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お題

#上京のはなし

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人気の記事一覧

カセットテープの4chMTRのREC

今まで何度レコーディング(以下REC)したかなぁ。 一番最初は18歳の時にやってたDISTRESSというメタルバンドのデモテープだな。 俺がヤマハの4chMTR(4チャンネルマルチトラックレコーダー)CMX100を買って名古屋市昭和区八事の練習スタジオでドラムを録って、千種区今池のミツトシの家でベースとギターを録ったんだよな。 その後、ボーカルを入れる前にアイツ等が死んじまったから未完成なんだけどね。 アイツ等の葬式で3曲掛けたよ。 今思い返すと未熟な上に未完成過ぎて恥ずかし

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¥300

上京にまつわるエピソードを教えてください!お題企画「#上京のはなし」で募集します。

夢や希望を追いかけるため、地元を離れて上京。まだ慣れないこともあるけれど、出会ったひとの優しさや、居心地のいい街のおかげで、毎日の暮らしをたのしんでいる——東京には、このような“上京のはなし”がいくつもあります。理想と現実のギャップや、それでも魅力的な東京での暮らしを、あなたの目線で書いてみませんか? これから上京をする方からの投稿も大歓迎です。上京のために考えていることや上京したからこそ体験できた心踊る出来事など、「上京にむけた準備」や「東京の暮らしでよかったこと」につい

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繊月の街

子どもの頃、 「いつか東京に住むかもしれない」  と思っていたことを最近ふと思い出した。 noteで記事を書くようになってからのことだ。          ⚪︎ ⚪︎ ⚪︎ 就職で上阪し、結婚を機に上京した。 気付けば四半世紀以上をこちらで暮らしている。 上京後、最初に住んだのは会社の寮。 トレンディードラマのオシャレなマンションとはほど遠い、昭和感溢れる古い建物の一室に、新生活の夢は詰め込まれた。 3階の窓からは大きな川が望めたが、週末になるとバーベキューの民

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思い出はひたすら眩しくて、だから、それが少し悲しいんだ

気づいたらあれから10年も経っていた。 その夜、僕たちは、これは完全に僕の趣味なんだけど、神保町のラドリオとスイートポーツをハシゴして、それでもまだ夜は一向に終わる気配を見せなかったから、 ひとまず神田駅に向かって歩くことにしたのだった。 その道中、なぜか彼女は知り合いの新宿2丁目のバーに勤める同性愛の男性の豊胸手術の話をし始めて、挙げ句の果てに、 「確かに私の胸は彼よりずっと小さいけど、柔らかさでは負けてませんよ」 と言い始めて、まあこーゆーことを割とあけすけに話

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井の頭公園休職日誌

休職しました 上京してから1年も経たず2ヶ月の休職となりました。 心の病に罹りました。 ゆっくりと療養しようと思いますが、家でボーッとしていると意識が穴底へ落ち込んでしまいそうになります。 公園へ 私はよく公園へ足を運びます。 何かと公園へ向かいます。特に理由はありません。 この間井の頭公園に行ったら奇遇なことに盆踊りをやっていました。地元の人が集まる地域のイベントのようでした。 盆踊り 盆踊りの1番上の段で太鼓を叩く親子(?)がいました。お父さんの太鼓は一味

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【エッセイ】東京は怖いって言ってた

~皆様クイズです、新宿駅はあることで世界一となりギネスブックに載っているのですが、それは何でしょう?~ 正解は、乗降客数だそうです。 1日320万人、年間で約13億人の方が 電車に乗ったり降りたりしているそうです。 とんでもないでございますね。 私は人口5,000人もいない村で 生まれ育ったので すごい人数だなと感じます。 初めて1人で電車に乗って 東京に行った時は あまりの混雑ぶりに気を失うところでした。 そんな満員電車にまつわる エピソードを今回お話しさせてい

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新考古学:半世紀前の1974年における福岡人の行動に関する考察

これまでのあらすじ  声優の田中敦子さんの逝去は、彼女が演じる『攻殻機動隊』の草薙素子少佐や、『ジョジョの奇妙な冒険』のリサリサのファンである私にとって、非常にエモい気持ちを抱かせた。  お題の『上京のはなし』を盛り上げるためには、出身地が非常に重要です。例えば、神奈川県横浜市や埼玉県川口市のように通勤電車で簡単に通える場所からの上京では、特別なエモさは感じられません。  エモさを際立たせるには、東京から適度な距離が必要です。なぜなら、沖縄県や北海道のように飛行機で簡単に

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『上京』それは魔法の言葉

1980年、もう40年以上も前のことである。 私は高校を出たあと2年間働いた豊橋市の魚市場を卒業して、東京での生活に備えていた時期であった。 豊橋から東京、大阪は『こだま』でどちらもほぼ二時間、真ん中辺りの豊橋は東京圏でもなければ大阪圏でもない、かと言って名古屋は尾張で豊橋は三河で、名古屋はそれほど親しみを感じる土地じゃなかった。その時の私は大阪の地に一度も足を踏み入れたことは無く、故郷を離れることは上京の一択しかなかったのである。 勉強が嫌いなわけじゃなかったが、他の連中

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上京して13年。よかったことは?

背が高いビルとビルの狭間の空間は、風が強くなる。息を吸うことが躊躇われるほどの熱風、息苦しさ。早朝の木の根元に、転がる若者たち。朝の爽やかな時間に、コンクリートの上に吐いたあと。据えた匂い。資産や所得で分けられる住まう場所。 何度も、東京のよいところを書こうと思った。だけど、わたしの方が教えてほしい。一体、東京で暮らすメリットって、なんなん? 本気で教えてほしい。薄っぺらい言葉を並べて、何度も東京でこんなよいことありましたーって書こうとした。だけど、書けなかった。13年も

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JR東海道新幹線、「南海トラフ地震」の影響で、約15分遅れで新大阪に到着です🚄✨

夏休み1日目!ということで、さっそく地元・大阪へ帰ってきました〜✨ JR東海道新幹線、先日の南海トラフ地震の臨時情報の影響で、速度を落として運行しており、 本来であれば14:25頃、新大阪駅着でしたが、約15分遅れで新大阪駅に到着しました〜😌✨ 無事に到着して何よりです😌😌 みなさまの移動の参考になれば嬉しいです〜✌️ (編集部 中西航大)

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今、なぜか東京にいる

私は今、東京で医師として働いている。 時々ふと、考える。 なぜ、私は東京にいるんだろう。 独り身だから、どこにでも行けるはずなのに。 生まれ育ちは京都。 京都に住んでいた頃は関西が一番「おもろい」と思っていたし、「おもろない」東京に行く気は全くなかった。 京都が大好きで、京都に骨をうずめる気でいた。 大学の頃に初めて訪れた東京。 洗練された街並みではあったが、人が溢れて落ち着けなかったことを覚えている。 大学卒業後に京都で働き出し、結婚を機にパートナーに合わせて転居を繰り

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嫌われたらどうしようと思っている人は、そもそも好かれてない。

こんなことを言ったら嫌われるんじゃないかな、とビクついている方に朗報。そもそも好かれてません。 好かれようと頑張ってる方にも朗報。そういう方、実は嫌われてます。 強い言葉を使う方にも続報です。嫌われてます。 そういうものです。でも大丈夫。なにが大丈夫なのかよくわからないけど大丈夫。 嫌われたくなくて好かれようと頑張っていると好かれない。不思議なものだなぁ。 そもそも人から好かれるのはとても難しい。 人から好かれるのって、天性のものであり、同時に技術でもある気がして

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東京なんて、人の住むところだよ。

地元を出たことがなく、東京にはちょっと旅行に来たことがあるくらいか、あるいはテレビでしか東京を見たことがないヤツが言うセリフあるあるだ。 中学時代にわりと仲良くしていた同級生に久々の電話でそう言われた。聞こえないふりをして、もうこちらからは連絡しなくなった。 だって、東京は、素晴らしい。 住まなければわかるまい。 上京したのは、25才のとき。 まず驚いたのは、賑わっている街が多いこと。 渋谷、新宿、池袋、銀座。代官山、自由が丘、吉祥寺。選択肢がありすぎるほどで、手に入

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上京したてのわたしに上司が言った一言

大学を卒業して就職するタイミングで、わたしは大阪を離れ、東京へ出た。 新社会人。新しい職場。新しい部署。新しいボス、同僚たち。何もかもが初めて出会うものばかりの新しい生活が始まった。 東京に住むようになって、感じたことはいくつかある。 真っ先に思い浮かぶのは、男の人の話す言葉の語尾。「ね」をよく使うことに強い違和感があった。大阪から乗ってきた新幹線を下りて、山の手線に乗り換えたときに、もうそれを感じていた。 「それでね」「これ、おいしいよね」 なんだか、とっても優し

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お持ち帰られ喫茶店|あのの少女のあのちゃん

©️あの|TOY'S FACTORY ※トップ画像はイメージ画像です。 ※男性読者はトップ画像の女性を、女性読者は倫也を登場人物に投影しながらお読みいただくと、お楽しみいただけます。(想像はご自由にどうぞ) わたしは珈琲が好きだ。 だから上京後は喫茶店で働いた。 こうして物語の舞台が整った。 ある喫茶店で働いていたときのことだ。 (誤解のないように断っておくが、珈琲豆にこだわったごく普通の喫茶店だ。) わたしはよくお持ち帰られた。 お持ち帰りではなく、お持ち帰られる

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こてこて大阪人の、上京話

わたしは、好きで上京したわけではなかった。大阪生まれ、大阪育ちで、旅行を除き、それまで大阪から出たことがなかった。大阪の会社で働く日々にも満足していた。仕事内容にも、生活環境にも不満なところはなかった。 婚約が決まると同時に、当時は婚約者だった夫の転勤が決まってしまい、それについていくために生活拠点を東京に移したのだ。東京へと向かう新幹線のなかでは、不安でいっぱいだったのを憶えている。 大阪でひとり暮らしをした経験はあったけれど、東京でとなるとまた勝手が違った。なにより家

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【元教員】23歳、IT業界へ転職するぞ!

教員からIT業界と、まったく異なる業界への転職をしたいと思っている方に、何か参考になることがあったらいいな、と思ったのでnoteにいろいろ書いてこうと思う! あとは、気持ちの整理で自分のことをいろいろ書いてます。 気楽に目を通してもらえたら嬉しいです♪ 簡単に自己紹介をしますね。 私は大学卒業後、北海道で小学校の教員として勤務していました。 自分の中で「もっと時間や場所にとらわれずに生きていたい」という思いから教員を退職し、現在はWebマーケターポジションで絶賛転職活動中で

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【エッセイ】田舎の進学校から慶應大学に入ったら

「『慶應大学』出身です。」 と人に話すと、お金持ち、気取っている、生まれながらのエリート、そういうような誇張したイメージを持たれることが多い。 「そういうのは一部の人だけで…、内部進学だけで…、」という言い訳もセットで、この大学のイメージを人々が語る常套句になっていると思う。特に2023年の慶應義塾高校の甲子園優勝時の、団結力や応援の様子などを見ると、愛校心に溢れ、学校に対して(自分たちは、育ちも良く、エリートなのだという)プライドを持っている、そんなイメージがつくのもわかる

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引っ越しに向けて、断捨離スイッチON

夫の転職で福岡→東京に引っ越すことが決まった。 私達夫婦が住んでいるのは70平米のマンション。 今後都内に引っ越すとなると、今より手狭な住まいとなる。 元々荷物が少なく一室を空き部屋にしている。でも引っ越しを機会に、今以上に身軽になって東京へ行きたい。 東京の狭い部屋でも、ゆったりとした暮らしを。 そんな想いで日々断捨離をしている。 その一部始終を紹介する。 使えるものは譲りたい 10年ほど前にミニマリスト憧れ、以来たくさんの物を手放してきた。 初めは早くスッキ

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猫とともに紡ぐ東京の幸せ

東京-阿佐ヶ谷---。 阿佐ヶ谷駅の南口を出ると、賑やかな阿佐ヶ谷パールセンター商店街が迎えてくれる。白とピンクのアーケードの下、阿佐ヶ谷姉妹の笑顔が思い浮かぶ。中杉通りのけやき並木を歩けば、静かな緑陰が心を癒やす。夜は飲み屋街で、人々の笑い声が響く。阿佐ヶ谷は、多彩な顔を持つ街だ。 阿佐ヶ谷にある小さなマンション。そこで猫の「ミケ」と一緒に暮らす私がいる。正直、ペットOKの部屋は家賃が高い。それでも、ミケと一緒にいられる。ミケは三毛猫で、白い毛に黒と茶色の斑が美しい。その

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自己紹介 初めてのnote

はじめまして、らーめんたろうです。 たろうだけど20歳の女です。 東京に出てきて社会人二年目、公務員やらせていただいてます 簡単な自己紹介 2004年生まれの20歳 趣味 音楽を聴く、やる、見ること     食べること、本を読む、酒を飲む 公務員で脳筋的な仕事をしています ただ皆さんのように立派な文章も書けないし、日記をつけたい程度の気持ちで始めたこのアプリ 趣味について、日々の生活でやり場のない気持ち、全部自分の思うように綴りたいと思います なんでらーめんたろう

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上京して、なめられないためにアゴのしゃくれを手術で治した噺。

とっっても上京したかった。 是が非でも上京したかったのだ、僕は。 「東京の人は冷たいらしいよ」 と、言われようが 上等じゃねえか。 と、そう返す心構えであったのだ。 僕は山形出身である。 そりゃもう田舎で、周りを見れば田んぼばかりで、夜はカエルが大合唱。田んぼのあぜ道を自転車で走れば、水たまりを自転車が走って水飛沫が上がるように、大量のイナゴがぴょんぴょん跳ね上がる。 そんな場所で、人見知りを爆発させながら僕は育った。 当時、僕は高校3年生。 すでに高1の時か

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東京は心地よいと思う

私は西日本の田舎町出身だ。 もう東京には30年近く住んでいる。 就職時には、関西圏に勤めたいと思っていた。 東京志向は全くなかった。 しかし、配属先が関東だった。 縁もゆかりもない場所は不安。 しかも大都会。やっていけるだろうか? これから東京に行くかどうか考えている若者もいらっしゃると思うので 私の事前の不安と結果を書いておく。 ■東京の人は冷たい →いやむしろ知らない人に対して優しい だって、こんな他人がひしめき合う場所で、お互いマナーや節度を保って 相手への思い

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20回以上引越した転勤族のわたしが、友だちに困ったことがない理由は、普通の人と距離の縮め方が違うからだと思う。

どうも。はるはるです。友だちや同僚に「距離の縮め方が上手」「人脈が半端ない」とよく言ってもらいます。 今では、人と仲良くなるのが得意だと胸を張って言えるわたしも、過去には苦い経験を何度も乗り越えてきました。 生まれてから28歳の今日まで、なんと20回以上の引っ越しを経験。親の転勤からはじまり、中学生のころは強豪校でソフトボールをするために越境しました。 高校と大学はスポーツ推薦で入学したため、県を跨いで隣町に引っ越しました。 新しいコミュニティに「友だちゼロ」の状態か

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青に変わるまでのタイムリープ。「いつも」を「いつまでも」

信号待ちをしていると 大きなガラス窓が 目が止まりました。 窓からは、白と茶色を基調とした あたたかみのある内装が 飛び込んできます。 天井から吊り下げられた ペンダントライトが キラキラ輝いて 緑の葉を広げているのは モンステラかな。 影がゆらゆら 涼しげです。 カントリー風の椅子に 細長いカフェテーブル。 本や雑貨が飾られた シェルフ。 カフェかな? それともインテリアショップ? コインランドリーでした。 ついつい見入ってしまいました。 青に変わるまで

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東京で、キレイにはみ出してた夫婦

今日もお疲れ様です。 覗いて頂きありがとうございます。 今回、東京に2週間滞在しました。 夫婦でたまにやる ワーケーションです。 この日の予定は、 夕方から電車に乗り 最寄り駅→スカイツリー→浅草 普段は車で移動しています。 今回も、そうしたいのは山々なんですが 車は宿泊先に停めたままにしておきます。 ここは東京 都会では、目的地により 車が不便になる時がある そんな時は 電車での移動がマストとなる ちなみに東京は ほぼ初めて 私達夫婦 電車の乗り換え できる

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人間失格(済み)|自己紹介:序

父と母が駆け落ちした。 わたしが生まれる前のことだ。 駆け落ち先は、実家から100m下った父の先輩の家の納屋であった。 わたしが何かと納屋に縁があるのは、これが理由かもしれない。 ふたりは親を説得し、実家へ戻った。 後に、わたしの父と母になるふたりは、こうして結ばれた。 わたしが生まれる。 母は心を病み、入院することになった。 _わたしは、残された。 退院後、弟が生まれる。 母はまた心を病み、入院した。 弟は、遠方の親戚に預けられた。 _わたしは、残された。 わ

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生まれ変わっても、あなたの部下になりたい

こんにちは。鳴海 碧(なるうみ・あお)です。 本日は、私が20代の頃に大変お世話になった上司のことを書いてみたいと思います。 思い出しながら書いていたら、とても長くなってしまいました。でも私にとって、その上司のことを書いていくのは、とても幸せな時間でした。 よろしければ、読んでみてください。 私には、これまでの半生で、心から大切に思う男性が5人いる。夫、3人の息子、そして松村さんだ。 松村さんは、私が新卒入社した会社の名物部長だった。 年の頃は50代半ばで、髪はい

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そうだ、東京に行こう。

※ 現在、自主出版のクラウドファンディングを行なっているエッセイ本 『たまごサンド』に掲載予定の書き下ろしエッセイを一部先行で公開します。 「そうだ東京に行こう!」 大きな決断ほど突然思いつくのかもしれない。 なんでもない日の午後、駅前のジムに通っていた私はいつものように ルームランナーで走っていた。 ジムの窓から出来たばかりのファミリー向けマンションと小さな公園が見えた。 その景色を眺めながら走っていたら突然「私10年後もこの景色を見ているのかな」と思った。 そして次の

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ひとりぼっち おそれずに 生きる必要はない

疲れてしばらく実家に帰っていた。 「上に、上に」「もっと、もっと」 を求めて走ってきたが、終わりがないこの連続に、心身が疲弊していた。 社会に出ると、何かしらの役割が求められる。 求められた役割を全うし、対価を得て生活する。 友人や恋人すら、お互いにメリットが無ければ会わなくなる。 誰かに求められた「何か」を提供することにうんざりして、1000%自己満足のものを作りたいと思いnoteを始めたが、いつからか、「これは面白いと思われないかもしれない」「こんなことを書い

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そんなに怖いとこじゃない

19歳の時、東京に行こうと決めた。 高校を卒業してから地元の洋服屋さんで約一年働いて、お金は十分に貯めていた。 これだけあれば、東京で部屋を借りて敷金礼金を払える。 まずは住む部屋を探して、それから仕事を探そう。 私は、下準備のために一度、東京に行くことにした。 ひとりで右も左も分からない東京へ行くことを、母はとても心配した。 出発の朝、部屋で準備をしていると母が入ってきて、この袋にお金を入れていくように、と言う。 それは小さなお守り袋のような形で、赤と緑のツルツルのサテ

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時を超えた旋律:マルチェッロのソナタに包まれて

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上京 ─ むささび荘へ

4畳半、トイレ台所共同のアパート下宿に住み始めたのは、18歳の春 ── 遠い昔のこと。 その日、アルミフレームのバックパッカーにザックと寝袋を結び付けて背負い、片手にフォークギターのハードケースを下げ、ひとり名古屋からこだま号に乗った。 当時新幹線は『ひかり』と『こだま』しかなく、各駅停車の『こだま』は、同じ名古屋ー東京間でも『ひかり』より割安だった。 『こだま』号の自由席に座り、それからの生活についてあれこれ考えた。女の子のことなども思い浮かべていたと思う。 そしてその時

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63

ばか ン巣

   ありがとうです 五輪も 先ずは ひと段落して ニュースも 違う話題が 多くなっていくと思いますが パラリンピックも 始まるので そちらの情報も たくさん 放送して欲しいですね もちろん来年は 東京で デフリンピックが 開かれます 概要は こちらの方が詳しいです 日本では 初開催ですので 盛り上がれば良いな と思っています 僕の(心の師匠)は選手として出ることはありませんけど 知り合いの若い子が(練習など一緒にしてるそうです) 多分・・・ 出るのではないかと思

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言葉の小さな壁

2回目の投稿です。こんにちは。 今日は、noteにお題企画があるという事なのでそのうちの1つに挑戦してみようと思います。 どうぞお付き合いくださいませ。 新生活 僕は高校まで宮崎に田舎で過ごし、大学進学に伴って神戸に出てきました。都会っ子のように華やかな高校生活を過ごしてきていない自分にとって、これから始まる新生活に希望で胸いっぱいになってたことは忘れることができません。しかし、最初にぶち当たったのは、まさかの「言葉の壁」でした。 そんな希望に満ちた大学生活。 僕の家は

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あまり語られない、美大受験の格差の話。

あんまり表立って語られること少ないけど、美大受験にはめっちゃ格差があるよね、というお話です。 もちろん、美大ではない一般的な大学受験においても格差は大いにあるでしょう。ただ美大受験の場合、それがさらに顕著だったりするし、「美術」という特殊性に隠れてあまり問題が見えていなかったりします。 その辺を今回は書いてます。ゆるっといこう。 島根県出身で、勉強での受験を経て静岡大学に進学したものの、半年後に休学し、そこから2年半東京で浪人をして、現在 東京藝術大学に在学しているのが

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世に住む日々。

早朝7時。札幌市内の繁華街を歩いているとビジネスホテルがあった。路肩には黒のワンボックスカーがハザードをチカチカしながら停車していて、その脇にはインド方面出身と思われる風貌の男性が立っている。彼と目を合わせながら「話しかけてくれないかな」と考える。もちろん話しかけられることはない。彼の前を素通り。 今日は朝早く起き、車を2時間走らせ富良野に向かった。仕事で訪れたのだ。夫婦が経営する会社は自宅兼事務所のつくりになっており、居間の棚には成人したお子さんの古ぼけた写真と2022年

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77

東京が教えてくれたこと

上京したきっかけ私が上京したのは18歳の時、大学進学のためでした。 それまでは18年間、生まれた町を離れたことがありませんでした。 ずっと両親、兄妹と一緒に暮らしていたので、一人暮らしも初めてでした。 東京には憧れがありました。 一人暮らしにも憧れがありました。 田舎ではできない都会ならではの体験ができる、田舎にはないものがある。 実家を離れてみたい。 一人で暮らして自分の力を試してみたい。 そんな気持ちがありました。 田舎者レベル私が当時どれくらい田舎者だったかが分か

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22

サヨナラからはじまること

高校を卒業して、東京に行きたかった私は、あの日父に嘘の手紙を書いた。資格をとるために学ぶことが最良と思っていた父を説得するため、インターネットもなかった時代に、大学ガイドみたいな分厚い冊子から、資格がとれそうで推薦入学できる、学費は国立並み、寮が渋谷区という好条件の大学を見つけだしたのは、ただただ好きな人が東京に就職すると聞いたからだ。 お父さんごめんなさい。 もうこの世にはいないけれど。 結局、私は資格なんてとらず、好きな人と結婚して山形に帰ってきた。 大学生の時のアル

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愛されていたとやっと気づいた

2012年の4月に大学進学を機に長野の実家を出てから、2022年の12月末まで東京で過ごしていた。一人っ子で実家には両親がふたりで住んでいる。 最初は大学を卒業したら長野に戻って就職するつもりだったけど、なんだかんだ東京が好きになって、そのまま就職して2022年いっぱいまで過ごしていた。両親も自分自身もこのまま東京で過ごしていくんだろうなと思ったが、人生の色々なタイミングが重なり、2023年から実家に戻ることにした。両親からしたら、帰ってくると思わなかった息子と暮らせるとい

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34

東京

久しぶりに地元に帰った。帰ったと言っても、友達に会うためにほんの数時間だけ滞在して、夕方には上りの電車に乗った。生まれ育った土地よりもっと手前での集合だったから、特に感傷はなかった。久しぶりに会った友達とは、誰々が結婚したらしいよとか、子供生まれたらしいよとか、誰はどこに勤めてるよとか、そんな話ばっかりだった。こんな風に、隣のクラスのただ同じ中学だっただけの人の彼氏がどうとか年収がどうとかの話が聞けるならば、私の噂もその子に届いているんだろうなと思った。こんな話が聞きたかった

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スタバおじさん

この間、私は同僚と仕事終りにスタバでお茶していた。要件は、今後の進路と人間関係について。飲み物を片手に、あれやこれや日常の気づきを夢中で話していた。 「キミたちわぁ…スターバックスで働いてみたいと思うかね?」 っ誰?!?! 突然、大きな声で 隣の角のテーブルに座っていた、端正な容貌の叔父様が私たちの会話にヘッドスライディングしてきた。 見る限り、彼は見た目に気を遣っている、健康重視の、目は深い二重で据わり気味、第六感強めの哲学や考古学的教養のある、どこかの偉い人。という感

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天職である仕事と大好きな故郷を手放し、結婚するために上京した話。

2018年3月、結婚を機に上京6年間の地元香川県での教員生活にお別れを告げ、上京を決めた。 それは同時に、大好きな故郷である、香川県の小豆島を離れると決めた瞬間だった。 大好きな故郷での学校の先生という夢だった仕事。充実した毎日。仕事を支えてくれる実家の両親との生活。大好きな教え子たちと、お世話になった同僚の先生方。 小豆島という山と海に囲まれた、大自然。 朝太陽に励まされて不登校の子どもを起こすために眠い目をこすって車に乗ったあの日。 夜に星を見ながら職場の先輩

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夢を叶えた東京は、ちっとも「冷たい街」なんかじゃない | #上京のはなし

「東京は冷たい街よ。そのわりに人は多いし、ひと息つけるのなんてトイレの個室くらいよ。」 まだ九州に住んでいた頃、かつて母が言ったことを今でもよく覚えている。んな訳あるかと思っていたし、んな訳ないよと思っている。 「ただ東京に行きたいだけじゃないとね。いろんな勉強会とか学会に行きやすいって言うけど、どうせそんな行かんやろ。福岡も充分都会やん。」 なんでわざわざ。 そんなふうに言った母は、最後までわたしが上京することを嫌がっていた。上京し、働き始め、こっちで結婚した今だっ

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山手線鮨詰め人生。生きるって楽しいね、東京。

もう暗記できるようになった山手線内回り。今は揺られるのも億劫で、乗り換えの新宿のアナウンスがかかるとドッと疲れを感じるようになってしまった。 絶対に東京で生きていくんだと覚悟を決めた中学3年生のゴールデンウィーク。 新宿、代々木、原宿、渋谷、恵比寿、目黒___ 初めて見た黄緑色の綺麗な電車。電車に電子パネルがついているなんて知らなかった、ねぇ、ママ、このパネルは次の駅の表示だけじゃなくてCMとか天気予報も流れるんだね。 WEGOの短パンにフリルのついた黒い七分袖、重め

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東京という街の、憧れの先にあったもの。

26歳で上京して早いもので10年経つ。 瀬戸内海の田舎で育った私は、当たり前に東京に憧れた。 だってテレビをつけると、朝のニュースや土曜日の午前中はどこも東京の飲食店や最新スポットの情報ばかりでうんざりする。 テレビの報道は東京とその他の地域。東京以外の地域は全てその他の1つとして、ひとくくりされてるように感じた。 まるで東京が日本の全てで、東京に憧れるように仕組まれて報道されている感覚に陥った。ローカル以外の民放でも、もう少し地方の情報を流していいんじゃない?地方も

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雪虫の舞う庭で。

春。 猿が小脇に野菜抱え森へ帰る田舎から上京した季節。 東京。 空の星は見えないと聞かされていたけど見えた都市。 部屋。 親のすねを齧りつつ初めて手にした自分だけの空間。 引越。 2tトラック借り親戚総出で僅かな荷物運び込む作業。 家具。 私の意思などはないと父親が勝手に買い揃えた静物。 円卓。 丸い緑のサイドテーブルは大き過ぎ居場所奪う存在。 なんだよ、これ。しかも、広がるじゃん。 父親。 癇癪持ちで、乱暴で、見栄っぱりで、声がでかくて、やることが大袈裟で、繊

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【アラサー上京物語。#82】上京に向いている人向いていない人。

ちょうど良いハッシュタグを見つけたので書いてみます。 「上京」というのは、メディアの中で特殊なイメージが描かれていますよね。 それこそインターネットがなかった時代にはそれはそれは、大都会東京に地方から上京するというのは かなりのチャレンジだったと思います。 しかしながら、この数年、コロナ禍を経た東京というのはだいぶ上京組にも優しい仕様になった気がします。 私はイメージしていた東京生活よりも、ずっと楽に楽しく生きられているので、向いているな、と感じています。 どうい

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あたらしいかばん(ブリーフケース)を購入して出張でノートPCなどを持ち歩いてみた

はじめに やはりリュックにすべきだったか。手提げ(ただし片方の肩へかけられるタイプ:ブリーフケース)かばんを出張につかった。PCを入れたいのでこのサイズを選んだがはたして。 きょうはそんな話。 A4ファイルを持ち運ぶには 仕事先では紙のやりとりがすこしだけのこる。わたしはすでにペーパーレスなのだがお会いする方々によってはまだ紙へ出力されたものを利用される。紙でサインやはんこをおしたものを残したい気持ちもわからないでもない。 紙の書類を手にする機会はなくなったわけではな

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【エッセイ】父の背広から薫る、東京の匂い

0歳から18歳まで、私は青森県で育った。 父は東京で単身赴任。 母と姉と弟、そしてそれぞれ脳梗塞による身体障害で杖をついて歩く祖父母と、私は本州の端っこの県で暮らした。 父が東京で働いていること、実は生まれが東京の武蔵野市であることが、小さな私の自慢。 自分は田舎娘じゃない、東京生まれのおしゃれな都会っ子なんだと、心の何処かで威張っていた。 修学旅行で待望の渋谷109デビュー。 小遣いを叩いてローズファンファンやセシルマクビーのショ袋を手にいれ、ボロボロになるまで使い古

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