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本能寺の変1582 第123話 15信長の台頭 3桶狭間 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第123話 15信長の台頭 3桶狭間 

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永禄三年1560

三好長慶が上洛した。

 正月十六日。
 長慶は、年始の挨拶のため、嫡男義興とともに上洛した。

  十六日、癸未(みずのとひつじ)、天晴、寒嵐、時々雪飛ぶ、
  三好修理大夫、前筑前守、上洛と云々、
                          (「言継卿記」)

将軍義輝との関係は、良好である。

 少なくとも、表面上は、・・・・・。

  十七日、
  三好長慶、子義長ト共ニ幕府に参賀シ、
  長慶、相伴衆ニ列セラレ、
  義長、義輝ノ偏諱ヲ與(与)ヘラルルヲ謝ス、

  廿一日、
  筑前守三好長慶ヲ修理大夫ト為シ、其子義長ヲ筑前守ト為ス、
                          (「史料綜覧」)

  廿一日、
  みよし父子申す、
  おやはしゆりの大夫、
  子はちくせんと申す、
                      (「お湯殿の上の日記」)

正親町天皇の即位礼が執り行われた。

 同二十七日。
 天皇は、この時、四十四歳。

  廿七日、
  即位ノ禮ヲ紫宸殿ニ行ハセラル、
                          (「史料綜覧」)

  廿七日、甲午(きのえうま)、天晴、天一天上、
  今日、御即位、未の刻(午後2時頃)始まる、
                          (「言継卿記」)

長慶は、警固役を命じられた。

 長慶は、褒美として、太刀を賜った。
 名誉この上なきことである。
  
  今日、御警固、三好修理大夫長慶朝臣、
  後に、御懸に於いて、御酒下され、御太刀拝領なり、
  忝(かたじけな)しの由申し、御太刀、万疋の折り紙、進上と云々、
  
                       (「言継卿記」同日条)
 

朝廷は、衰微していた。

 正親町天皇は、後奈良天皇の第二皇子。
 永正十四年1517の生れである。
 弘治三年1557、先帝の崩御により践祚した。
 しかし、時は、戦国時代。
 朝廷は、困窮していた。
 そのため、即位礼を挙げることができなかった。
 毛利元就らの献金によって、ようやく、この日を迎えることが出来た
 のである。

三好長慶が幕府に出仕した。

 二月一日。
 山科言継ら公家衆が将軍義輝を訪ねた。
 そこで、長慶・義興父子と居合わせた。 

  一日、丁酉(ひのととり)、天晴、天一天上、
  当年、武家参らずの間、今日、参ずべし、
  (中略)
  次、武家に参る、
  予、先ず、御台に参る、
  御酒これ有り、
  次、大樹(義輝)、御対面、
  公家、広橋大納言、予、・・・・・・・・・・・・、右衛門督等なり、
  大名、三好修理大夫、
  御供衆、細川右馬頭、・・・・・・・・・、三好筑前守、・・・・・、
  御部屋衆、三渕入道、・・・・・・・・・、
  申し次、・・・・・・・、
  (中略)

 長慶と義輝。
 少し、距離が縮まったの感、あり。
 気のせいか・・・・・。

 長慶と山科言継。
 長慶は、義興の筑前守拝任について、重ねて礼を申し述べた。

  次、三好修理大夫、同孫二郎任筑前守の御礼、御太刀・馬等にて、
  両人、更に、御礼申され候ひおわんぬ、
                          (「言継卿記」)

長慶は、松永久秀を重用した。

 長慶の推挙あればこそ。 

 同日。
 松永久秀、将軍義輝の御供衆に任ぜられる。
 嫡男義興と同じ。
 すなわち、直臣。

  一日、
  幕府、松永久秀ヲ供衆ニ列ス、
                          (「史料綜覧」)

 同四日。
 「忠」から、「少弼」へ。
 昇進である。

  四日、
  弾正忠松永久秀ヲ弾正少弼(しょうひつ)ト為ス、
                          (「史料綜覧」)

  四日、雨ふる、
  武家より、しつそう(執奏)とて、松長女房、御神楽申しつくる、
  松長しょうひつ申す、
  御心えのよしあり、
                      (「お湯殿の上の日記」)

久秀は、なかなかの策士である。

 長慶の心の奥深くに、入り込んでいた。
 これらのことは、やがて、わかる。


 ⇒ 次へつづく 第124話 15信長の台頭 3桶狭間 


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