伴走者ノゾム@TSL/Tsubasa Spirit Laboratory

感じる・考える、のバランスを整え『生きづらさを手放す』ことを核に『軽やかに活き活きと生…

伴走者ノゾム@TSL/Tsubasa Spirit Laboratory

感じる・考える、のバランスを整え『生きづらさを手放す』ことを核に『軽やかに活き活きと生きる』をサポート。 TSL/Tsubasa Spirit Laborator代表、心理カウンセラー カウンセリングに関するお問い合わせ・お申し込み 📩tslnozomu@gmail.com

最近の記事

抗って生きているから生きづらい

自分のこと、ってなかなか解らないものだと思います。 ましてや、何らかの出来事があり、生きづらさを抱えてしまった人は、尚更です。 生きづらい人は、大半の場合、自分の感情を蔑ろにしなくてはならない幼少期を過ごし、 その為に、自分の感情を掴まえることが極端に苦手になっています。 つまり、自分がどんな人間なのか、という自己像が極めて曖昧なのです。 自分の感情を蔑ろにしなくてはならない環境とは、親の感情を優先しなくてはならない環境、です。 親の顔色を伺い、親の感情を察知し、

    • 機能不全家庭は壮大で悲しいごっこ遊び

      機能不全家庭とは、家族の一人ひとりが各々の機能、つまり、父親は父親としての役割、母親は母親の、子供は子供の、役割を果たせていない家庭を指します。 原因は、親の心にあります。 端的に言うと、親が情緒未成熟なのです。 見た目は立派な大人であり、子を持つ親ですが、情緒は未成熟で幼児のまま、という事です。 本来、親子関係は、徹底的に無力な子供を、強い親が守り、受け容れる事で成り立ちます。 しかしそれには、親の情緒が、親としての役割を果たす事が出来る段階まで成熟を遂げている事

      • 誉めて伸ばす、は本当か?

        親が子供の劣った部分、至らない点、欠点、失敗などにばかり着目し、 あら探しをするかの様に、指摘し、叱る事が、 子供の健康的な心の発達を阻害する事は、分かり易いと思っています。 ならば昨今、巷でよく耳にする、「誉めて伸ばす子育て」が理想的なのでしょうか? 私は、叱ってダメなら誉めればよい、という様に、簡単な話しでは無い、と思っています。 子供を誉めることが、時として、子供を縛り、追い詰め、苦しめる事になるから、です。 確かに、子供の欠点や失敗をあげつらって叱る事は子供に

        • 誰に怒ってる?親に!

          機能不全家庭は、強烈な生きづらさを抱える親が、その生きづらさから目を背ける為にある場所、です。 あたたかな団らんの場所でも、子供が巣立つまでの安心・安全の場所でもありません。 しかし機能不全家庭の親は、あたたかな家族であるかの様に体裁を整える事に熱心です。 子供思いの親である体を保とうと必死です。 その実、機能不全家庭の親は、団らんを知りませんし、安心・安全な巣に暮らした事もありません。 何故なら、機能不全家庭の親は、機能不全家庭に生まれ育った人だから、です。 実

        抗って生きているから生きづらい

          ボクは幼稚なおもちゃで遊びたい、ペルソナとシャドウ

          その人は幼い頃、好きな物を否定されました。 大好きなヒーローのおもちゃが欲しい、と言った時父親は、 「そんな幼稚な物が欲しいだなんて、恥ずかしい。」と言い、 その後延々と、ヒーローのおもちゃがどんなに幼稚で、どんなに役にたたない物か、 それを欲しいと思うことが、どれ程恥ずかしい事か、 嫌と言うほど、聞かされました。 聞かされた、と言うよりも、なじられました。 父親は何も買ってくれない訳ではありません。 誕生日には、知育玩具と呼ばれる、遊ぶには簡単な計算が必要なおもちゃと、

          ボクは幼稚なおもちゃで遊びたい、ペルソナとシャドウ

          心地よさを探すことは、人生から危険を除くこと

          生きづらい人にしても、悩み多き人にしても、つまり現状が心地よくない人は、 得てして、外に原因を探し、その外の原因を何とかしようという思考にはまり込んでいる、と思うのです。 力尽くで排除するのか、 上手に立ち回って回避するのか、 方法は何通りも有るでしょうが、とにかく外に働きかけて、外を何とかしようと試みます。 ところが、私達がコントロールする事が出来るのは、自分の心だけです。 他者の心も、外で起きる出来事もコントロールの外に有ります。 要するに、心に生きづらさを抱え

          心地よさを探すことは、人生から危険を除くこと

          心ない言葉

          心ない、、、という表現があります。 思いやりや思慮、分別、に欠ける言動、そして、その言動の主に対して用いられます。 例として挙げるなら、 言動について用いられる場合は、 心ない言葉に傷つく、 心ない振る舞いを目にして眉をひそめる、 といった使われ方をします。 言動の主に対して用いられる場合は、 心ない観衆が会場に大量のゴミを残す、 心ない花見客が桜の枝を折る、 といった具合です。 言動に対して用いられる場合も、 言動の主に対して用いられる場合も、 其処に欠けている

          そもそも自分という存在が腑に落ちない

          生きづらい人は、生まれてから今日までの自分にまつわるあらゆる事が、腑に落ちていません。 自分の成り立ち、自分が生きて来た道のり、 もっと言うなら、自分という存在が腑に落ちていないのです。 だから、目の前のやるべき事に集中出来ません。 腑に落ちていない自分の、目の前のことなど取るに足りないことに思えます。 事の大小に関わらず、目標が定まりません。 どうにも腑に落ちない自分という存在の人生なんか、なんだか他人事に思えて、目標なんて定まる筈がありません。 皆が、これが

          そもそも自分という存在が腑に落ちない

          他人を貶めることが喜びになっている人

          自分が自分を無価値だと感じていると、その矛先は往々にして他者への攻撃性として現れます。 抱える無価値感が深刻である程に、攻撃性は激しさを増します。 その意味では、生きる姿勢が常に好戦的な人は、自分自身を直視出来ない程に、自分には価値が無い、と思い込んでいる、と言えます。 私達にはもともと、他者よりも優れていたい、自分の優位性を誇示したい、という欲求はあります。 それは、生き物が種を保存する上で必要な事ですので、有って当然の欲求です。 鳥が、自分はこんなにも綺麗で大き

          他人を貶めることが喜びになっている人

          虐める人は虐めることを悪いとは思わない

          虐待する親は虐待を、子供の為の教育や躾けだと思っています。 いじめっ子は虐める事を、親しさの表現だと思っている場合が多々あります。 思っている、と表現しましたが、伝わり辛い事なのですが、 虐待する親も、いじめっ子も、心の奥では、自分が虐待している事、自分が虐めている事を知っています。 その証拠に、虐待も虐めも、大っぴらに行われる事は少なく、閉じられた中で、密かに行われる事が大半です。 大っぴらにしない、という事は、良くない事をしている、という認識がある、という事です。

          虐める人は虐めることを悪いとは思わない

          自分の人生を生きるから、その契約書にサインはしない

          その人は自分で、自分の抱える生きづらさ、に気がつきました。 そして、その重たい生きづらさを手放して、軽やかに人生を歩みたい、と思いました。 生きづらい人が、自分が抱える生きづらさに気がつく事は簡単ではありません。 何故なら、生きづらい人は、ずっと重たい生きづらさを引きずって生きて来たのです。 軽やかな心持ちになった経験がありません。 だから、気がつく事が難しいのです。 それでも、その人は気がついたのですから、如何に苦しみが大きかったのか、がうかがい知れます。 気がつい

          自分の人生を生きるから、その契約書にサインはしない

          生きづらさを手放す時の孤独感

          生きづらさを手放すと、今まで見えていなかった様々な事がいっぺんに見える様になります。 親は、お前の為を思って、と言っていたけれど、 本当は、子供である自分を都合よく利用していた、という事が見える様になります。 親は、この家庭はあたたかい、と言っていたけれど、 本当は嘘と、子供が犠牲になる事で成り立っている危うくて冷たい場所だった、という事が見えてしまいます。 親は、親自身が抱える重大な生きづらさから目を逸らす為に、子供を一人の人として尊重するのでは無く、道具として利用し

          生きづらさを手放す時の孤独感

          目隠しをとって心を見る

          親が、お前の為…、と言いながら都合よく子供を利用して、本当は自分の事しか考えていない、という親子関係は少なくありません。 親がこと更に、親子であること、や家族の絆、を強調しながら、実はお互いに疑いを持っている家庭は少なく無いのです。 そういった秘められた特徴を有する家庭は、機能不全家庭です。 そんな家庭に育った人は、目の前の人がどんな気持ちで言葉を発したか、 どんな感情で行動したのか、ということが理解出来ない場合が多く見られます。 生まれてからずっと、お前の為、と言い

          機能不全家庭は何故連鎖するのか

          親が、子供をひとりの人として尊重する能力が乏しい時、 その親子関係は、支配と従属の関係性になってしまいます。 健康的な親子関係は親が子供をひとりの人として尊重する事で築かれます。 親子関係に尊重が欠ける時、その親子関係は歪なものになります。 親が親としての機能を果たさない、生きづらさを作り出す機能不全家庭と呼ばれる家族形態になります。 しかし、親も子も、自分達の親子関係が支配する者、される者の関係性であるとは、思っていません。 その親子は子供が生まれた時から、当たり前

          機能不全家庭は何故連鎖するのか

          子供に甘える親

          お腹を痛めて産んであげたんだから言ったって構わない、 苦労して育ててあげてるんだから言っていい、 この感覚が子供を、道具、として便利に使う親の感覚です。 但しその親は、自分が子供を道具として便利に使っている、とは意識していませんし、 生んであげた、育ててあげている、などと恩着せがましい気持ちを持っている事も意識の外です。 意識の上では、自分は愛情深い親だ、子供の事ばかりを考え、思い、生きている、と思っています。 その親は大人相手だと口にしない様な事を、我が子にだけ言う

          外に敵をつくる心理

          外に恣意的に敵を作り出すことは、世の中に多くあります。 大きな事で言えば、国家が外に敵を作り、国民がその敵を憎む事で、一つになる様に仕向けます。 小さな事で言えば、ある人が明らかに自分に非が有る失敗をして、それを誤魔化す為に、外に皆が批難するであろう敵を作ります。 こういった事は、国家なら国家、個人なら個人に、他者に触れられたく無い、或いは自分が触れたくない弱みが有る時に、 外に恣意的に敵を作り出す事で、周囲の注意、或いは自分の意識を、 作り出した敵に向けさせる、言わば