伴走者ノゾム@TSL/Tsubasa Spirit Laboratory

感じる・考える、のバランスを整え『生きづらさを手放す』ことを核に『軽やかに活き活きと生…

伴走者ノゾム@TSL/Tsubasa Spirit Laboratory

感じる・考える、のバランスを整え『生きづらさを手放す』ことを核に『軽やかに活き活きと生きる』をサポート。 TSL/Tsubasa Spirit Laborator代表、心理カウンセラー カウンセリングに関するお問い合わせ・お申し込み 📩tslnozomu@gmail.com

最近の記事

子の生きづらさの原因は、必ず、親の心にある

情緒未成熟であることを自覚しない親が、社会通念や規範意識、道徳といった四角四面な融通の効かない、通りのいい正義を振りかざすと、子供の心は裂けてしまいます。 たとえば、その親は子供に対して、 悪口、陰口は言ってはいけない、という正義を振りかざしながら、ご近所の人を悪く言います。 家族愛を語るのに、夫婦喧嘩が絶えません。 隠し事は悪い事だと言いながら、子供に隠す事が沢山あります。 子供に真っ直ぐである事を求めながら、自身は曲がっています。 子供に光りであれ、と叱咤しなが

    • 向き合うのも、手放すのも、生きてゆくのも、自分なんだ!

      底打ち体験、という言葉を耳にした事があるでしょうか? 生きづらさ、に関する書籍などには散見される表現ですので、ご存知の方も居られるかと思いますが、 改めてご説明すると、 これより下は無い、という窮地を、底、と表し、 その窮地に陥った体験を、底打ち体験、と言います。 どうして、生きづらさ、を語る時に、底打ち体験、が出てくるのか、と言うと、 生きづらさを抱える人が、その生きづらさを手放そうと思い立ったなら、 決断する事が必要です。 別の言い方をすれば、腹を括る、事が

      • 他者を利用して自分を満たす人

        他者を利用する事で、自分を満たそうとする人が居ます。 その人は自分に絶望しています。 自分には価値が無い、と思い込んでいます。 自分は何も出来ない、と心の奥で決め込んでいます。 ただ其処に、存在するだけで許されない、と感じています。 何も出来ない自分なのに、何もしないでただ其処に居るだけでは許されないのです。 だから他者を使って、自分の中の絶望感、無価値感から目を逸らします。 その人は、自分には価値が無く、何も出来ないと思い込んでいますが、それを心の奥の奥に隠しま

        • 自分と向き合う、って?

          心のこと、を考える時、意識と無意識がある、と理解する事はとても大切だと思っています。 生きづらい人が、意識の上では、生きづらさを手放したい、と思いながら、 無意識の領域では、生きづらさにしがみついている、という事はとても多いのです。 意識の上では、生きづらさを手放そうとアクセルを踏み、 無意識では、手放すまいとブレーキを踏んでいるのです。 車体は揺れ、エンジンは唸りをあげるばかりで、前には進みません。 意識の後ろに無意識があり、生きづらさを手放したい、と思いながら、そ

        子の生きづらさの原因は、必ず、親の心にある

          ネガティブ感情で乗り切るには、人生は余りにも長過ぎる

          突き刺すリリックを切り裂くビートに乗せて、聴く者の魂を揺さぶったロックミュージシャンが、 後年、愛と平和の言葉を柔らかなメロディーに寄り添わせる様になり、 牙を抜かれた、丸くなった、などと評され、表舞台から姿を消す、と言ったことは、 ミュージックシーンではよく有ることです。 古いロック好きの間で知られる27クラブ(The 27 Club)は、27歳という若さでこの世を去った著名なロックミュージシャンが沢山居た為、そう言われる様になりました。 ジミ・ヘンドリクス、ブラ

          ネガティブ感情で乗り切るには、人生は余りにも長過ぎる

          可哀想な母を救いたい

          生きづらさに気がついて、 生きづらさを手放そうと決意して、 自分と向き合い始めた人が、 「自分が幼少期の真実に気がついたのだから、それで少しでも軽やかになれるなら、親にも気づかせてあげたい、私は親を救いたいんです。」 そう言います。 怒れ、怒れと煽る訳では無いのです。 ただ、この生きづらい人は、未だに感情を心の奥に閉じ込めています。 幼かったその人は、自分の感情を全て封印して、親の感情を優先したのです。 幼なかったその人は余りにも無力で、親が無くては生きられな

          心地よい「今」を創る為、フォーカスは「出来事」に向ける

          軽やかな心持ちで生きるには、意識のフォーカスは、出来事、に向ける、と決める事が有効だと思うのです。 たとえば、クルマを運転していて、無理矢理、ウインカーも出さずに前に割り込むクルマに遭遇し、 なんとかブレーキを踏んで接触は免れたとします。 出来事にフォーカスすれば、 「危なかった、ぶつからずに済んだ。」と、無事だった事にホッと胸を撫で下ろします。 しかし意識のフォーカスが、割り込んだクルマの運転者に向いたなら、 「なんて運転をしてるんだ!」 と怒ります。 「下っ手く

          心地よい「今」を創る為、フォーカスは「出来事」に向ける

          情緒未成熟な親は決して気づこうとしない

          2対7対1の法則、を耳にした事が有る方は少なく無いと思います。 改めてご説明致しますと、 2対7対1の法則とは、人間関係において、 「10人いたら、2人は気が合う人、7人はどちらでもない人、1人は気が合わない人になる」という法則です。 この法則は、ユダヤ教の教えに由来していると言われています。 2対7対1の割合いがどの程度正確なのかは分かりませんが、 私の肌感覚では、大きく外れてはいない様に思います。 放っておいても好感を持ってくれる人も在れば、 どんなに努力をし

          情緒未成熟な親は決して気づこうとしない

          吐き出しの嵐と自己満足の優しい言葉

          生きづらさを抱え、苦しみの最中に在る人は、溺れかけています。 溺れかけた人が空気を欲する様に、 生きづらさに苦しむ人は、幼い日に求めても求めても、得る事が出来なかった、受け容れ、を探します。 生きづらさを手放す道程で、必ず通る場所が有ります。 吐き出しのステージ、と、 自分と向き合うステージ、です。 本記事では、吐き出し、についてお話しさせて頂きます。 吐き出し、とは、自分の心情を吐露することです。 生きづらさを抱える人の吐き出しの時期は、激しく受け容れを求める時

          吐き出しの嵐と自己満足の優しい言葉

          絶望、を子に背負わせる親

          常にマウントを取っていないと居られない人、って結構居ないでしょうか。 おそらく本人は気がついていないと思いますが、周りから煙たがられるタイプのNo.1だと思います。 人の話しを奪ってまで自分の話しばかりをするし、アドバイスを求めてもいないのに、上から指導するかの様に話す訳です。 自慢しますし、話しをモリモリに盛ります。 人を小馬鹿にしますし、揚げ足を取ります。 煙たく無い訳がありません。 声は大きく、態度も大きく、威勢が良かったりもします。 一見すると豪放磊落な人

          絶望、を子に背負わせる親

          キラリ、光れば子育ては上出来

          たとえば運動会の徒競走で、懸命に走る我が子の姿に、矢も盾もたまらず大きな声で、子供の名前を連呼する、頑張れと叫ぶ、 そんな光景は、とてもあたたかい、と思うんです。 世の中に、あたたかいもの、は沢山有りますが母が子を、励まさずにはいられない、という心情は、 最もあたたかく最も尊いエネルギーを放つもの、のひとつだと思っています。 徒競走で走る我が子は、まだ幼さを残しながらも、もう、幼いばかりではありません。 自分の脚で立ち、自分の脚で、もっと速くと駆けるのです。 無力ではも

          キラリ、光れば子育ては上出来

          母は私を守ってくれた

          「父は呑んだくれては暴力を振るいましたが、母はいつも私を庇ってくれました。」 「私は今でも父が大嫌いですが、母の事は人として尊敬しています。」 「母が居なかったら、私は生きていない。」 暴力を振るったか否かは別にしても、父は悪いが、母は良い、という事を話す生きづらい人は、とても多いのです。 冷水をかけるつもりは無い事をお断りした上でお話しさせて頂くならば、 その人が言う様な、極悪人と聖母の組み合わせを、私は映画やドラマ以外であまり見た事が無い様に思うのです。 酒を呑ん

          抗って生きているから生きづらい

          自分のこと、ってなかなか解らないものだと思います。 ましてや、何らかの出来事があり、生きづらさを抱えてしまった人は、尚更です。 生きづらい人は、大半の場合、自分の感情を蔑ろにしなくてはならない幼少期を過ごし、 その為に、自分の感情を掴まえることが極端に苦手になっています。 つまり、自分がどんな人間なのか、という自己像が極めて曖昧なのです。 自分の感情を蔑ろにしなくてはならない環境とは、親の感情を優先しなくてはならない環境、です。 親の顔色を伺い、親の感情を察知し、

          抗って生きているから生きづらい

          機能不全家庭は壮大で悲しいごっこ遊び

          機能不全家庭とは、家族の一人ひとりが各々の機能、つまり、父親は父親としての役割、母親は母親の、子供は子供の、役割を果たせていない家庭を指します。 原因は、親の心にあります。 端的に言うと、親が情緒未成熟なのです。 見た目は立派な大人であり、子を持つ親ですが、情緒は未成熟で幼児のまま、という事です。 本来、親子関係は、徹底的に無力な子供を、強い親が守り、受け容れる事で成り立ちます。 しかしそれには、親の情緒が、親としての役割を果たす事が出来る段階まで成熟を遂げている事

          機能不全家庭は壮大で悲しいごっこ遊び

          誉めて伸ばす、は本当か?

          親が子供の劣った部分、至らない点、欠点、失敗などにばかり着目し、 あら探しをするかの様に、指摘し、叱る事が、 子供の健康的な心の発達を阻害する事は、分かり易いと思っています。 ならば昨今、巷でよく耳にする、「誉めて伸ばす子育て」が理想的なのでしょうか? 私は、叱ってダメなら誉めればよい、という様に、簡単な話しでは無い、と思っています。 子供を誉めることが、時として、子供を縛り、追い詰め、苦しめる事になるから、です。 確かに、子供の欠点や失敗をあげつらって叱る事は子供に

          誰に怒ってる?親に!

          機能不全家庭は、強烈な生きづらさを抱える親が、その生きづらさから目を背ける為にある場所、です。 あたたかな団らんの場所でも、子供が巣立つまでの安心・安全の場所でもありません。 しかし機能不全家庭の親は、あたたかな家族であるかの様に体裁を整える事に熱心です。 子供思いの親である体を保とうと必死です。 その実、機能不全家庭の親は、団らんを知りませんし、安心・安全な巣に暮らした事もありません。 何故なら、機能不全家庭の親は、機能不全家庭に生まれ育った人だから、です。 実