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内面の想いやうつだった日々のこと

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産後うつに苦しんだことと、そこから学んだこと。 そして日々の時間の中で感じる気持ちを掬い取って、言葉にしたいと思い書きました。
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#note

霧と光と影〜桜の咲くころ

霧と光と影〜桜の咲くころ

霧が出てきたなぁ、季節が動いているなぁと冬の終わり、そんな頃に思い浮かべたことを記事を書こうと思っていたら桜が目の前で揺れる季節になっていた。

自室の勉強机の前の窓から庭に咲く山桜が見える。
今が満開。今だけちょっと日本みたいだ。

この家に越してきてから13年になるが、ずっと雑木林の一端だった土地が拓かれて隣に家が建とうとしてる。
最初の基礎工事の時は浴室の鏡が揺れるほどの振動だったが、今はカ

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親として、自分自身として。

親として、自分自身として。

昨晩、元夫のDと話し合いをした。
詳細は割愛するが、生活に密着した話で本当なら昨年のうちに話しておかないといけない類のものだったのだが、話し合い嫌さに何かと理由をつけて延ばし延ばしになっていた。
今年だってうかうかしていたら時は駆け足で過ぎ去って行く。精神衛生上ちゃんと話した方がいい。

1時間以上に渡った話し合いで、ヒートアップして大きな声も出てしまったので彼が帰った後、心配顔の娘(14歳)が部

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ただいま瞑想中。

ただいま瞑想中。

1月に入ってしばらくしたある日の夜、唐突に眩暈が始まった。ふだん眩暈などあっても一瞬なので目を閉じてもひたすら、瞼の奥でグルグルと世界が回転している状態に焦った。
それが丸一日半続いて3日目の朝、目を覚ましたら眩暈は終わっていた。
眩暈と一緒に軽い嘔気もあって、これが何かの風邪ウィルスによるものなのか、心因性のものなのか、もしや更年期障害か!?と焦ったがよく解らない。
ただ眩暈が起こる少し前に久し

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呟きのようなことを書きたくて...

呟きのようなことを書きたくて...

先日、元夫Dとハグをした。
それはこの4年間で終ぞなかった長さのハグになった。

最近9年ぶりにドイツ語のインテンシブコースに通っていて、疲れてお昼寝(夕寝)をしてたら家の用事で彼が来ていた。

頭がしっかり起きているいつもの自分だったら、私の意識はそんな風にすることを許さなかったはずだ。起き抜けで意識が鮮明でなかったから、ボーっとした頭は理性のネジが少し緩んでいて、ときにはそのくらいが良いみたい

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もう一度、信じることを闘ってみる

もう一度、信じることを闘ってみる

夏休みの不在から、自分が住む場所に戻って来て感じたことがありました。

“わたしはこの場所で、護られていたんだ”

という事です。

ずっともう長い長い間、ここに居ることが不満でした。

夫だったDと普通に暮らしていた時も、賑やかな家庭を築いてるその心の片隅ではいつも不満が居座っていました。

例えていうならそれは、
「旅の途中のあまり気に入らない中継地に居る様な感じ」

でもそこは中継地などでは

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心持ちが変わると見える景色も変わっていく。

心持ちが変わると見える景色も変わっていく。

ドイツにいる友人につらつらとLINEを書いた、今の思いを。
彼女、Yちゃんは私の三つ下でドイツでは珍しく義理両親と同居していて、素晴らしい良妻賢母の女性だ。

出逢ってもう12年くらいが経つ。
当初はこんなに深い付き合いが出来る関係になれると思わなかった。
異国で三十を越えて友人を持つことは難しい...と最初思ったが、意外にもその後ゆっくりと親しい友人が増えていって、今は友人達を思い浮かべるだけで

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越えていく記憶をそっと押して。

越えていく記憶をそっと押して。

自分の記事への返信を今、書いておこうと思います。

断食がもうすぐ終わるという頃...

唐突に思ったことがあり、しばらく呆然としました。

それが断食という「食を止める」ことからの肉体の反応として、ぽっかり浮かんできた思念かも知れませんが。

私が愛して、ずっと愛そうと思ったひとは今までの人生で一人かもしれない、ということ。

それは元夫のDでした。

今までの人生で愛してくれたひと達はいました

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「意味のある偶然」のこと。

「意味のある偶然」のこと。

先週の日曜日、ある教会でマンドリンとクラッシックギターとコントラバスのアンサンブルが催され、そこで友人がギターを弾く姿を、初めて間近で見ることが出来ました。

いつも遠慮気味で線の細い友人の、ギターを抱くその背筋が伸びた姿は凛として、とても美しく静かな気迫を感じました。
こうやって音楽に向き合い弾き続けて来たのだと、ギターを包むように前傾し真っ直ぐに伸びた背中を見ながら、彼女の音を最前列で聴いてい

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ほどけたいワタシというものは。

ほどけたいワタシというものは。

自分を赦すのが難しいのは何故なんだろう?
と、唐突にですが考えてみました。

歪められた自己イメージがあって、それに現在の生きた自分が縛られているからなのかな?

人格が形成する過程で、さまざまなな周囲の大人からの呪いの言葉のせい?

大人は、父親だったり母親、祖父母や先生など身近にいて影響力を持った人間で、当時の彼等を年齢的に追い越しても、心の中にいるその人は未だ大きな存在だったりします。
そし

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西から東へ,いつも旅の途上

西から東へ,いつも旅の途上

思い立ってベルリンへ来ている。

一週間前は、まだ神戸にいたというのに...この振り幅。
ドイツ人が嫌う spontan(思い立って予定外のことを突然する)な行動もここに極まり...という感じだ。

以前、午前中に思い立ってケルンに行く記事を書いたが、ベルリンはケルンと違ってなかなか遠い。

誰にも、家族にも言ってないので私が遠いベルリンに居るというのを知っている人はいない。

子供達は昨日の夕方

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日本に帰ってきて。

日本に帰ってきて。

祖国にいてヨーロッパのことを想ってみる。

noteには海外在住の方が多い。
日本に里帰り中の今、初めての方の記事を読んでいて、パリのことが取り止めもなく浮かんできた。

私は、父が修行でパリにいた時に母のお腹に宿った。妊娠中期に日本に戻って出産したので、生まれたのは日本だけどこの世に発生し、有るか無きかの姿になったのはパリだ。

だから心の中で自分は「メイド・イン・パリ」だと思っている。

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泣いたあの日のこと

泣いたあの日のこと

半年くらい前だったか、ある午前中のこと。

私は割とご機嫌で洗濯室のアイロン台の前にて、好きな音楽をかけてこれからアイロンがけをしよう!と思っていた。

ドイツのアイロン台は高さがあり頑丈だ。

その前に立つと、さぁこれからガンガン服の皺を伸ばしてやるぞ!という気持ちになる。
その意気込みが強すぎて、アイロン台の前に立つのが億劫になって、たくさん服を溜めてしまうことがある。
子どもに「もう服が無い

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うつが治ったときの話:後編❷

うつが治ったときの話:後編❷

末っ子を産んで三ヶ月後に全く予想していなかった子宮摘出術を受けた。

開腹手術も4回目だから、術後に自分がどんな状態になるのかあらかた分かったつもりでいた。
まず痛みと麻酔後からくる体のしんどさ。
過去にはそれに加えて頭痛や腰の痛みに苦しんだ時もあった。

しかし今回は、体が重くベッドに沈んでいくような感覚とやたら体中に管がついていて、3回の帝王切開後の状態とは大きく異なっていた。
健康体で出産の

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うつが治ったときの話:後編❶

うつが治ったときの話:後編❶

最初の分娩が緊急帝王切開だっため、3回のお産が全て帝王切開でした。

ドイツ人とのハーフで胎児が普通分娩できないほどビックベビーでした。
妊娠糖尿病でも胎児が大きくなるので、疑われて何度も検査しましたが問題はなく単に「遺伝的に大きい」赤ちゃんなのでした。

ちなみに第一子(長女)は、全く陣痛が来ず遅れに遅れて42週0日での出産となりました。
まさに2週間ものオーバーステイでしたが、40週を超えると

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