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離婚後一年で気づいた意外なこと
私は今現在2歳の息子を育てる26歳のシングルマザーです。
このnoteでは約1年前にシングルマザーとして生きていくことになった私が、
ひとり親という状況になって初めて、
「他人を勝手に、〇〇な人というようにジャッジしてはいけない」ということに気がついたお話です。
私自身が「ひとり親」というカテゴリの中に自分が属したことによって、良くも悪くも様々なことに気が付いたり、発見がありました。
そう
離婚しなければならない事態に遭遇した時
人生、どうにもならないことに遭遇することは、誰しも一度は経験すると思います。
そのどうにもならないことは、自分の力量不足だったり、そもそも自分の力が及ばない範囲であったりすることがあるでしょう。
どう努力しても、どんなに時間をかけても、どうにもならないことは一向にどうにもならない。
「もう辞めてしまおうか」と思った途端に、
「自分の頑張りが足りないだけなのかもしれない」と思い直したり、悔し
わたしが性善説を信じてい理由
私はいまだに、日常生活において性善説を捨てきれていない。
「本当の悪を持っている人はいないのではないか」と思えてしまうのです。
言わずもがな、凶悪的な行動、生死に関わるような事件等の犯罪者については、次元がまた違ってくるのでここでは触れません。
日常生活において、誰もが一度は感じたことのあるような他者からの悪意や言動は、その人の心の奥底から沸き上がる悪意を基に発せられたものではないと私は感じ
困難な状況に陥った時の気持ちの転換法
人生、どうにもならないことに遭遇することは、誰しも一度は経験するかと思う。
そのどうにもならないことは、自分の力量不足だったり、そもそも自分の力が及ばない範囲であったりすることがある。
どう努力しても、どんなに時間をかけても、どうにもならないことは一向にどうにもならない。
「もう辞めてしまおうか」と思った途端に、「自分の頑張りが足りないだけなのかもしれない」と思い直したり、悔しさが込み上げて
1人の人間が亡くなるということ
誰もが生涯で1度は、身近な人物が亡くなるという経験するかもしれない。
私は身近な人物の死を経験するまでは、人の死はただただ悲しいものだと考えていた。故人との関わりが深ければ深いほどに、その悲しみは深いものになるのだろうと漠然と死を捉えていた。
しかし昨年祖母が亡くなり、身近な人の死とは単純に「悲しい」ということだけではないと実感した。
時に死とは、ややこしく複雑で混沌としたものであると思えた
イライラをゴミ箱にダンクシュートするコツ
仕事中にふと言われた同僚からの一言や、コンビニやスーパーの店員の態度など、些細な言動で人の心は一瞬にして凍り付いたり、舞い上がったりする。
気分よく舞い上がれる時は良いとして、時に一瞬にして心が凍り付くような言動を取られた時は胸糞悪くないだろうか?
私は過敏で面倒な性格故に、かなり傷つくし胸糞悪い。
以前、胃カメラを受けた際、病院でお会計を5千円以上多く請求されていたにも拘らず、帰宅後なんの
「HSP」は祟りでもなんでもない
ここ数年、HSPという言葉が話題になってきました。
それに関する本が出版されたり、芸能人でもカミングアウトする人がいましたね。
私自身もHSPなのですが、判明したきっかけは、この言葉が話題になる少し前に母から指摘されたことです。
・幼少期より人の言葉や雰囲気に敏感すぎる
・光や音を遮ることを好む
・生まれたばかりの頃から大人になっても睡眠時間が異常に長い
こんな私の特徴から、母は私がH
自分の中のイエスマンを消滅させた話
私はかつて「イエスマン」だった。
家族にも友人にも会社組織でも.......
無論何もかも「Yes」と答えていたわけではない。しかしその物事が重要であればある程、私の答えの「Yes率」が上昇していった。
自分をよく見せる為に「Yes」と答えていたわけでは決してない。究極的な場面であればある程、相手をがっかりさせたくないという心理状態に陥り、気付けば「Yes」しか言えなくなったのだ。
「No
置かれた状況に耐える必要性がないって話
誰しも美味しい空気を吸いたいと思っている。
地球に生きている私たちは空気が無いと生きていけないし、どうせ吸うなら美味しい空気を吸いたい。
しかし美味しい空気を心から堪能できている人は、どのくらいの割合で地球上に存在しているだろうか。
自分に合わない環境に身を置く人は世の中に多く存在しているように思う。
生まれながら絶対的な存在だと思い込んでいる価値観の合わない親、謙遜することが美徳だとされ
失敗からは何も見えない
私は20代で結婚離婚を経験した。
離婚までかなりの月日を要した所謂、泥沼離婚だった。
双方弁護士に依頼し協議を経て、調停にてようやく離婚成立という、そこそこに恥をさらしまくる結果となった。
当時は周囲へ心配迷惑をかけまくり、申し訳ない気持ちで一杯だった。
しかし私はこの経験を失敗だとは思っていない。(もちろん実家族には口が裂けても言えない)
理由は私の場合、失敗にはついつい蓋をしたくなる
人生が上手くいかなくてイライラする時
2年前、一文無しズタボロ状態でモラハラな旦那様のもとから逃げてきた私は、1年後に"それなりのお金"を得ることができるなんて予測も検討もつかなかった。
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人生は良くも悪くも何が起こるか分からない。
ある程度予測できることがある一方で、全く予測不可能なことが起きることだってある。
さらに明日明後日など直近のことよりも、10年後
「ありのままで生きることの難しさ」
私は、ありのままで生きることへの難しさを常に感じていた。
本来の自分のままで生きると、ただの野生児にようになってしまう。(そう感じてしまう)
社会では様々な人と関わり、協力し合って生きていかなければならない。そういった中で、本来の自分を通しながら生きていくことは非常に困難に思えた。
相手の気持ちを汲み取り、相手がその時望む言葉を発すれば、様々な場面で大抵上手くいった。そうなると自分が思ったこ
人生は究極の思い込みで成り立っていた話
人生では様々な出来事が日々起こっている。
そしてその出来事は、ポジティブである可能性、ネガティブである可能性の両方がある。
しかし次に起こり得る出来事が、良いことか?それとも悪いことか?なんて予想不可能であり、もちろん選択することもできない。
仕事で失敗するようことがあれば落ち込むし、反対にプライベートが上手くいけば舞い上がる。
日々の出来事に一喜一憂しながら、毎日を生きることになる。