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東京が教えてくれたこと


上京したきっかけ

私が上京したのは18歳の時、大学進学のためでした。
それまでは18年間、生まれた町を離れたことがありませんでした。
ずっと両親、兄妹と一緒に暮らしていたので、一人暮らしも初めてでした。

東京には憧れがありました。
一人暮らしにも憧れがありました。
田舎ではできない都会ならではの体験ができる、田舎にはないものがある。
実家を離れてみたい。
一人で暮らして自分の力を試してみたい。
そんな気持ちがありました。

田舎者レベル

私が当時どれくらい田舎者だったかが分かるエピソードをご紹介します。

①乗り換えもSuicaも知らない

大学に進学してすぐに入った学園祭実行委員会。
夜通し歩いてしゃべろうというイベントに参加しました。
私が初めて住んだアパートは、京王線の多磨霊園駅が最寄り駅でした。
待ち合わせは西荻窪駅。
乗換案内のサイトやアプリがあることも全く知らなかったので、自分で駅の路線図を見て切符を買いました。
多磨霊園駅から新宿まで出て、そこで乗り換えて西荻窪駅まで行きました。
そのことを委員会の先輩に話すと笑われたのでびっくりしました。
「吉祥寺で乗り換えよっか」と言われました。

Suicaを初めて買ったのは、委員会の春合宿の時。
駅に集合した先輩方に「目的地までの切符はいつ買ったらいいですか?」と聞くと、「切符買ってるの!?」と驚かれました。
「Suica買ったほうがいいよ」と言われ、「スイカって何ですか?」となりました。
「お金を入れておけば、改札にタッチするだけで電車に乗れるし、乗り換えも楽になる」と教えてもらったのですが、説明を聞いただけでは何もイメージが湧かず、実際に使ってみて初めて理解しました。

②服を盗まれる

私が初めて住んだ部屋は、2階建てのアパートの1階。
洗濯機が部屋の外にしか置けないという部屋でした。
当時の私には防犯感覚のようなものがほとんどなく、暑ければ窓を開けて寝ていましたし、洗濯物も洗濯機に置きっぱなしのことが普通でした。
そんな状態だったので、ある日、洗濯していたはずのものが洗濯機からなくなっているという事件が起こりました。
その時はさすがに怖くなりましたし、上京してから出会った東京出身の友達からも「防犯意識なさすぎて危ない」と言われたので、そこからは戸締りなどに気をつけるようになりました。


東京で感じた優しさ


常連さんからのプレゼント

上京して初めてのアルバイトは塾講師でした。
大学に入ったら塾講師のアルバイトをしてみたいなと思っていたので、入学して授業の計画を立てたらすぐ、いろいろな塾に電話をして応募しました。
大学1年生の5月頃から働き始めたのですが、夏期講習が思った以上に大変でつらかったのと、12月に演劇サークルの公演に参加することになったため、11月頃には退職してしまいました。

塾講師は自分には合わなかったなあと思いながら、年明けから新しいバイトを探し始めたのですが、なかなか見つかりませんでした。
家から近くて求人が出ているところには片っ端から応募していき、とあるバーの店長さんからは、「そんなんじゃ働けないよ。」と謎のダメ出しを受けたりもして、バイト探しにはけっこう苦労しました。

「どこでもいいから私を雇ってくれ・・・。」と投げやりになっていた時、求人サイトで一つの求人が目に留まりました。アパートの最寄り駅前の居酒屋さんの求人でした。

面接では、「おとなしそうだけど、接客大丈夫?」と心配されましたが、とっさに「演劇やってるので大丈夫です。」と返事をして何とか乗り切り、「じゃあ、次の水曜日から来て。」と言ってもらえました。

そこからは、水、土、日の週三日、17時から24時まで働くことになりました。大学の勉強と、学園祭実行委員会と、途中から入った演劇サークルとの掛け持ちで忙しくなりましたが、当時はいろんなことをやってみたい気持ちがみなぎっていたので、けっこう楽しくこなしていました。

その居酒屋さんには常連さんが何人もいて、話しかけてくれる方もたくさんいらっしゃいました。
中でも親身になってくれたのが、通称「スーさん」です。
何でも屋さんを経営しているおじさんで、一人でお酒を飲みに来ては、アルバイトの若者に声を掛けたり、いつものメニューを頼んだりして、お店にも私にもよくしてくれていました。

居酒屋バイトを始めてから初めての夏、大学2年の夏だったと思います。その日もスーさんが来てくれて、飲みながら私に声を掛けてくれました。
「毎日暑いねえ。エアコンつけないと死んじゃうよねえ。」
「私、あんまりエアコンつけないようにしてるんですよ。電気代が気になるので。」
「えっ。じゃあ扇風機だけってことかい?」
「扇風機も持ってません。」
「えっ! それじゃあ大変じゃないか!! スーさんねえ、引っ越しの片づけの仕事もしてるから、要らなくなった家電とかいっぱい持ってるんだよ。扇風機もあったと思うから、持ってきてあげようか?」
「ええっ! いいんですか? ありがとうございます!」

私は「ありがとうございます!」と言いつつも、酔っぱらったおじさんの言うことなので、あまり信用はしていませんでした。
その会話の後、スーさんはお勘定をしてお店を出て、私は仕事を続けました。

それから30分ほど経った頃でしょうか。
「いらっしゃいませ!」と従業員が声を掛けた先を見てみると、お店の入り口に再びスーさんの姿が。
そして、にっこり笑顔のスーさんの手元には、真っ黒の大きな扇風機があったのです。
「○○(私の名字)ちゃん! 持って来たよ!」
正直、私はびっくりして戸惑ってしまい、すぐにはお礼の言葉が出てきませんでした。

他のバイトさんたちも店長さんも驚いていましたが、みんな「よかったじゃん!」「すごいねえ!」と笑ってくれました。
私はスーさんに「ありがとうございます! 大事に使わせてもらいます!」と言って、扇風機を受け取りました。
まだ仕事が残っていたので、居酒屋の2階にある更衣室に一旦扇風機を置かせてもらい、退勤後に持って帰りました。
お店は自宅から歩いて5分くらいの近さにあったので、手に持って歩いて帰ったのですが、女の子が真夜中に扇風機を持って歩いているのは不思議な光景だと思うので、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分でにやにやしながら帰宅しました。

その時もらった扇風機は、何年も使って壊れるまで大事にさせてもらいました。
スーさんの優しさ、東京で出会った大人からの心からの親切を思うと、今でも心が温かくなりますし、感謝の気持ちが湧いてきます。

スーさん、その節は本当にありがとうございました。扇風機をプレゼントしてくれただけでなく、東京の人の優しさを教えてくれて、今でも感謝しています。嬉しかったです。


家族の応援

東京で暮らしていたころの私はエネルギーに満ちていて、やりたいことがたくさんありました。
いろんな所に行ってみたいし、いろんなものと出会ってみたいし、いろんなことに参加してみたいという欲がいつもあって、自分でも制御が効かないくらいの状態でした。
だから、大学の授業がない日もいつも予定が入っていましたし、帰りが遅い日も朝が早い日もたくさんありました。

朝は早起きして大学で授業を受け、夕方から電車を乗り継いで他大学のサークルに参加し、夜にはまた電車で戻ってきて居酒屋で働き、また次の日の朝から大学に行ったり出かけたり・・・。

寝る暇もないほど活動していましたし、いろんな人と関わって、いろんな役割を背負って、いろんな自分を消費していました。
ホームシックは常にあったのですが、寂しいからといって家族に電話したりするタイプでもなく、東京で一人暮らしをしているのだから寂しいのは当たり前、ぐらいの気持ちでいました。

ある日、母親が3枚ほど写真を送ってくれました。
2枚は作文、1枚は習字の写真でした。
なんでも、受験生の妹が私のことを作文に書いたというのです。
写真を拡大して読んでみると、「お姉ちゃんも東京で一人で頑張っている。私も受験勉強はつらいけど、もっと頑張らなくちゃ。」
そして、習字のほうを見ると、「努力は必ず報われる」の文字。

その写真を見たのは、サークルでの稽古が終わり、居酒屋バイトへ向かうため一人で電車に乗っている時でした。
ですが、私は人目もはばからずに泣いてしまったんです。
スマホの画面を見ながら涙が止まらなくて、これからバイトもあるのに、乗客にも見られているのに、全然こらえることができなくて、とにかく泣きました。

上京することも、一人暮らしをすることも、大学に通うことも、サークルやバイトをすることだって、全部自分で選んだことだし、全部自分で望んだこと。
やりたいことをやれている毎日だけれど、当然疲れもするし、楽しいことばかりではないし、悩むこともあれば落ち込むこともある。寂しくてどうしようもなくなることもある。
一人でいる時には無意識にふたをしていたのか、気づかなかったのか。

私はいつも、家族に支えられていた。
家族に守られ、心配され、応援されていた。
離れていても、話をしなくても、家族の心はいつも自分のそばにあった。
私の頑張りはいつも家族が認めてくれるし、私の存在だって家族が必ず肯定してくれる。

そんな家族の存在の大きさを感じることができたのは、それまでの人生で初めてだったかもしれません。
上京しなければ、家族の大切さ、偉大さに気づくことはなかったのかもしれません。

そんなわけで、私が東京で得たものの一つは、家族の大切さに気づけたということです。
近くにいたら見えなくて、離れてみて初めて見えてくるものって本当にあるんだなと思います。
いつでも家族の支えがあるからこそ頑張れて、家族がいるからこそ自分でいられるのだと思います。
東京暮らしで気づけた家族の大切さをこれからも胸に刻み、たくさん家族孝行できるように生きていきたいと思います。


まとめ

東京は、地元にいる頃から憧れていた通り、田舎では出会えなかったたくさんのものや人や出来事に出会える都会な街でした。
そして、たくさんの経験を与えてくれて、たくさん成長させてくれる街でした。
また、それだけでなく、地元にいた頃ははっきりと見えていなかった家族の大きさや大切さにも気づかせてくれて、自分にとって何が本当に大切なのかにも気づかせてくれた、人生の恩師のような街でした。

これから上京する方たちは、希望や不安が入り混じった複雑な心境かもしれませんが、東京という街が与えてくれるものをたくさん受け取って、やりたいことにたくさん挑戦してほしいと思います。
そうすれば、大変なことはあったとしても、きっと後悔はしないと思うし、必ず自分自身や自分の人生の糧になると思います。

私の上京エピソードが、少しでも誰かの役に立っていたら嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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