見出し画像

東京

久しぶりに地元に帰った。帰ったと言っても、友達に会うためにほんの数時間だけ滞在して、夕方には上りの電車に乗った。生まれ育った土地よりもっと手前での集合だったから、特に感傷はなかった。久しぶりに会った友達とは、誰々が結婚したらしいよとか、子供生まれたらしいよとか、誰はどこに勤めてるよとか、そんな話ばっかりだった。こんな風に、隣のクラスのただ同じ中学だっただけの人の彼氏がどうとか年収がどうとかの話が聞けるならば、私の噂もその子に届いているんだろうなと思った。こんな話が聞きたかったんじゃない、私は最近あなたがどんな映画を観て、本を読んで、どの場面で泣いたのか、どのシーンが好きだったか、そんなことが聞きたかったのに。

帰り際、「本ばっかり読んでないでさ、インスタ更新しなよー」なんて言われた。地元の人たちと繋がっているアカウントは今も昔も投稿ゼロのままだった。そうかー地元の人たちに私はそんな風に映ってるんだなーと思った。

帰りの電車で、漫画を読んだ。ずっと大切な時に読もうと思ってた漫画、毎日毎日決まった時間に決まったルートを散歩し続ける人の話だった。土井善晴先生の言葉を思い出す。ばかみたいに蒸し暑くて、人の多すぎるこの東京で、誰も私を見ていないことに、安心した。私が誰と付き合って、別れても、妊娠しても、しなくても、勤め先がどこでも、みんな手元のスマホを見てる、私がいつくたばっても誰も気付きやしないこの東京に、ありがとう、と思った。

生まれ育った土地で、結婚して、子供を育てる、そう出来たらもっとシンプルだったのかなと思うこともあるけれど、18年もの間あの場所でなんとか笑ってやり過ごした自分のことを抱きしめてやりたい。人は繁栄するために生きている、ということを強く感じたのは中学の頃だったか、生まれては死んでいく、ここで互いに作用し合って、生み出しては消費して、それを繰り返すだけの生が、そしてそこに付随する死が、あまりにも色濃く感じられて、怖かったのかもしれない。

ふいに彼氏からLINEが届く。「包丁って人生で何回買うと思う?」そういえばこの間彼が、電車で、靴ビンゴをやってるんだと教えてくれたのを思い出した。早速顔を上げると、革靴、革靴、革靴。ビンゴだ。やがて駅に着いて、人が入れ替わる。3番目の革靴の人がいなくなって、現れたのはローファーだ。これは、ビンゴ?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?