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King&Princeありがとう!〜You are forever 「Beautiful Flower」 for me.
今日で、「5人のKing&Prince」が終わってしまう。
昨年11 月の、忘れもしない「あの日」。
twitterには、5人のFC動画や様々な動画が流れた。
私は今でも、いや一生、いや死んでも忘れない。あの時の動画、5人の泣き顔、そして先日のFC動画での5人の様子を忘れるものか。
全てのSNS、そしてテレビでの露出も減った。
その出来事と同時に、私の血糖値歯上がり始め、皮膚の希少がんも見つかり、
誰でも、残された時間のほうが短くなる日がくる。それを感じた時に、人生全てが愛おしく思えるんだ。
母が1月末に、かかりつけ病院で「リウマチ性多発筋痛症」と診断され、現在定期的に通院し投薬を続けている。
そして先日、母はもうひとつ病名が増えた。
「パーキンソン病」。
私の祖母であり、母の母親と同じ病気だ。
数年前から、母の歩く歩幅が狭くなり、ゆっくりと歩き、同年代の女性よりも随分と年齢が上に見えた。
手も動きが鈍くなり、趣味の手芸をしなくなり、料理も色々作って、お裾分けをしてくれていたのに出
私はたぶん、キラキラした舞台に立ちたかったんだ、と思う。
何か月ぶりに、noteに書くんだったっけな。
大変ご無沙汰しておりました。
あっという間に3月。
この1年、病院と週1度の買い物以外、外出を控えお籠り生活をして、もうすぐ誕生日を迎える次第です。
基礎疾患があるため、自分の命を守るためにおとなしくしていました。(今も続いているけど。)
とはいえ、夫がエッセンシャルワーカーなので、毎日が気の抜けない生活。
そんな中、ひとつ歳が増えてしまう。
なん
しばらく投稿してないなー。健康診断が再検査だったり、父親が肺腺癌になったり、愛猫が19年間の生涯を終えたりと、今は書く気力がありません。
そして!毎日の感染者が半端ないでございます。毎日、毎日更新しているので、おとなしくしている次第です。
とにかく、自分でやってみないとわかんないから。
やってみないと、わからないから。
失敗したら、やり直せばいいじゃない、違う方法で。
私が失敗したからと、あなたも失敗するとは限らない。
私が成功したからと、あなたも成功するとは限らない。
だって、人それぞれ違うもの。比較しても意味ない。
もしも失敗したとして、自分で違う方法を考えて、今度は成功するかもしれないし、それでもダメなら、誰かが手を差し出して手伝ってくれるかもしれない。
ビルから飛
『チャンスをものにする』ってこういうことなんじゃない?って思った日。
これは今日の出来事で、自分の判断力や決断力にも関わること。
そして私はひとり行動がきっと楽なんだろうな、自分と真逆な人と一緒に行動すると、エネルギーを奪われてしまうんだな、疲れる人とは距離を起きたい、ってことになって、それがいつも家族だからどうしようもない。
いやいや、今日の出来事がそもそもそんな大事なことなのか?ってことになるんだけど、私にとっては大事なことだった。
昨日私は、『MAQUI
出来なかったことが、出来るようになった喜びは大きい。私は苦手なことを、少しでも克服したい、という話。
私は昔から、とんでもなく不器用だ。
特に、指先を使う細かい仕事が。
にも関わらず、ピアノは長く続けることが出来た。
自分の指を、鍵盤に落とした瞬間の音。
そしてその音を聴きながら、情景を思い浮かべ、まるで歌を歌うかのように、感情を込めてピアノを弾くことが楽しかったのだと思う。
家庭科の評価は、常に『1』か『2』。
しまいには、裁縫が得意な母親に、課題であるスカートを作らせて、それが家庭科の先生
実は私、King&Princeが好きです。
私のジャニーズ歴は、母のお腹にいた頃から始まる。
「ジャニーズ」を知ったのは、ものごころついた頃、母の小物入れ用の引き出しを開けた時だった。
某ジャニーズグループの、ブロマイドやレコードが入っていた。
『この人たち、誰だろう。』
と思ったのを覚えている。
そして、テレビにそのグループが出る度に、母のほうを見たのだけれど、黄色い声を出すこともなかった。
私と妹が生まれる前、ファンだったのだろ
「自分の人生を生きること」は、もしかして『ものをつくること』に似ているんじゃないか?って思う。
私は病気になってから、それまでよりも更に読書に浸る時間が多くなった。
自分の病気を、なんとか受け入れるべく、何らかの答えを探すために。
殆どが、死生観に関する本だった。本の感想だったり、自分の考えをノートに書いたりしているうちに、海底に沈んでいた私の心が、『ぷかーっ』と浮かんできたのである。
そして私は、同級生たちよりも、少し早くに下山することにした。
と言っても、死に向かっているわけではない
帰り際、彼女は私に「See you soon」と言って、いつまでも手を振っていた。
約6年前、公務員時代の同期会に出席した。
病気になってから、3年ほど経った頃で、まだ心臓リハビリをしていない時期。
自分が、どれだけ歩けるかわからない、不安を抱えていた頃だった。
仲の良かった同期から連絡をもらい、私は出席をすることにした。
それは、「みんなに会えるのは、これが最後かもしれない。」
そう思ったからだ。
病気になってからは、「いつか」ではなく、伝えたい時に伝える、会いたい時に会