泣いたあの日のこと
半年くらい前だったか、ある午前中のこと。
私は割とご機嫌で洗濯室のアイロン台の前にて、好きな音楽をかけてこれからアイロンがけをしよう!と思っていた。
ドイツのアイロン台は高さがあり頑丈だ。
その前に立つと、さぁこれからガンガン服の皺を伸ばしてやるぞ!という気持ちになる。
その意気込みが強すぎて、アイロン台の前に立つのが億劫になって、たくさん服を溜めてしまうことがある。
子どもに「もう服が無いんだけど...」と言われて慌ててアイロン台に向かうことも、まま、ある...。
だからその朝は自発的にアイロン台の前に立てただけで満足で、好きな音楽をかけながら集中力が途切れるまで作業をするつもりでいた。
一枚、二枚...順調に皺を伸ばしていく。
かかっていた音楽のせいか、、、
いやそれは好きなシンガーのもので全然そんなつもりじゃなかった。
それなのにいきなり、やり場のない思いが立ち上がって激しい言葉が勢いよく私の口から飛び出してきた。
「なにを解ってるって言うのよ!」
激しい口調に驚いた。
アイロン台を叩きながら、口元から迸る言葉を抑えられなかった。
誰が分かるって言うの....
そういう気持ちがグルグルと渦巻いた。
◇
思えばこの部屋で何度も泣いてきた。
子どもが家にいて起きている時間、泣ける場所なんて無かった。
洗濯室は地下にあって、その奥にも部屋があった。
二重に扉を閉めてしまえば音は上には聞こえない。
それでも声を殺して泣いたことが何度もあった。
本当に苦しかった期間、
「私はあと何回ここでこういう風に泣くんだろう?」
「あと何回泣いたら終わるんだろう?」
と考えた。
そうなるたびに、終わっていかない現実に気が遠くなった。
そうして最後に泣いた時に、
もうこういう風に泣くのは終わりにしたい...と漠然としかし強く思ったことを覚えている。
自分が置かれている状況にウンザリして、そこから這い上がっていかなければ...と感じた。
不当に自分を虐めているような気がして、止めなければいずれ自分の何かが壊れてしまうだろうと思った。
だからあの最後の日からまた時間が経って、こんな風に激しく泣く自分に戸惑った。
子どもの居ない午前中の時間は思いっきり泣ける時間でもあった。
今までも自室で何回かそういう時があったが、それは今日は泣いてやるぞ!と意気込んで用意した時間だった。
そんな突然アイロンをかけている時に、こんな風になるなんて想像していなかった。
アイロンを中断して爆発した感情が何だったのかよく分からなかったけれど、人は突然に自分の殻を突き破って出てくるものと対峙しないといけない瞬間が在るのだろう。
抑えたり恥ずかしくなって白けてしまったら、その感情と向き合わず仕舞いになる。
それはあまり良い事ではない。
良くないのはそういう風に湧いてきた感情ではなく、そこから逃げようとすること、かもしれない。
爆発させなければならない何かが、自分の中には在るんだと解ること。
そういう時に、そういう心情になった時に、心置きなく泣ける空間が皆んなに有ったらいいな...と思う。
独りで向かい合い、誰にも届かない言葉かもしれないけど、きっと何かが聴いている気もした。
そんな声を頭の何処かで聴きながら泣いたあの日。
洗濯室に行くと今でも、フッと残像のように見えたりするが、私はちょっとはにかんで素知らぬ顔で作業をする。
いつか、その残像が丸っこくて優しい形になって消えていくように。
少しだけ口元を緩めて、またアイロン台に向かう。
“よしよし、そういうこともあったんだよねぇ...”って小さな声で呟きながら。
あとがき
2日前に北野赤いトマトさんの「透き通る月」という小説を読んで、不意にこの日の事を思い出しました。
昨年11月にnoteを始めて以降、元夫との事を断片的に書いてきました。
重い内容なので綴るのは、毎回躊躇する気持ちが有ります。
けれど記憶が薄れて忘れてしまう前に、不倫のことやされた側の心情を「終結までどういう風に変化して行ったか」をもう少し踏み込んで書いていきたいと思っています。
それは「体験の共有化」という私の願いからであり、同じように悩んでいる人の所へいつか届いて行けばいいな...と思っています。
自分が渦中にいた時に痛切に知りたかったことや、何か心の支えになるような言葉であったり、想いであったりを書けたらなぁ、と思います。
重い話しで病みそうな感じでも、3年が経った今の私は回復し、元気に生きています。
だからこそnoteで書けるようになりましたし、書くことの大きさやその意味を感じ、新しいページをめくる様な新鮮な気持ちでいます。
noteでの出逢いに感謝しながら、自分らしく書いていきたいと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
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