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本能寺の変1582 第48話 8光秀の苦悩 6守るべき者 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第48話 8光秀の苦悩 6守るべき者 

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信長は、猜疑心が強い。

 戦国時代の後半である。
 これが当時の風潮だった。
 そうしなければ、生き残れぬ時代だった。

 一、信長は、弟信勝を殺害した。

 似たような例は、他にも、山ほどある。 
 それ故、ここまで、生き延びた。
  〃 、これ程までのことを成し遂げた。 

 【参照】4光秀の苦悩 3信長の猜疑心 

光秀は、信長の猜疑心を怖れた。

 そのために、細心の注意を払った。
 疑われれば、終いである。

 一、光秀は、洞察力に優れていた。
 一、光秀は、信長の心の内がよくわかった。

 このことが、立身出世の大きな要因となった。

 これらについては、後述する。

秀吉も、信長の猜疑心を怖れた。

 秀吉に、子はない。
 そのことを逆手に取った。
 信長の五男を養子とする。
 秀勝である。
 秀吉の長浜時代。
 天正五年(1577)頃のこととされる。

 なお、秀吉と連名で発給した天正八年三月付「長浜八幡宮
 奉加帳」が初見である。

光秀は、強力な武力を有していた。 

 五ヶ国の軍勢を動員することが出来た。

 一、光秀は、「持てる者」に成り上がった。
 一、領地は、丹波一国、近江志賀一郡。
   さらに、山城に強い影響力があった。
 一、丹後の細川藤孝を与力にしていた。
 一、大和の筒井順慶も、これに同じ。

 否、そればかりではなかった。
 土佐の長宗我部元親と、きわめて親しい関係にあった。
 元親は、四国統一を目前に、野望に燃えていた。

信長は、光秀を警戒していた。

 光秀のみならず。
 大領を与えた家臣。
 その、全てに対して。
 秀吉、然り。
 柴田勝家、然り。
 丹羽長秀も、また然り。  
 
 見方を変えれば、彼らは、有力な戦国大名に他ならない。
 強力な軍事力を有していた。  

 中でも、光秀。
 重要な位置を押さえていた。
 北から順に、丹後・丹波・近江の西半分・山城・大和。
 そして、瀬戸内を渡って、長宗我部の土佐・阿波・讃岐。
 広大な地域に大きな影響力を有していた。
 万が一、事あらば、東西は分断される。
 その脅威は、荒木村重の比ではない。

 信長は、警戒していた。
 表の顔と裏の顔。
 重臣なれば、こそ。 
 「油断」すれば、命を失う。
 一寸先は、闇。
 何が起きるかわからぬ時代だった。

光秀には、粛清の怖れがあった。

 本願寺退城の直後。
 あまりにも、露骨だった。

 一、信長は、合理的思考の持ち主だった。
 一、信長は、将来を考えた。 
 一、佐久間信盛の粛清。
 一、信長は、不意を衝いた。 
 一、信長は、恐ろしい男であった。 

 信長は、逆らう者を容赦しない。
 
 一、信長は、闘争心が強い。
 一、信長は、誇り高い男だった。 
 一、信長は、我慢強い。
 一、そして、執念深い。
 一、信長は、最後まで、信盛を赦さなかった。 

 役に立たねば捨てられる。 
  
 一、光秀は、用済みになるのを怖れた。
 一、走狗煮らる。
 一、光秀は、信盛の死に様を知った。
 一、光秀の苦悩は、次第に大きくなっていった。

 【参照】4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 10   11   12   13  
                   14   15   

 これについては、後述する。


 ⇒ 次へつづく 第49話 8光秀の苦悩 6守るべき者     





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