宮島ひでき

只今人生修行中。探すは旨い昼酒の飲める方法。 文章書くのが好きですよ。カレーと餃子は大…

宮島ひでき

只今人生修行中。探すは旨い昼酒の飲める方法。 文章書くのが好きですよ。カレーと餃子は大好きですよ。 合気道六段、産業カウンセラー。 木曜、日曜にエッセイ投稿いたします。

マガジン

  • 日々考えることのはなし

    毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました

  • 飲み屋に恋する男のはなし

    酒抜きで語れぬ私の人生、そのほんの一部をお聞きください、、

  • 合気道のはなし

    40年続けてきた合気道のこと、思うこと、考えること 合気道を理解いただくお役にも立つと思います

  • 母、宮島ハルヱのはなし

    宮島ハルヱの生涯、私はマザコンではありません 尊敬する先輩の一人です

  • 生きるためにやって来た仕事のはなし

    なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です

最近の記事

顔に傷あるけし坊主(再掲)

先日、父のもと部下だった方と出会う機会があった。「ひでき君、親方に似てきたな~」と、言われなんとなくショックだった。 父が他界してもう13年過ぎる。父の他界から10年の間、母はグループホームで生活した。兄は今も愛知の障害者支援施設にいる。 父が死ぬまでの10年間、そしてそれからこれまでの13年間、都合で約四半世紀、家族の介護や看病が続いて来た。遠隔からの一人での介護・看病には無理があった。そんな状況を生み出した総責任者である父が好きではなかった。 母の半生は兄の出生を悔恨し

    • LL(ロングロング)長屋の日常、悩みの無い悩み

      LL長屋はループ線上を24時間止まることなく走り続ける回るアパートである。 AIの進化は私たち人間を働く苦悩から解放し、自由の世界を提供してくれた。 と、言うのは世の中が変わってしばらくの間だけのことだった。 生きることは保障され、どのような算定基準があるのか分からないが、各人の銀行口座には二月毎にライフマネーと称される最低限にプラスアルファを加えた生きるために必要な金が振り込まれる。国の機関であるJUR²(ジュール)※1(※は下記参照)が経営のこのLL長屋での私の家賃など

      • 「合気道の彼」の弟

        以前、ここで紹介した小学6年生だった彼は、今は晴れて目標の中学に入学して今しか享受できないピカピカの時間のなかを生きているそうである。 そして彼には弟がいる。二つ年下の小学5年生の弟がいる。毎週日曜日、この暑さのなか汗をびっしょりかき自転車を漕いでやって来る。何を思いこの道場にやって来るのか、聞いてもその返事をもらったことは無い。大人たちに混ざり一緒に稽古をしている。通常だと子どもと大人を分けて稽古させる道場が多いが、私はそんな必要は無いと思っている。もう高学年ともなれば、彼

        • 深夜の考えごと

          また夢をみた。 ここでそう書き綴った記憶があるが、私は夢をあまり憶えていない。たぶん極端なショートスリーパーだからだと自分では思っている。ひょっとしたら夢を憶えている時は寝ていないのかと思ってしまったりする。身体をベッドに横たえて目を瞑っているのではあるがずっと考え事を続けている。日中も絶えず考えてはいるが、どうしても一つに集中することは出来ない。それはまだ現役で仕事を中心に生きていた頃、もっと極端だったように思う。 よく先輩に「人間ものを考えるのには7つが限度だ」と言われ

        顔に傷あるけし坊主(再掲)

        マガジン

        • 日々考えることのはなし
          502本
        • 飲み屋に恋する男のはなし
          43本
        • 合気道のはなし
          77本
        • 母、宮島ハルヱのはなし
          46本
        • 生きるためにやって来た仕事のはなし
          90本
        • 日々口にするもの食べるもののはなし
          165本

        記事

          睡眠の秋

          昨日はなんだか疲れていた。午後の早くない時間に家に帰り冷えた部屋でしばらく横になった。ウトウトとしていると設計事務所時代の大先輩から電話がかかり目が覚めた。西宮でマンションの計画があるから一緒に来て話を聞いてくれと言う。まだ眠かったのと、過去に西宮北口の地主にだまされたことがあり、もう二十年も西宮に足を踏み入れたことはない。そんな場所に入り込むには心身ともに調子を整えて「エイヤッ」と、飛び込まなければならない。そうでもしないと過去の負の圧力に負けてしまう。だから、丁重にお断り

          LL(ロングロング)長屋の日常、車窓のある暮らし

          ほんの少し先の未来の話である。 その頃人がまともに生活できる土地は都市部には残っていなかった。建築基準法が変わり上へ上へ伸び行くことが可能になった集合住宅にはさまざまな限界が生まれ、投機の対象物ではなくなってしまい、異国の所有者たちは長年の間にその所有権を手放していた。空室は増え、高齢者は増えて、巨大な建物にはいつも自分の部屋を忘れてしまった大人の迷子が彷徨うのであった。そしていつしか異臭も漂い近づく人もいなくなっていった。 私は端から高いところは苦手、田舎の故郷に帰れば、

          LL(ロングロング)長屋の日常、車窓のある暮らし

          『上京』それは魔法の言葉

          1980年、もう40年以上も前のことである。 私は高校を出たあと2年間働いた豊橋市の魚市場を卒業して、東京での生活に備えていた時期であった。 豊橋から東京、大阪は『こだま』でどちらもほぼ二時間、真ん中辺りの豊橋は東京圏でもなければ大阪圏でもない、かと言って名古屋は尾張で豊橋は三河で、名古屋はそれほど親しみを感じる土地じゃなかった。その時の私は大阪の地に一度も足を踏み入れたことは無く、故郷を離れることは上京の一択しかなかったのである。 勉強が嫌いなわけじゃなかったが、他の連中

          『上京』それは魔法の言葉

          八尾の青空と白い雲

          多少は暑さはおさまったのかもしれない。汗をかきながらだが、酒の力を借りずとも朝まで熟睡できている。 金曜日の夕方、稽古に出かける途中である。 稽古に来る中学生の夏休みももう終わりなんだなと、八尾の青空と白い雲を見上げて駅に向かう。 大学時代の合宿に向けての稽古を思い出した。道場で軽く準備体操をして、練馬区の江古田から中野区の哲学堂公園まで走る。着いたらトレーニングである。腕立て、腹筋、なんでも百回単位だった。そしてまた走って大学の学生会館6階にあった道場に向かう。道着に着替

          八尾の青空と白い雲

          17時前のカウンターの男

          難波で時々立ち寄る店がある。高くて美味いは当たり前、安かろう悪かろうで悪酔いは勘弁願いたい。リーズナブルな美味しい大阪のアテがいつも口にできる大阪らしい飲み屋である。なんのしがらみも無い、知り合いもいない店である。プロである店の人間も心得たもので、私を無口な人間嫌いだとでも思っているのであろう。もう10年以上も行っている店なのに私には余計なことは一切言ってこない。私はいつもメニューを見て旬のもの、初めてお会いする一品を頼み、魚卵とカニ味噌で成形されたいつもの「カステラ」をその

          17時前のカウンターの男

          ゴーヤと八海山と忘れてはならない夢

          以前から気になっていたことがある。いつもゴーヤをスーパーで見かけるとゴジラが重なっていたのだ。色の濃いヤツに出会えばしばらくにらみ合い、一番大きな元気のよさそうなゴジラを家に連れて帰ってくる。 気になり調べれば、なんとシンゴジラの皮膚はゴーヤで模られていたようである。誰もが考えることは似たようなもんだなぁ、と一人腑に落ち『八海山』のキャップに手をかける。南魚沼の新米を東京の毎年大学合気道部の同期生が送ってくれ、つやつやの白米を喰いながら高校時代の夏休みに1人自転車で走った奥只

          ゴーヤと八海山と忘れてはならない夢

          婆さんの靴下屋

          夕方の通天閣を天王寺駅前のこの歩道橋から見やると履きそこなった一足の靴下をいつも思い出す。 子ども達は皆知っていた。そして、大人になると皆それを記憶に残すことは無いのである。 天王寺動物園の裏口から行かなければならないその靴下屋は通天閣に向かう途中にあるよく注意しなければ見落としてしまう古い店だった。ここら辺の子ども達は何も考えることなく皆、時期がやって来るとその靴下屋に行っていた。古い引き戸をガラガラと開けると懐かしい昔の匂いがする。その奥の古ぼけた照明に照らされて婆さん

          婆さんの靴下屋

          人の怠惰におもうこと

          両親ともに長男、長女ではなく、この『お盆』という期間を深く考えることは無くつい最近まで生きてきた。父が年末に亡くなり、母はお盆前にこの世を去った。するとなんとなく、決められた様式に囚われることの少ない私でさえ盆や正月を意識するようになった。ならば遠い祖先に思いを馳せ、とここに書きたいところだが、あったこともないご先祖様の供養はなんとなくピンとこない。直近の両親やいとこ達、まだ姿も声も憶えているそんな親族に思いを馳せながらこんな思いを引き継いでいったらいいんじゃないかと思うので

          人の怠惰におもうこと

          考えすぎて考えること

          最近旧友から続けて連絡をもらった。これまで途絶えていた連絡ではあるが、電話で話せばそれまであった互いの諸々は関係なく銭湯で久々に会った友と話すように会話する。両親、家族を看取った話、自身の病気の話、親の思いのように進まぬ子どもの話など誰もが通る話題が多い。 そんな話を手紙にしたためるのは非常に難儀である。しかしながら手紙にするのにはこのパソコンに文字を並べる作業よりもずっと手間はかかり、頭を使わせてくれる。メールをダメだとは言わないが、メールやラインは苦手である。簡単に修正

          考えすぎて考えること

          京都西山大原野の日常に思う

          内陸のしかも盆地の京都市内は暑い、いや熱さを感じる。 そんななかをNPO法人京都発・竹・環境ネット(通称NPO竹ネット)の手伝いに通っている。 どうもこの竹ネットの所在地である『大原野』という地名を出すと、まだ移り住んで日の浅くない京都在住者でも大原三千院の『大原』を思い浮かべるようである。 大原三千院は京都市左京区大原来迎院町というなんとも神々しい地名に位置するお寺である。 私が通う『大原野』は京都市南西部にある西京区に位置する。 京都の地名は分かりやすい。特に古い地名は

          京都西山大原野の日常に思う

          真夏に思い出す夏の思い出

          少し早い夏休みのような生活を送っています。 かと言いつつも、貧乏人に暇を与えてくれないのが世の常です。自転車で八尾から大阪市内までウロウロしている間に久しぶりに陽に焼けていました。わりとデリケートな肌を持っており、もう若くはない昨今は夏場でもなるべく長袖のシャツを着てお肌のケアに努めていました。久しぶりに焼けた肌を見て、パリ五輪の水泳を見て、子どもの頃故郷愛知県豊川市から長野に向かう途中の冷たい川で泳いだことを思い出しました。 一級河川豊川(とよがわ)の上流、長篠の古戦場の

          真夏に思い出す夏の思い出

          夏到来

          ああ気がつけば夏が来た 正真正銘夏が来た 北を向いても南を見ても、東も西も夏だらけ スタンドカラーの白のシャツ 洗い晒しの綿のハーフパンツ 素足はスニーカーかサンダルで 夏といつも同化する 笑って太陽見上げれば あいつも笑って歌ってる だから一緒になればいい あいつはいつも独りきり そろそろ友を持ちたいと やっと気づいた腰抜けさ オレもいつも独りきり お前と同じ独りきり だからだからこの時だけさ お前をツレにしてやるぜ 無糖のチューハイ 無敵のオレ 無視はしないぜこ