見出し画像

「自分の人生を生きること」は、もしかして『ものをつくること』に似ているんじゃないか?って思う。

私は病気になってから、それまでよりも更に読書に浸る時間が多くなった。
自分の病気を、なんとか受け入れるべく、何らかの答えを探すために。

殆どが、死生観に関する本だった。本の感想だったり、自分の考えをノートに書いたりしているうちに、海底に沈んでいた私の心が、『ぷかーっ』と浮かんできたのである。

そして私は、同級生たちよりも、少し早くに下山することにした。
と言っても、死に向かっているわけではない。

例えると、走ることが大好きだった私が、歩くことに変えたようなものかな。

今でも、一生懸命頑張ってしまう私に、医師たちはブレーキをかけるので、歩くことなくジョギングしているのかもしれないけど。(笑)。
まあ、それも私だ。

とにかく山を登ることはやめた。
緩やかな尾根を歩きながら、すこーしずつ下山する。一歩歩けなくても半歩でよいのだ。

自分が病気になった年齢から数えて、もしも健康に働いていたら、じゃ、定年まであと何年か。あと何年生きられるのか、そう考えるようになった。今も、心臓の他にいくつか病名がついているけれど、もしかしたら減るかもしれないし、増える可能性もある。世の中には、平均寿命と健康寿命があるけれど、私には関係ないことのように思える。
だって、気が遠くなる年齢だもの。

今の病院の、一番最初の主治医の言うとおり、『一年スパン』で過ごしている。

いつだって『今』なのだ。

そうやって考えて生きていると、今何をしたいのか、何を優先するのかがはっきりしてくるし迷いはなくなる。
大事な時の、判断力、決断力が早い。

『今』を重ねて生きて、自分の体の全細胞が目一杯頑張って、その時が来たらそれは「私の寿命」だと思っている。
それがもしかしたら、80歳くらいかもしれないし。

とにかく、自分の人生を燃焼すると決めたのだ。

『長生き』というより、私は自分の人生を、生き様を完成させたい。

時間は有限だけれど、その時間は人によって違う。

私は人生の途中で病気になった。
様々な制限もあるし、これから何が起きるかわからない。
けれど、健康な体の時だって、辛いことは数え切れないほど、埋もれてしまうほどあった。

その時と、今ではどちらが辛いか。
それは、比較できるものではない。
どちらも同じだ。

医師たちにも常々、「私は、自分の人生に反省はあっても後悔はない。」と話しているのは、自分の理想通りの生き方をしているし、そういう生き方をしたいです、という決意表明だ。

できれば、病気になりたくなかったけれど、自分の運命を受け入れ、覚悟を決めるしかない。腹を括るしかないのだ。

自分の人生を振り返る時期が来たら、どう思うか、だ。
私は、自分の人生を全うしたか。
辛いことのほうが多かったけれど、楽しいことのほうが勝っているような人生にしたい。

とにかく、自分の道を歩いて行く。

人生の節目節目に、思い出す言葉がある。就職活動の時に出会った言葉だ。

山本有三の『路傍の石』より。

【たった一人しかない自分を
 たった一度しかない一生を
 ほんとうに生かさなかったら
 人間生まれてきたかいが
  ないじゃないか】  

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?