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今、なぜか東京にいる

私は今、東京で医師として働いている。
時々ふと、考える。
なぜ、私は東京にいるんだろう。
独り身だから、どこにでも行けるはずなのに。

生まれ育ちは京都。
京都に住んでいた頃は関西が一番「おもろい」と思っていたし、「おもろない」東京に行く気は全くなかった。
京都が大好きで、京都に骨をうずめる気でいた。
大学の頃に初めて訪れた東京。
洗練された街並みではあったが、人が溢れて落ち着けなかったことを覚えている。

大学卒業後に京都で働き出し、結婚を機にパートナーに合わせて転居を繰り返す日々が始まった。
彼の転職に合わせて上京したのは2008年。
谷根千と呼ばれるエリアにあるアパートを借りた。
最初は人の多い都会に慣れなかったが、15年以上経ち人混みを避けて快適に過ごせるようになった。
仕事では良い出会いに恵まれた。
その後2回転居し、今私は都内のマンションに身を落ち着けている。

東京で離婚した時、考えた。
このまま東京に残るか。
私は別に東京がとても好きなわけではない。
さりとて故郷の京都は医師が多く、職場を探すのは容易でない。
今後の身の振り方を考えていたある日、上司から呼び出された。
この診療所を君に任せたいと。
突然の重責の打診に迷ったが、愛する家族もいないし打ち込むことが欲しかったから、引き受けることにした。

それから7年が経った。
下町にある診療所は徐々に地域に根付き、地域医療を守るべく私は楽しく働くことができている。
一方で東京への医師の一極集中が進み、周囲の医療状況は一変し競争が激化した。
不必要だと思う位、クリニックが乱立している。
日本のあちこちに医療過疎地があるというのに。

私がここ東京で働かなくても、代わりの医師はいくらでもいる。
どこか、医師が足りない地域に身を置いてみようか。
最近はそんなことをふと考えるようになった。
でも診療時に「先生、ずっといてね」「先生、私の最期を見届けてね」「先生の顔を見ると安心する」と患者さんたちから声をかけられると、ここで頑張らなきゃという気になる。

医師という仕事は、地域の人たちに必要とされて初めて成り立つものだとつくづく感じる。
コロナ禍で皆がステイホームだった頃も、変わらず来てくれた患者さんたち。
江戸の町を支えてきた地域の皆さんの昔話を色々聞き、最近ではこの街に愛着もでてきた。
流行に疎く都会の喧騒が嫌いな私。
苦手意識を持っている東京だけど、下町の人々との絆が深まるにつれて「悪くない」と思うようになった。
「東京が好きか」と問われたら、分からない。
でも少なくとも私は東京の人たちに心救われ、力をもらっている。

私の祖父は岡山で、父は京都で患者さんを診ていた。
ずっと故郷にいると思っていた私は今、東京で患者さんを診ている。
医師という仕事は根無し草。
置かれたところで咲く花のように、私は今日も東京にいる。