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本能寺の変1582 目次小 13上総介信長 2富田聖徳寺 第94~99話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 13上総介信長 2富田聖徳寺 第94~99話 

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 第94話
 ・
天文22年1553  
  
平手政秀が自害した。               『信長公記』
  信長は、「上総介」を称していた。         『信長公記』
  信長は、政秀寺を建立した。

 
第95話
  
道三と信長が富田聖徳寺で会見した。
  道三からの、申し出であった。           『信長公記』
  信長は、これを請けた。              『信長公記』
  道三は、信長の風体を見定めようとした。      『信長公記』
  其の時、信長の御仕立。              『信長公記』
 ☆信長は、弓・鉄砲を五百挺持っていた。       『信長公記』
 ☆力こそ、正義。

 
第96話
  
たわけを態と御作り侯よ。             『信長公記』
  道三、登場。                   『信長公記』
  であるか。                    『信長公記』
  程なく、会見は終わった。             『信長公記』
  道三は、信長に感服した。             『信長公記』
  三間々中柄の朱やり、五百本ばかり。        『信長公記』
  たわけ人と云ふ事、申す人これなし。        『信長公記』 

 
第97話
 
☆三好義賢の下剋上。               「足利季世記」
 ☆日本中に、下剋上が蔓延していた。

 
第98話
  
清洲城は、斯波氏の守護所である。
  信長は、斯波義統を懐柔しようとしていた。
  義統の家臣が、信長に通じた。           『信長公記』
  信長は、清洲城を攻め倦ねていた。         『信長公記』
  そうしている間に、義統の謀が漏れた。       『信長公記』
  清洲織田氏の実権は、小守護代坂井大膳の手に移っていた。
  大膳は、嫡男義銀が川狩りに出かけた隙を狙った。  『信長公記』
 ☆大膳は、斯波義統を殺害した(下剋上)。       『信長公記』

 
第99話
  
斯波義銀は、信長を頼った。            『信長公記』
  信長は、大義名分を得た。
  信長は、類い稀なる策謀家だった。         『信長公記』
  信長は、義銀を手厚く保護した。          『信長公記』
  信長は、清洲を攻めた。
  中市場の合戦。                  『信長公記』
  信長の勝利である。                『信長公記』
  天道、恐ろしき事どもなり。            『信長公記』
 ☆信長は、立派な戦国武将に成長していた。
 ☆光秀も、同時代の戦国武将である。
 ☆戦国時代の風潮が、光秀という男をつくった。



 ⇒ 次へつづく
   目次小 13上総介信長 3三好長慶の下剋上 第100話 


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