見出し画像

本能寺の変1582 目次小 13上総介信長 1信秀の死 第91~93話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 13上総介信長 1信秀の死 第91~93話 

はじめに ←目次 
←前回 目次小 12光秀と斎藤道三 5光秀の三十代 第90話 
                  *「・」は、年次マークです。 
                  *「☆」は、要注意マークです。

 第91話
 ・
天文二十一年1552
  
織田信秀、没。                  『信長公記』
  信長、この時十九歳。
  本能寺の変の、ちょうど30年前のこと。
  葬儀は、万松寺で執り行われた。          『信長公記』
  信長は、仏前へ抹香を投げつけた。         『信長公記』

 
第92話
  
信長は、弟信勝に末盛城を与えた。         『信長公記』
  信長の織田氏は、求心力を失った。
  鳴海の山口教継、謀叛。              『信長公記』
  背後に、今川義元あり。              『信長公記』
  赤塚の合戦 。                   『信長公記』
  信長の、最初の合戦である。            『信長公記』
  初めての合戦は、引き分けに終わった。       『信長公記』
  信長は、この戦いから、多くのことを学んだ。    『信長公記』
 ☆「鉄炮」について、記述なし。

 
第93話
  
清洲織田氏、離反。                『信長公記』
  信長は、那古野から萱津へ向かった。        『信長公記』
  萱津の合戦。                   『信長公記』
  信長の、二度目の合戦である。           『信長公記』
  信長は、この戦いに勝った。            『信長公記』
  信長は、一目置かれる存在になった。        『信長公記』



 ⇒ 次へつづく
   目次小 13上総介信長 2富田聖徳寺 第94~99話 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?