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ハードボイルド書店員日記【204】

ハードボイルド書店員日記【204】

「いらっしゃいませ!! お、本屋さん」

その呼び方は誤解を招く。

職場が入っている商業施設から徒歩数分。雑居ビルの一階にあるラーメン屋へ足を運ぶ。L字カウンターだけの空間だ。鉛を詰め込まれた身体をいつもの席へ落ち着かせる。店主さんとは同世代。たまに雑誌やマンガを買いに来てくれる。

「景気はどう?」
「連休は混みますね。疲れました」
「どんな本が売れてる?」
高確率でこの質問が飛んでくる。

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ハードボイルド書店員日記【203】

ハードボイルド書店員日記【203】

「政治の本、ここに出てるだけ?」

人手不足の平日。突休(とつやす)がふたり。レジカウンターを抜けられるのはわずか一時間。入荷量から判断すると、昼休みを短縮しなければ品出しが終わらない。

自分も他者も同じ人間。誰かに推奨できない働き方を己に許す局面が人生に皆無とは思わぬ。だが明らかにいまではない。

補充分を該当する棚へ差していく。

窮屈に詰めるとお客さんが取り出せない。本を傷める原因にもなる

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ハードボイルド書店員日記【202】

ハードボイルド書店員日記【202】

<2024年9月3日>

「御無沙汰してます」
穏やかな火曜の午後。レジで背の高い中年男性に声を掛けられた。赤いTシャツの胸元に”GERMAN SUPLEX THE EVEREST STYLE”と黄色いプリントが施されている。そうか今日だ。
「お久しぶりです。行かれるんですか?」
「ええ。久し振りに有休を取って」
「いいですね。楽しんできてください」
彼は年中プロレスのTシャツかパーカーを着ている

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ハードボイルド書店員日記【201】

ハードボイルド書店員日記【201】

<元気が出る言葉>

「あ、お久しぶりです!!」
かつての職場。休日の午後に訪れ、スポーツ書の棚を眺める。元・後輩に見つかった。相も変わらず接客業向きの笑顔。品出しが忙しそうだから声を掛けなかったのに。

「元気そうで何より」
「そうでもないっす。昨日バイトの子が辞めちゃって。レジの打ちミスが直らないんでちょっと厳しく注意したら」
「覚えないと次行けないな」
「ですよね! たぶんZ世代の感覚だと、

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ハードボイルド書店員日記【200】

ハードボイルド書店員日記【200】

「すいません、ちょっといいですか?」

暑さの続く平日。ゲリラ豪雨に備え、連日折り畳み傘を鞄へ忍ばせている。雨が降って涼しくなるならまだしも、湿気が増すだけだったりするからやり切れない。

品出しがひと段落した昼下がり。姿勢のいい女性に声を掛けられた。見覚えがある。先週息子さんと一緒に来て「ドラえもん」(小学館)の11巻を購入してくれた人だ。今日はひとりらしい。

「いらっしゃいませ」
「あの、先

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ハードボイルド書店員日記【199】

ハードボイルド書店員日記【199】

「ほら、早く決めなさいよ」
お盆期間の児童書売り場。課題図書が並んだコーナーの前で男の子が母親らしき女性と話している。たぶん小学生だろう。青いTシャツを着てドジャースのベースボールキャップを被っている。

「大谷の絵本は?」
「ダメダメ。学校の宿題なんだから、ちゃんとした本にして」
絵本もちゃんとした本では? 学習参考書の棚整理をしながらそんな言葉を飲み込む。
「じゃあマンガ」
「もっとダメでしょ

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ハードボイルド書店員日記【198】

ハードボイルド書店員日記【198】

「ひとつ訊いてもいいですか?」
「どうぞ」
「先輩の考える『カッコよさ』って何すか?」
「あれだね。吉川晃司」
「ああイケオジ」
「いや、そういう意味じゃない。そういう意味も含んでるけど」
「生き様とか?」
「そんなの軽々しく語れない。俺は彼の人生のほんの一部にしか触れてないから」
「まあそうっすね」

「きっかけは学生時代、深夜に聴いていたラジオ番組」
「吉川さんの?」
「いや、とある女性声優が

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ハードボイルド書店員日記【197】

ハードボイルド書店員日記【197】

「すいません、ひとつ訊いてもいいですか?」

灼熱の土曜日。だが商業施設の中は人工的に涼しく、空気が乾いている。喉の奥に感じるざらつきが不気味で仕方ない。
黒髪をポニーテールに纏めた若い女性。オーバーサイズ気味の白いTシャツの真ん中に「YEET」という青い文字がプリントされている。

「これってリメイクなんですか?」
レジカウンターの上に村上春樹「街とその不確かな壁」(新潮社)が置かれる。昨年4月

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ハードボイルド書店員日記【196】

ハードボイルド書店員日記【196】

<ヤナギダクニオ>

「すいません、ヤナギダクニオさんの本はありますか?」
物腰の柔らかい女性。同僚がレジを離れ、カウンターの脇へ移る。彼はかなりの読書家だ。慣れた手つきで「柳田国男」と端末のキーを打つ。
「いまこちらに置いているのは角川ソフィア文庫の『新版 遠野物語』だけですね。何かお探しのものはございますか?」
「タイトルはわからないのですが、脳死状態になったお子さんのことを書いた本で」
「脳

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ハードボイルド書店員日記【195】

ハードボイルド書店員日記【195】

<蔵書を売る>

路地を曲がったところの独立系書店。
広さは10坪程度だろうか。大型本は什器に立てかけられ、他は平積みかジャンルごとに木の箱へ収められていた。
奥に古書用のエリアが設けられている。ピザやパスタの作り方を紹介する並びに荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」33巻(集英社)の新書版が混ざっていた。

「やるなあ」
手に取ってつぶやく。
「やるでしょう」
振り向く。カウンターの中に座っている

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ハードボイルド書店員日記【194】

ハードボイルド書店員日記【194】

<20歳と84歳>

「宇佐見りんの『かか』はありますか?」
「ございます」
大学生らしき小柄な女性。ビジネス書のエリアで声を掛けられた。河出文庫の棚へ移動し、くだんの本を抜き出す。1999年生まれの著者は本作で2019年の文藝賞を受賞し、デビューを果たした。
「あの、もうひとつ」
「何でしょう?」
「この人の『推し、燃ゆ』を好きな子が気に入ってくれそうな本、もしご存知でしたら」
「小説ですか?」

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ハードボイルド書店員日記【193】

ハードボイルド書店員日記【193】

<バーサーカーをさがしています>

資格書のコーナー。下のストッカーから売れた分を補充し、傾いた棚を整える。相変わらずFP関連が好調だ。スーパーヘビー級の外国人男性に呼び止められる。スマートフォンの画面を見せられた。
「わたしはバーサーカーをさがしています」
何のことだ。そんなタイトルの小説は寡聞にして知らぬ。本じゃないとしたら見失った友達の名前? まさか「ドラクエ2」の関連グッズとかではないだろ

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ハードボイルド書店員日記【192】

ハードボイルド書店員日記【192】

<いずれにせよ>

荻窪にある本屋Titleの店主・辻山良雄さんが書いた「しぶとい十人の本屋」(朝日出版社)が売れた。購入したのは眼鏡をかけた女性。
Titleは私にとって理想的な本屋のひとつだ。思わず話し掛けようとし、カウンターへ置かれたもう一冊に気づく。寄藤文平さんの本。「しぶとい~」の装丁は彼と垣内晴さんの仕事である。
本を買う目的や理由はひとつじゃなくていい。いずれにせよありがとうございま

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ハードボイルド書店員日記【191】

ハードボイルド書店員日記【191】

「スカスカだね」

土曜の午後。混雑するレジを抜け、担当エリアの棚整理をする。ポロシャツを着た白髪の紳士に声を掛けられた。ノンフィクションのコーナーを見ながら渋い表情を浮かべている。

「申し訳ございません」
「棚卸が近いの?」
「実は」
元・同業者かもしれない。
「会社からもっと返品しろって言われてるんでしょ? 箱数でノルマとか」
図星だ。ここの棚卸は、店に出ている本の価格と数を業者が閉店後から

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