見出し画像

本能寺の変1582 目次小 4光秀の苦悩 第16~18話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 4光秀の苦悩 第16~18話 

はじめに ←目次 ←前回 目次小 4光秀の苦悩 第10~15話 

5分かれ道

 第16話
  
信長は、苛烈だった。
  竹生島、参詣事件。                『信長公記』
  信長は、女房衆らを誅殺した。           『信長公記』
  その時、光秀は丹後にいた。          「天王寺屋会記」
  光秀は、福知山城に明智秀満を置いた。     「天王寺屋会記」
  束の間の平穏。                「天王寺屋会記」
  世俗を離れて。                「天王寺屋会記」

 
第17話
  
細川藤孝が光秀一行を出迎えた。        「天王寺屋会記」
  「惟任日向守殿父子三人」
  「長岡兵部太夫殿父子三人」
  細川忠興は、光秀の娘婿である。        「天王寺屋会記」
  光秀は、風流の人だった。
  光秀、天橋立に遊ぶ。             「天王寺屋会記」
  実に、好対照な出来事であった。
  信長は、竹生島参詣後、女房衆を誅殺。
  光秀は、天橋立に遊び、連歌を楽しむ。
  光秀は、節度の人。
  光秀は、文武両道の人。

 
第18話
  
ここが、二人の分かれ道であった。
  信長は、天下統一後、さらなる夢へ。
  光秀には、守らねばならぬ者たちがいた。
  明智は、絶頂期にあった。
  二人の距離は、少しづつ、離れていく。



 ⇒ 次へつづく  目次小 5藤孝との出会い 第19~21話 


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?