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本能寺の変1582 第96話 13上総介信長 2富田聖徳寺 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第96話 13上総介信長 2富田聖徳寺 

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たわけを態と御作り侯よ。

 信長の容姿は、一変した。
 いよいよ、二人の戦いのクライマックスである。  

  (信長は)寄宿の寺へ御着きにて、屏風を引き廻し、

  一、御ぐし(髪)、折り曲に、
    一世の始めに(生まれて初めて)、ゆ(結)わせられ、

  一、何(いつ)染め置かれ侯、知り人なき、かちん(=褐色)の長袴を
    めし、

  一、ちいさ刀、是れも人に知らせず拵(こしら)えをかせられ侯を、
    さゝせられ、
    御出立を、(信長の)御家中の衆、見申し侯て、
    さては、此の比、たわけを態(わざ)と御作り侯よと、
    肝を消し、各次第々々に斟酌仕り侯なり。

  御堂へ、する々々と、御出でありて、
  縁を御上り侯のところに、春日丹後・堀田道空、さし向ひ、
  はやく御出でなされ候へと、申し候へども、知らぬ顔にて、
  諸侍、居ながれたる前を、する々々、御通り侯て、
  縁の柱にもたれて御座侯。

道三、登場。

 道三の頭脳は、混乱していた。

  暫く侯て、屏風を推しのけて、道三、出でられ侯。

であるか。

 緊迫のうちに、会見が始まった。

  又、是れも知らぬかほ(顔)にて御座侯を、
  堀田道空さしより、是れぞ山城殿にて御座侯と、申す時、

  であるかと、仰せられ侯て、

  敷居より内へ御入り侯て、道三に御礼ありて、
  其のまゝ、御座敷に御直り侯ひしなり。

程なく、会見は終わった。

 互いに、「盃」を交わす。
 祝着。
 滞ることなく、無事終了。

  さて、道空、御湯付(湯漬け)を上げ申し侯。
  互に、御盃参り、道三に御対面、残る所なき御仕合なり。

道三は、信長に感服した。

 道三は、信長に圧倒された。

  (道三は)附子(ぶす=苦虫)をかみたる風情(ふぜい)にて、
  又、やがて参会すべしと申し、罷り立ち侯なり。

三間々中柄の朱やり、五百本ばかり。

 信長の行列は、華麗だった。

  (道三は)廿町許り御見送り侯。
  其の時、美濃衆の鎗はみじかく、
  こなたの鎗は長く、扣(ひか=控)え立ち侯て参らるゝを、
  道三見申し侯て、興をさましたる有様にて、有無を申さず罷り帰り侯。

  途中、あかなべと申す所にて、
  猪子兵介、山城道三に申し様は、
  何と見申し侯ても、上総介はたわけにて侯と申し侯時、

たわけ人と云ふ事、申す人これなし。

 信長は、道三を魅了した。
 道三は、信長が気に入った。
 「同じ穴の狢」
 ならばこそ、わかるのであろう。
 「底知れぬ恐ろしさ」
 その様な何かを、感じ取ったものと思う。
 「すさま(凄ま)じき男、隣には、いやなる人にて侯」*
 以後、最大・最強の理解者・協力者となる。

  道三申し様に、
  されば、無念なる事に侯。
  山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事(=家臣になるの意)、
  案の内にて候と計り申し侯。

  今より已後、道三が前にて、たわけ人と云ふ事、申す人これなし。
                           (『信長公記』)

  *【参照】第102話 13上総介信長 4道三の援軍
       たわけ人と云ふ事、申す人これなし。
       
「すさま(凄ま)じき男、隣には、いやなる人にて侯」




 ⇒ 次へつづく 第97話 13上総介信長 2富田聖徳寺 



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