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noteで出会った素敵なクリエイターの方々の、幾度も読み返したい記事を保存しています。
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#自分

人間関係の不満

人間関係の不満

誰でも思う事だと思うのですが。
人間関係の不満はほとんどの方が感じていると思います。

例えば・・
「○○さんが、こうしてくれたら良かったのに。」
「○○さんが、どうしてもっと気付いてくれなかったんだろう。」
など。

相手が、さも悪い・・というような解釈の発言をつい、することがあると思います。

そりゃ、誰でもありますよ。
「あの人がもっと気を付けてくれたら、こんな事になってなかったのにね・・。

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児童文学を書く理由を考えてみた……❣❣❣

児童文学を書く理由を考えてみた……❣❣❣

 昨日「季節風」に原稿を送った。
 先週、春研にも参加した。
 何故、一生懸命児童文学を書こうとしているのだろう?
 きっかけは、角野栄子さんに会ってみたかっただけのはずだった。
 そのための手段として、船橋市の公民館で童話サークルに入っただけのはずだった。
 それなのに、いつの間にか「季節風」に入会し、児童文学学校にも入って、順番が逆だといわれた。
「季節風」って、そんなにハイレベルの所なの?

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私達は気づかないでやっている事があります

よくあるのが、丸くおさめる為にやっている事

丸くおさまるんだったら良いんじゃない?
そう思う人もいると思う

でもその為に
自分を犠牲にしていませんか?
周りの機嫌をとる事ばかり考えていませんか?

自分の機嫌をとる事がそれよりも大切

最もむごい虐待は、過保護・過干渉かも知れない

最もむごい虐待は、過保護・過干渉かも知れない

我が子に暴力を振るう親もいます。

子供を一個の人間と認めず、人格を尊重することが無いから、暴力を振るいます。

周囲から見ても、はっきりとわかり易く現れるのが、この肉体的な虐待です。

虐待という言葉を知らない人は、今の世の中には、ほとんど居ない訳で、人前で子供をぶったりする親は、昔に比べると随分少なくなっていると思います。

虐待は、少なくなったのでしょうか?

虐待が少なくなったのでは無く、

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情緒未成熟な親は、思い通りになる人形が欲しい

情緒未成熟な親は、思い通りになる人形が欲しい

肉体的な虐待にせよ、心理的な虐待にせよ、

幼少期に虐待を受けた人は、自分であること、を取り上げられた人です。

その子に虐待をした親もまた、幼少期に「自分であるな」と、嫌という程、擦り込まれた人、なのです。

「自分であるな」とは、自分の感情を持つな、ということです。

親の望む様に感じ、親の望む様に考え、親の望む様に生きる子供は、

情緒未成熟な親にとっては、この上なく都合の良い存在です。

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この人から、どう思われているだろう?

この人から、どう思われているだろう?

他人から、どう思われているのかが全く気にならない人は、そうそういないと思います。

社会生活を営むということは、他者と関わり合う、ということですので、

他人の目を100%意識から排除するには、人里離れた山奥に籠もるか、無人島に渡るか、でもない限り不可能でしょう。

道を歩けば、他人とぶつからない様に歩きますし、

ドアに鍵を掛けて、自分の部屋に引き籠もる生活をしていても、
ドアの外の家族の気配を

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他人がどう思うかを気にするだけでエネルギーをロスする

他人がどう思うかを気にするだけでエネルギーをロスする

他人にどう見られているか、どう思われているかを気にする人って多いのですが、それめっちゃエネルギーをロスしてますからね。
そんなことでエネルギーを消費するなんて本当にアホらしい。

頭であれこれ考える癖がついている人は、とにかく余計なことを考えすぎるので、気づかぬうちに勝手にシミュレーションしていたり、これをこうしてこうやったほうが得だよなとか、駐車場にクルマを停めているのに、ずっとアイドリング状態

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現実社会を生きづらさそうにしている人を見る事が多い

そこには、自分の能力を上手く使えていないこともあるんじゃないかと思っていて…

これから3ヶ月間を自分の成長の為に費やし、意味あるものにする事で、今年の前半そして今年後半9.10.11月に来る変化に対処できるはず。向き合うこと

身を粉にして削ったら本当にえぐれた話

身を粉にして削ったら本当にえぐれた話

物騒なタイトルだけど、自分がえぐられた実話です。

今がきっと、自分の人生史上1番頑張らなきゃいけない時だった。

ターニングポイントと呼べる場所にいた最近のわたし。

今を超えるねん。
現実と対峙して、格闘して、とにかくがむしゃらだった。

人生初のダブルワークに挑んでいた。

わたしの中のダブルワークのイメージは勝手な定義だけど、
一日の労働指数のマックスを100とした場合

本業➕副業 →8

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不平等

最近、

自分の記事をみて、

 思うことがある。それは、以前より、少し尖っているのではないかと。

特に、直近のものは、顕著だ。

 ただ、もう何でもよい、とにかく"表"に立つしかない。

 今まで、経験してきたものを、出力し、恥をかき、内省する、それでいい、恐れるものは何もない。

 多分、私の、洞察力や文章力は、これ以上、伸びしろはないだろう。人としての能力は、頭打ちである。

 以前、削除

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変わってゆく「わたし」と、変わらない「わたし」

変わってゆく「わたし」と、変わらない「わたし」

ぼくらは常に「わたし」からしか世界を観ることができない。

「わたし」という視座。

で、「わたし」は変わっていないと錯覚して生きている。

わたしがどう感じるか

わたしが世界をどのように捉えているか

どういうフィルターで世界を観るかは、選ぶことができる。

それについては小林正観さんや、武田双雲さんや、新田祐士さんなど多くの人が語っている。

この「わたし」という視座のフィルターは自分で選ぶ

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策士ではなく道理士たれ

策士ではなく道理士たれ

人間、困難に直面してしまった時、あれこれ策を考えてしまうものです。

「どうしたらいいだろう?」
「こうやったらうまくいくかな???」

考えること自体、悪いことではありません。いろいろと問題を整理して、何が得策なのかを探ることは、ある意味、当然のことです。

一方で「策士、策に溺れる」などという言葉もあります。

先々のことまで考えて、計算を張り巡らせて、立派な策を立てたところで、それが回り回っ

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優れた子で在りなさい、でも私より劣った子で在りなさい

子供に起きた良き事を、親が我が身に起きた事の様に喜ぶ、

親子の情愛が織りなす景色の中でも、特に尊い情景なのではないか、と思うのです。

我が事の様に喜ぶ事が出来るには、親が子供を一個の独立した人、として感じていることが必要です。

親が子供という存在を「尊重」している、という素地が出来上がっていないと、

「我が事の様に」喜ぶ、では無く、「我が事を」喜ぶになってしまいます。

どういう場合か、と

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億女のコーヒーカップ

億女のコーヒーカップ

最近、毒舌妹に勧められて、
見ているYouTubeで、

ちょっと感動したことがありました。

億女って、私はつい最近、
毒舌妹から聞いて、
知ったのですが、

億を稼いでる女性のことだって、
みなさんは知っていましたか?

億を稼ぐなんて、
まったく別世界の人だと、
私は思っていました。

実際、その億女さんは、

ド派手で、
キラキラしていて、
自信に溢れた、

かっこいい女性です。

こうい

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