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LL(ロングロング)長屋の日常、長屋での密かな楽しみ

LL長屋はループ線上を24時間止まることなく走り続ける回るアパートである。

今、このLL長屋では文通が流行っている。なんてことはない紙の手紙の文通が私のまわりで流行っているのだ。多くの人々は手書きなんてすることが無い。まだキーボードを打っていた頃が懐かしくなる。どこに居たって頭に浮かべた文章ばかりか想像した画像までもをスマコン(スマートコンタクト)※1(※は下記参照)が作り、目の前に映し出すのである。そして、必要とあらばそれを相手に送れば世界中どこに居ようと、「伝達」という作業はすべて事足りてしまうのである。しかし、ここには問題があった。進化してでき上がったスマコンは国の事業として行われ、経済産業省と文部科学省がやけくそで合体したTIXT(ティクスト)※2 の工場で製造されてこのLL長屋の住人たちにも配られていた。

その気になれば、24時間装着も可能な酸素吸収可能のスマコンはこの国の住人達にも余計なことを考えさせなくなった。そればかりか、このスマコンは頭に浮かべたことがすべて「AIさん」に拾われTIXT(ティクスト)に報告されるのである。国に悪意のあることや、反社会的な思想はすべてキャッチできるのである。だから、ある日突然このLL長屋で「空室あり」の貼り紙が車体に貼られて、駅で列車を待つ人間の目にも入るのである。最先端のデジタルの世界のなか、なんとものどかなアナログの風景が展開されるが、その陰にはそんな裏事情があるのである。

このスマコンは24時間着装可能であると、TIXT(ティクスト)は24時間装着を推奨しているが、外していても何らお咎めは無かった。外して目を休めてやろうと考える方が当り前のことだからだ。その昔、スマートホンが全盛だった頃に老いも若きもすべての人々がスマホを片手にホームで電車を待ち、スマホを片手に電車内で沈黙し、スマホを片手に街中を歩いた。スマホが無ければ生きていけないくらいの勢いで、皆がスマホを片手にしていたが今はそれは無くなった。スマホがスマコンに変わったからである。見た目はスマホ時代ほどの異様さは無くなったが、街中で、電車内で話をする人間はいなくなった。
いや、実は異様さは増していたのかも知れない。

すべての人がこの世に生きながら、実はスマコンの中で生きていたのである。それは自分だけの世界で生き始めたということなのである。コントロールしやすい人間を作ること。それがTIXT(ティクスト)の目論見であり、国の狙いだったのである。

私は大それたことなど考える由もない。ただ、普通に生きたかった。普通の人間としての意識を忘れたくなかったのである。私のような人間は目を見ればすぐに分かった。焦点が合っているのである。キョロキョロと電車内の人々不思議な風景をうかがったり、車外の虹色に輝く湾に注ぐ尻有川の河口に目をやったり、「歴史的保存エリア」※3 と称され私たちの目には見えない薄い薄いラッピングの施ほどこされた遠い緑色の、生狛の山々に目をやっていた。たまにそんな男や女を見かけると近づきメモを渡したのである。

「よろしければ、文通しませんか。人間としての生を忘れないために」と手書きし、新古宮駅ホームの売店のおばちゃんに渡して欲しいと自分の名前とともに伝えた。
こんな面白くもなさそうな、胡散臭い話なのだが、必ず渡した相手はおばちゃんに手紙を渡した。それくらいそんな男や女は飢えているのである。本当に生きることに飢えているのである。24時間架空の虚無の時間をスマコンとともに過ごし、何も考えずに生きる時間を良しとしない男や女がまだ残っていたのである。

85歳になるおばちゃんは90歳で定年の契約書をJUR²(ジュール)※4 と結んでいる。おばちゃんが25歳の年からこの売店に立ち続けてきた既得権でまだこの売店にだけアンドロイドは入ってこれないのである。おばちゃんとはもう30年の付き合いとなる。必ず夕方ここに立ち寄り、手紙を受け取る。そして缶ビールを開けておばちゃんの生存確認をして一周してきた自分の部屋に戻る。毎晩私は手紙を読み、返事を書いた。内容はなんてことはない「つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書き綴った」内容なのである。
それは翌日おばちゃんの手から男や女たちの手に渡るのである。

そんなことが未来に住む私たちが普通に生きるために必要なことなのであった。


◎前回のLL長屋の日常

言葉の補足
※1 スマコン(スマートコンタクト)はAIの進化したなか、その昔必需品だったパソコンやスマートホンはなくなり、このスマコン一つでできないことはなくなっていた。

※2 TIXT(ティクスト)は経済産業省(Ministry of Economy, Trade and Industry、略称: METI)と文部科学省(Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology」、略称: MEXT)の存在が、時代にそぐわなくなりやることがぐっと減ってしまったために、暇潰しのやけくそで作った組織

※3 「歴史的保存エリア」はその昔、汚染された降雨の蓄積によって人間は立ち入ることのできなくなってしまった保存エリアである。現在は降雨による汚染水の湧出を防ぐために全体をラッピングし、立ち入り禁止エリアとなっている。

※4 JUR²(ジュール)はJRとURが現状打破のためにやけくそで合体して作られた国土交通省が直轄する団体


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