本能寺の変1582 目次大 斎藤道三の下剋上 152~176 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』
目次大 斎藤道三の下剋上 152~176
*左=目次中 右=目次小
斎藤道三の下剋上 152~176 152~176
1 光秀の少年時代~思春期 152~158 152~158
2 光秀と長宗我部元親 159~160 159~160
3 光秀の青年時代 161~166 161~166
4 大うつけ 167~174 167~174
5 光秀の壮年時代 175~176 175~176
目次大 斎藤道三の下剋上 152~176
目次中 斎藤道三の下剋上 152~176
目次小 斎藤道三の下剋上 152~176
信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。
⇒ 次回へつづく
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