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本能寺の変1582 目次小 3信長の甲斐侵攻 第5~6話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 3信長の甲斐侵攻 第5~6話 

はじめに ←目次 ←前回 目次小 2信長と「敦盛」 第4話 
重要 ◎目次 

1信忠、出陣 

 第5話
 
◎信長は、甲斐を攻めた。              『信長公記』
 ◎先陣は、嫡男信忠。                『信長公記』
 ◎信長は、光秀に参陣を命じた。           『信長公記』
 ◎光秀は、甲斐遠征が出来る年齢だった。
 ◎光秀の年齢は、六十代前半以下。
 ◎信忠は、破竹の勢いで進撃した。          『信長公記』
 ◎信忠は、高遠城を攻めた。             『信長公記』
 ◎信忠は、勇猛だった。               『信長公記』

 第6話
 
◎信忠は、わずか一日で高遠城を攻略した。      『信長公記』
 ◎これが、武田最後の戦いになった。         『信長公記』
 ◎仁科信盛の首。                  『信長公記』
 ◎信忠は、後継者として申し分のない人物だった。   『信長公記』
 ◎信忠は、逞しい戦国武将に成長していた。      『信長公記』
 ◎信長は、これに満足していた。           『信長公記』
 ◎太田牛一がその証人である。            『信長公記』
 ◎織田家の前途は、大きく開けていた。
 ◎だが、しかし、明智は、・・・・・。
 ◎光秀は、高齢。
 ◎嫡男光慶は、若すぎた。
 ◎光秀は、出来る男。
 ◎信長は、猜疑心が強い。
 ◎光秀も、猜疑心が強い。
 ◎信長は、用心深い。
 ◎光秀も、用心深い。
 ◎同じ穴の狢。
 ◎光秀は、洞察力に優れていた。
 ◎光秀は、苦悩していた。
 ◎光秀は、不安だった。
 ◎明智の将来は、一体、どうなるのだ!!



 ⇒ 次へつづく  目次小 4光秀の苦悩 第7~9話


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本能寺の変

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