします。
『盗作』(曲)では「群がる烏合の衆」の後に「まぁ、それは僕も同じか」と続きます。
烏を烏合の衆とすると、
「烏の歌」は烏合の衆と同じである僕の歌で、「烏の歌に茜」は、その歌に「誹謗」や「傷」が付くって事かな
ヨルシカの盗作と創作について考えたこと
ヨルシカの、主にアルバム名『盗作』と『創作』について考察します。
創作や盗作の「作」は「咲く」に掛かっている気がしました。
早々に咲く(そして早くに散る)から「そうさく」
とうに咲いていた(今に生きていない)から「とうさく」 とすると、
早くに亡くなった奥さんと、思い出に生きる盗作おじさんの事に思えます。
盗作(アルバム)5曲目にA面終わり的な意味の英語音声が入ってるのは、
創作(アルバム)が