ほどけたいワタシというものは。
自分を赦すのが難しいのは何故なんだろう?
と、唐突にですが考えてみました。
歪められた自己イメージがあって、それに現在の生きた自分が縛られているからなのかな?
人格が形成する過程で、さまざまなな周囲の大人からの呪いの言葉のせい?
大人は、父親だったり母親、祖父母や先生など身近にいて影響力を持った人間で、当時の彼等を年齢的に追い越しても、心の中にいるその人は未だ大きな存在だったりします。
そして暴言や苦言が、言霊や呪いになってグルグルと今の自分を縛っています。
自分が親になって、イライラして怒鳴る声や言い方が親とそっくりで、それに震撼としたことが度々ありました。
けれども親という立場になって十数年、そういう風になってしまうことは、もはや不可能!と観念するようになりました。
どういう時にそうなり易いか?と分析するとだいたいこの4パターンのようです。
そこに疲労や睡眠不足、体の何処かが痛む等の肉体的な不快度が高い状態 or ストレスフルな精神状態であると、過剰に叱ってしまうことになります。
過去に何度も反省し、繰り返さないように心を砕いた時もありました。
でも今は、
「親も人間。四六時中感情を制御するのは不可能だし、非現実的だ。」
と、思っています。
そして、どんなに自己を律しても難しいことがあり、律すれば律するほどできなかった時の嫌悪感など自己へのダメージが大きい、ということも学びました。
同時に子供時代に親から何のフォローも無かったのが辛かったと気が付きました。
だから怒り過ぎた時は、出来ればその日中に子供に謝るようにしています。
「お母さん怒り過ぎたわ。ごめんね。」
そしてどうしてそうなったか。
お腹が空いてイライラしてた。
疲れていたから、ちょっと別件で嫌なことがあったから....等々カクカクシカジカ...。
その時々で、なるべく腹を割ってオープンに話すこと。
そして「だいすきだよ」と言って抱きしめること。
13歳の娘はハグさせて貰うと、腕の中で恥ずかしそうに一瞬身を固くしますが、すぐに体がふうっと柔らかくなります。
息子達は嬉しそうにくすぐったそうにします。
反応はそれぞれですが、お互いの温かさに触れ肉体の手触りを感じるだけで“もういっかぁ”と心が解けるのを感じます。
自分が“体温を持った哺乳類の動物だった”と思い出します。
子供は、驚くほど簡単に「もういいよ」という言葉を口にします。
その反応に驚き、悪かったなぁ...と自分の未熟さを思い鼻の奥がツンとすることもしばしばで。。
私はといえばやっぱり、元夫が赦せませんがどこかで “もういいよ” と言いたいのです。
でもそれは、私が特に偉い訳でも優しい訳でもなく、その “もういいよ” は、きっと自分へ言いたいのだと思います。
「自分に対して赦したい」と言うと語弊があるのですが、彼に言うようで、一番自分に言ってあげたいのかも知れない。
その言葉を口にする時の、柔らかく温かい感覚を知っているからかもしれません。
それは優しく解けていく毛糸の紐のようなもの。
解ける紐は優しくってぬくい。
私もそんな毛糸でありたいです。
もつれた塊より、解けた一本の毛糸の方がずっと自然でそのままの姿だから。
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