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芸術一般

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芸術について、なんでも書きます。はじめはヨーロッパ絵画をかなり題材にしていましたが、現在は映画評論・芸術論・文学論などが多くなっています。
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#日記

短編小説集出版のお知らせ(宣伝です)

短編小説集出版のお知らせ(宣伝です)

 この度、Amazonのkindleストアから、電子書籍として二冊の短編小説集を出版しました。一つは、長年書き溜めてきたクリスマスストーリーから9編を選んだ『クリスマスストーリーズ』。もう一つは、J.D.サリンジャーの『ナインストーリーズ』や中井英夫の『とらんぷ譚』(特に『幻想博物館』)のような作品をイメージした、九つの短編を選んだ『九つの物語』です。

 これまで、noteでいくつかの作品を投

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<閑話休題・芸術一般>写真のような絵と写真

<閑話休題・芸術一般>写真のような絵と写真

 写真のような絵と写真とは、いったいどこがどう違うのだろうか?

 普通に考えれば、同じようにしか「見えない」。そして、昔よく聞いた言葉として、「写真がすでにあるのだから、絵の役割は写真になることではない。むしろ、写真とは違うものを表現すべきだ」ということがあった。そのため、マティスやピカソのような、あるいは印象派のような、対象そのものではなく、対象から受けた「印象」や自分の中に沸き起こった感情を

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<書評>『パウル・クレー 造形思考への道』

<書評>『パウル・クレー 造形思考への道』

 『パウル・クレー 造形思考への道』 ウェルネール・ハフトマン著 西田秀穂・元木幸一訳 美術出版社 1982年(原著は1957年)

 20世紀に登場した数々の前衛芸術家の中で、コンポジション(構成、造形)と称される抽象絵画を中心に活躍したクレーについての研究書。クレーはまた、まるで書家のような筆使いの、一種プリミティヴな作品も晩年に多く残している。

 本書はクレーの芸術家としての歴史を追ってい

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<閑話休題・映画>『2001年宇宙の旅』の最後の食事をする場面から

<閑話休題・映画>『2001年宇宙の旅』の最後の食事をする場面から

 衛星放送で『2001年の宇宙の旅』を放映するのを知って、ちょっとわくわくしている。もちろん、このスタンリー・キューブリックの映画史上最高の傑作を、もう無くなってしまった東銀座にあったテアトル東京で観た後、苦労した末にビデオテープ(昔のべーターマックス方式)を買った時は、まるで最高級の芸術作品を手に入れた気分になって、ひどく感激した。

 その後は、ビデオからDVDに進化したので、マイアミの専

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<書評>『錬金術 タロットと愚者の旅』

<書評>『錬金術 タロットと愚者の旅』

『錬金術 タロットと愚者の旅』 ルドルフ・ベルヌーリ著 種村季弘訳 青土社 1972年

 錬金術及びタロットについての研究書。訳者は、日本でこの分野の研究をしている第一人者で澁澤龍彦と並ぶ研究者。澁澤がフランス語なら、種村はドイツ語を基本にしていることが二人の相違になっているが、内容はかなり重複しているように思う。

 一方、錬金術という言葉や概念は、私が中学の歴史の教科書に書かれていた記述を未

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<芸術一般>マンレイと写真について(『ユリイカ』1982年9月号「マンレイ特集」から)

<芸術一般>マンレイと写真について(『ユリイカ』1982年9月号「マンレイ特集」から)

 1982年の雑誌『ユリイカ』はマンレイの特集をしたが、文芸誌では日本で初めてマンレイを特集したと説明されている。私は、シュールレアリスムに関心があったので、たまたまこの時に『ユリイカ』を買い求めたが、当時の日本でマンレイとは、シュールレアリスムの本流から外れた(主に肖像)写真家というイメージが強かったように思う。

 一方、私のマンレイの写真で当時知っていたのは、この有名な「バイオリンダングル」

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自由律俳句(その8)

自由律俳句(その8)

〇 2023年9月27日。酷暑の夏が終わり、久々に公園を散策する。季節的に花は少ないが、曇天の中に見える太陽が力強い。そして、トンボが飛び、鈴虫が草の中で音楽を奏でる。ふと見ると、大木の下に草花の芽が大きく出ていた。私もようやく芽が出るのか?散歩をすると、詩作が浮かぶ。不思議だ。

腰が伸びない私を 傍で見守るトンボよ お前よりは長生きしているぞ

無視すれば近寄り 探せば逃げるトンボ お前の名は

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<閑話休題>銀座 月光荘はなれ

<閑話休題>銀座 月光荘はなれ

 ある時、facebookの投稿を見て、銀座にこんな場所があったのかと初めて知った。東京は広い。

 なお、昔にダビンチのデッサン密輸事件があったようだけど、その事件は寡聞にして知らなかった。

 また、ピアニスト中村紘子の母が経営する画材店であったことも知らなかった。若い頃、少しばかり絵に凝っていて、画材を購入することもあったが、その頃通っていたお茶の水にあるレモン画翆という画材店で購入していた

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<書評>『裸体の森へ』

<書評>『裸体の森へ』

『裸体の森へ』伊藤俊治著 筑摩書房 1985年

 現代美術及び写真評論を主としている著者曰く、「二十世紀の裸体」というテーマで、「『ヌードとは我々が何者かであること―それも我々自身にすらまったくなじみのない何者かであること』を我々に気づかせてくれるものなのだ。本書はその何者かであることを探すひとつの試みである」として、1984年に各種雑誌に寄稿した論考を集めたもの。

 私にはナチスドイツの時代

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<書評・芸術一般>『Duchamp love and death, even(デュシャン 愛と死、さえも)』

<書評・芸術一般>『Duchamp love and death, even(デュシャン 愛と死、さえも)』

『Duchamp love and death, even(デュシャン 愛と死、さえも)』 Juan Antonio Ramirez ファン・アントニオ・ラミレス著 1998年 Reaktion Book Ltd. London 原著は1993年にスペイン語で発行され、1998年に英訳が発行された。

 20世紀を代表する芸術家マルセル・デュシャンの研究書。Henri Robert Marcel

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<芸術一般>文学作品の評価は形式で決まる

<芸術一般>文学作品の評価は形式で決まる

 わかっている人には当たり前のことだと思うが、文学作品の評価は、書かれた内容(何を書いたか)ではなく、書かれた形式(どう書いたか)によって決まる。

 例えば、芥川賞受賞者が発表されると、マスコミは受賞作品について「xxxxのことを書いたのが評価された」云々と内容を紹介する。しかし、その書かれた内容が、どんなに特別な視点からのものであっても、またどんなに特別な(誰も知らないような)内容であって

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<書評>『トリックスター』

<書評>『トリックスター』

『トリックスター』ポール・ラディン 皆河宗一訳、カール・ケレーニイ 高橋英夫訳、カールグスタフ・ユング 河合隼雄訳、山口昌男解説、晶文社 1974年
原書は、”The Trickster—A study in American Indian Mythology” Paul Radin, Karl Kerenyi, C.G.Jung, 1956 Routledge & Kegan Paul, Lon

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自由律俳句(その6)

自由律俳句(その6)

〇 6月7日 雨が続いたため、久しぶりに公園に行く。雨上がりのせいか、鳥の声が沢山聞こえる。

公園で迎えてくれる かまびすしい鳥の声 私はまだ死んでないよ

いつの間にか逃げなくなった鳥たちよ やっと友になれたのか

草むら入り 足を掻く そこにも命が生きていた

〇 6月12日午後3時 霧雨の中を近所のスーパーへ買い物に行く。下校途中の小学校低学年が沢山歩いている。

先になり後になり でも私

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<芸術一般・エッセイ>関係の哲学

<芸術一般・エッセイ>関係の哲学

 哲学というほどのたいそうなものではないが、この世の人と人とのコミュニケーションとか、人がどう生きているのかとか、なぜ私がここにいるのかなどの、いわゆる根源的な疑問・テーマについて考えることは、昔から哲学という名称を持っていたので、私もそのまま表題に使わせてもらう。

 また、表題にある< >内の言葉は、noteマガジンの項目分けなのだが、そもそも<哲学>というマガジンを作っていない上に、私として

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