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#エッセイ
さよーならまたいつか!
遠い昔、二十代の頃の話である。
私はどうしても「作家」というものになりたかった。
そのためには、新人賞を受賞してデビューすることしか思いつかなくて、いくつもの文芸雑誌に応募していた。
当時の私は、どうすれば最終選考に残れるのか、受賞するにはどんなふうに書けばいいのか、そんなことばかり考えていた。
二次選考や三次選考を通過しただけでは意味がない。最終選考の5~6人に残らなければ講評を書いてもらえる
「そうあれかし」と人生は。
その日、息子は慟哭しました。
4歳児の小さな体躯を縮めながら、積もりに積もった思いの丈を絶叫しました。
「おれのジンセイはサイアクだ!!」
戯言と聞き流すことのできない緊迫した空気を、彼はその身に纏っていました。
「おれ、の、じんせいは、さい、あくだ。」
彼は同じ台詞を再び言葉にしましたが、嗚咽が混ざって先程よりも細切れに掠れた声でした。その夜、妻は外出していましたから、部屋には
ライフイズビューティフル
路上ですれ違った三歳くらいの男の子が、か弱い声で泣いていた。
右手にウサギのぬいぐるみを抱き抱え、左手はママの手に預けている。俯き加減で泣きながら、それでも立ち止まらず、駄々をこねたりもせずに、一歩一歩足を運んでいた。
ほんの一瞬すれ違っただけで、私はもう胸が詰まって苦しくなって、今にも自分が泣き出しそうになる。
全然、面識のない母子なのに。
背景もわからないし、泣いている理由も知らないのに。
こんなわたしですけれど
今回で投稿が150回となりました
一年の365日を、週に換算すると 52週と1日
うるう年の今年は52週と2日
投稿は ほぼ週一回のペースなので、50回をこなすには 約一年かかることになります
折に触れて、noteへの向き合い方をお話してきました
noteは 仕事や生活をこなした上でのお楽しみ
noteを開く時間は ある意味自分へのご褒美です
疲れを癒し、気持ちをリセットし、元気をチャージする
【福祉講師】見えにくくて聞こえにくい私だからこそ伝えていきたい
大勢が集まる場は見えにくくて聞こえにくかった。
小学校・中学校・高校・大学・会社。弱視難聴でありながら、目の見える・耳の聞こえる人ばかりの環境で生きてきた。どこでも、環境整備をして、周囲に理解してもらいながら、それなりに努力して、精一杯生きてきた。結果もついてきて頑張ったと思う。
でも、どこにおいても、見えにくくて聞こえないことを痛感し、「どうしよう、今ちょっとツライな」と思う場面は多かった。
小さな奇跡を起こすのは、いつだって一歩前へ進む勇気。
気づけばフリーライターという仕事を始めて25年が経つ。
ただ、ずっと順風満帆だったかといえば、決してそんなことはない。請け負っていた案件がクライアントの都合でほぼゼロになったこともあるし、仕事量が増えるばかりで自分が書きたいものは書けないと悩んだこともある。
人脈も何もないところからのスタートだったので、最初の頃は「何でもやります!」のスタンスで仕事を請けてきた。
だから、あらゆる媒体でいろんな