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本能寺の変1582 目次小 7信長の甲斐侵攻~8光秀の苦悩 第44~50話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 7信長の甲斐侵攻 第44~46話

はじめに ←目次 ←前回 目次小 6信長との出会い 第30~43話 

2信忠、諏訪進出

 第44話
  天正十年1582、三月三日。
  信忠は、諏訪に進出した。             『信長公記』
  穴山梅雪が武田を裏切った。            『信長公記』
  武田勝頼は、重臣・身内に見棄てられた。      『信長公記』
  徳川家康が駿河から甲斐に突入した。        『信長公記』

 第45話
  
信忠の侵攻速度があまりにも速すぎた。       『信長公記』
  武田氏は、瓦解した。               『信長公記』
  勝頼は、孤軍となった。              『信長公記』
  勝頼は、新府城に火を懸け退去した。        『信長公記』
  勝頼は、躑躅ヶ崎から新府に移ったばかりであった。 『信長公記』
  落ち行く者たちの姿である。            『信長公記』

 第46話
  
勝頼は、田野に追い込まれた。           『信長公記』
  勝頼は、覚悟を決めた。              『信長公記』
  噫、哀れなる勝頼かな。              『信長公記』

目次小 8光秀の苦悩 第47~50話

6守るべき者

 第47話
  
光秀は、坂本にいた。
  光秀は、嫡男光慶のことで悩んでいた。
  光秀は、平穏・安寧を望んでいた。        「続群書類従」
  光秀は、志向の違いに悩んでいた。
  光秀は、信長との意思の疎通に問題が生じていた。
  光秀は、明智の将来に大きな不安を抱いていた。 

 第48話
  
信長は、猜疑心が強い。
  光秀は、信長の猜疑心を怖れた。
  秀吉も、信長の猜疑心を怖れた。
  光秀は、強力な武力を有していた。
  信長は、光秀を警戒していた。
  光秀には、粛清の怖れがあった。

 第49話
  
天正九年1581が分かれ道だった。
  光秀は、信長の性格・気性を知悉していた。
  光秀は、節度の人である。
  光秀には、守らねばならぬ者たちがいた。
  光秀は、子らの将来を案じていた。
  我等不慮の儀存じ立て候事。           「細川家文書」
  光秀は、最良の状態で光慶に引き継いでやりたかった。

 第50話
  
光秀の悩みは、尽きず。
  四国、長宗我部元親の問題。
  「信」を遣はし候。              「土佐国蠧簡集」
  光秀は、元親の取次となった。
  ここで、事態が一変した。         「香宗我部家伝証文」
  信長は、本願寺を降した男。
  元親にとっては、一大事。
  元親は、これに反発した。
  光秀の説得交渉は、暗礁に乗り上げた。
  説得交渉の成否が意味するもの。
  最後の使者。
  光秀は、多くの悩みを抱えていた。
  光秀の心は、重く沈んでいた。


 ⇒ 次へつづく  目次小 9光秀という男 第51~64話 


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