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本能寺の変1582 目次小 15信長の台頭 2尾張統一 第119~122話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 15信長の台頭 2尾張統一 第119~122話 

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 第119話
 ・
永禄二年1559
  将軍義輝は、京にいた。              「言継卿記」
  三好長慶が上洛した。               「言継卿記」
  三好は、全盛期を迎えていた。
  三好義興は、長慶の後継者。
  三好四兄弟。
  長慶は、有力な弟たちに支えられていた。

 
第120話
 
☆信長、上洛す。                  「言継卿記」
  信長は、五百の兵を率いていた。          「言継卿記」
  将軍義輝に拝謁するためである。          『信長公記』
 ☆斎藤義龍が信長を暗殺しようとした。        『信長公記』

 
第121話
 ☆
義龍は、鉄炮を使うつもりだった。         『信長公記』
  これが信長の知るところとなった。         『信長公記』
  信長は、先制攻撃を懸けた。            『信長公記』
 ☆義龍の企ては、失敗した。             『信長公記』
 ☆信長は、用心深い。
  信長の評判である。                『信長公記』
  信長は、京を発った。               「言継卿記」
  信長は、八風越えにて清州に帰った。        『信長公記』

 
第122話
  
岩倉落城の事。                  『信長公記』
  信長は、岩倉城を包囲した。
  戦いは、二ヶ月余りつづいた。           『信長公記』
 ☆ここで、鉄炮隊が活躍した。
  岩倉方は、戦意を失っていた。           『信長公記』
  信長は、岩倉城を攻略した。            『信長公記』
  尾張統一、成る。
  尾張は、豊かな国である。              「当代記」



 ⇒ 次へつづく
   目次小 15信長の台頭 3桶狭間 第123~131話 





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