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17時前のカウンターの男

難波で時々立ち寄る店がある。高くて美味いは当たり前、安かろう悪かろうで悪酔いは勘弁願いたい。リーズナブルな美味しい大阪のアテがいつも口にできる大阪らしい飲み屋である。なんのしがらみも無い、知り合いもいない店である。プロである店の人間も心得たもので、私を無口な人間嫌いだとでも思っているのであろう。もう10年以上も行っている店なのに私には余計なことは一切言ってこない。私はいつもメニューを見て旬のもの、初めてお会いする一品を頼み、魚卵とカニ味噌で成形されたいつもの「カステラ」をその後注文し、ビール一杯、熱燗二合、気分が乗れば焼酎をロックか水割りで一杯飲んで店を後にする。そんな時間はたいてい普通のサラリーマンはまだ仕事をしている最中である。

そんな時間に不思議ではあるが、時々見かける男がいた。いつもカウンターに1人座り、私の視界に入るのであった。そんな男は何人もいるので初めは気にもとめていなかったのだが、ある時ふと「待てよ、あの男どこかで会っているかも知れない」そう思いだしたのである。私はたぶん人よりも記憶力が良い。特に人の名前と顔をよく憶えている。このことは営業マンにとってはこの上なくありがたいことであった。しかし、しかしである。その男に限ってどこで会ったのか思い出せないのである。分かるのは、いつもその男を見かけるのはこの店がサラリーマン達で混みだす17時前の出来事であることだった。

『17時前の男』が気になったのはなんだか同じ匂いがしたからである。たぶん私同様に固いか、まあまあ固い仕事をしてる人間に違いなかった。その時である、カバンからその男は左右を確認してからそっと日経新聞を抜き出したのである。それで思い出した。あのビルに入って行った男なんだと思い出したのである。知り合いでも何でもない。私が気になる大阪のあるビルに日経新聞とカバンを手にして入って行った男なのである。

スーパーから米が姿を消した。いろんな原因が重なったにしても、私たちの主食である米がスーパーから姿を消したのである。国は農家に金をばら撒き「それ以上作りなさるな」と言い、水田を荒れ地にして殺してしまい、日本の自給率を下げてもへっちゃらである。そんな与党のリーダーなど誰でもよく、日本国の首長は誰でもよく、できることであるならば私はビートたけしとたけし軍団に国のかじ取りを任せたい。この国をけん引する男や女たちは今の現状を分かっているのであろうか。

私が合気道の稽古に通っている道筋の大阪市のビルに『大阪市備蓄倉庫』と看板が掛かっている。そこに備蓄米があるのかと想像したが調べてみるとそこにある米はアルファ化米だった。アルファ化米は戦国時代の武将や江戸時代の旅人が食べた『乾燥ご飯』である。しかもその量は大阪市の人口にとうてい足らない個数しかない。何をどう想定して量や個数を決めるのか、そのうち担当者に聞いてみたい。備蓄米は業者の倉庫で管理されているとのことであった。『先入れ先出し法』で古い米は家畜の飼料として払い下げられるということである。最終的に私達の腹に収まるのであるならば同じこととの考え方もあるであろうが、私には私たちの主食である『米』が『ご飯』にならないのでは違和感がある。

そんなことを考えている時に『17時前の男』を見かけたのである。その男が出入りしているビルは大阪のとある場所にある。しかしながらその場所は、私の先輩に対しての守秘の誓いがあって公言することはできない。

もう20年以上も前のこと、その先輩と私は同じゼネコンにいた。かなり優秀な建築屋だった。会社によくない噂が立ち始めるとすぐにヘッドハントされた。
純粋なゼネコンではなく大手鉄鋼メーカーの一般建築の責任者になった。その先輩から電話が来た。「面白い建物やってるから一度見に来い」そう言われてすぐ次の週には行っていた。某都市銀行の建物のリニューアル工事だったのである。「な~んだ、何が面白いの」と聞くと図面を見せられた。多くの以前建てられた銀行の建物は過剰設計(必要以上に強度を強くしたりする)が多い。各階は壁も柱も少ないただの部屋でそれの強度をそれ以上に上げていた。そして図面の次のページには驚く数のコンピューターのサーバーが並んでいた。

国のデータセンターだったのである。このデータセンターは、天災を含む万が一の有事に備えて首都一カ所にデータを置かずに地方などに同じものを置いている。実はこんなデータセンターは国ばかりではなく、各自治体や民間企業でも持っている。ただ、国はその所在地を明らかにはしていない。自ら大切なデータを危険にさらす必要はないからである。

ひょっとしたら『17時前の男』は国の職員なのかも知れない。頑丈な建物は全館強烈にクーラーが効いていた。セキュリティーは非常に厳しいものだろう。管理に多くの職員は必要ないであろう。ひょっとしたら三交代くらいの仕事なのかも知れない。彼は日勤の早番の日には朝早めにビルに入り、夜勤担当者と引継ぎをして作業に入る。作業といっても時間ごとにやって来る見回りくらい、これといってやることは無い。まずは日経を読みながら真夏でも熱いコーヒーを飲む。とにかくどこもかしこも寒いくらいにクーラーが効いているのである。口が堅くまじめな男にしか任されることのないその仕事をルーチンにする彼は昼まで見回り以外やることは無い。日経新聞を端から端まで目を通すと一人の昼メシの時間がやって来る。妻の作った弁当を熱すぎるほど電子レンジで加熱してインスタント味噌汁を作って食事する。とにかく寒いのだ。テレビはいつもNHKだ。何といっても彼は国の職員なのである。ニュースをみて、続くバラエティー番組をみて、連ドラを見終えると午後の仕事が始まる。仕事が始まる前に弁当箱をきれいに洗って洗いかごに伏せておく。午後は眠くなるから決められた以上に見回りをする。三時のコーヒーは欠かさない。そしてしばらくすれば遅番の職員がやって来る。そして引継ぎをしてビルを出るのである。おっと、洗った弁当箱を忘れることは無い。そしてその足で私の行く飲み屋に来るのかも知れない。早番勤務時の彼の息抜きタイムに私は彼を見かけているのかも知れない。

そこで、ふと疑問に思う。彼は弁当に持って来る米に困ることは無いのではないか。口には決してださないが、決して公言できぬ彼らだけの闇ルートがあって米に困ることは無いのではなかろうかと。なんだかあの慌てることの無い妙な落ち着きと世を超越したような雰囲気がそれを私に物語る。

なんてことはありえないだろう。
いつもそんななんともくだらないことを考え私は生きている。
でも世の中には表には決して出てこないルールもあることを私はここまで生きてくる間に目にしてきた。
だから、そんなことがあっても何の不思議も無いと思っている。

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