見出し画像

夢を叶えた東京は、ちっとも「冷たい街」なんかじゃない | #上京のはなし

「東京は冷たい街よ。そのわりに人は多いし、ひと息つけるのなんてトイレの個室くらいよ。」

まだ九州に住んでいた頃、かつて母が言ったことを今でもよく覚えている。んな訳あるかと思っていたし、んな訳ないよと思っている。

「ただ東京に行きたいだけじゃないとね。いろんな勉強会とか学会に行きやすいって言うけど、どうせそんな行かんやろ。福岡も充分都会やん。」


なんでわざわざ。

そんなふうに言った母は、最後までわたしが上京することを嫌がっていた。上京し、働き始め、こっちで結婚した今だってそう。人生でもっとも親不孝なことは、上京して働くことを選んだということだと思っている。医療職なんて、日本全国どこでも仕事があろうに。そう溢した母の気持ちも、よく分かる。ごめんね、でもやっぱりこっちに出てきてよかったと思う。


日本最高峰といわれる病院で仕事がしたくて、九州から見学に行ったつもりだった。九州から就活をしに行くというのに、一つだけ見に行くのはさすがにもったいないかも、と当て馬のようにしてもう一箇所だけ見学に行ったのだ。ついでのつもりだったその場所に惹かれて働き始め、もう6年目になる。
最初に見に行く予定にしていた病院で働くと思っていたし、働かないとしたらそのときは、地元で就職するだろうと思っていた。今でも「東京都」と住所に書くたび、不思議な気持ちになる。


そうか、わたし今、東京に住んでいる。


国家試験の合格発表は、3月26日だった。

引越しの都合上、東京に引っ越してきたのは3月21日。いつにしようか悩み、「3.2.1.ドーン!」と勢いが良さそうな日にちを選んだのでよく覚えている。大学の教授から合格安全圏のお墨付きをもらったので先に引っ越しを済ませたものの、発表の瞬間はずっとドキドキしていた。憧れていた仕事に就けるかどうかもそうだけれど、「引っ越し直すようなことがないか」ということのほうが不安だった。


国家資格の仕事ゆえ、国家試験に落ちて資格が無いと働けない。内定取消しになった知人を何人か知っている。引っ越した家も病院の寮扱いだったので、万が一落ちれば速攻福岡に帰ることが決まっていた。大丈夫だろうと思いつつも怖くて、家具がマトモに買い揃えられなかった。引っ越してから合格発表があるまでの数日間は、ベッド代わりに買ったハンモックと、カーテンと、テレビ台しか無い家で暮らした。段ボールの上か床の上で作業をし、ご飯を食べた。

だから、合格発表で自分の受験番号を見たとき、なによりもまず「あぁ、これで東京に住める」と思った。「家具を買おう、自転車を買おう」とも。自転車を買い、資格の手続きをすべく書類一式をA3サイズの封筒に入れて郵便局へ向かった。

一通り書類は読んだつもりだったが、やれ収入印紙だ、払込取り扱い票だなんだと、知らない言葉ばかりだった。あの、とおずおず窓口で尋ねたわたしに、郵便局の方々はすべて優しく教えてくれた。
一緒に封筒の中身を見て、これはここで出して。これ書いたら、その後はあっちの人ね、と教えてくれた。導かれるがままに手続きをして、ペコペコ頭を下げてお礼を言ってから郵便局を出て、さあ次は100均だ、と思って自転車を漕いで。

__________そこでようやく、涙が出た。


このnoteにも書いた通り、その日のことを、過去のわたしはこんなふうに日記に書いている。

郵便局を歩き回って、やれ収入印紙だ
やれ書留だと免許申請の手続きを終えた。
それから、そのまま日用品を買うべく
100均へ向けて自転車を漕いでいる途中、
じわじわと実感が湧いてきて、
なぜか半泣きで自転車を漕いだ。

うれしい。言葉にすればありきたりで、
でもこれ以上にないほど、うれしかった。
13歳の頃のわたしが抱いた夢に、
やっっっっと手が届いた。
そのために食い潰した日々を思うと
尊くて、愛おしくて、
まるごと抱きしめてしまいたい。

過去の記事「長い冬を越えて」より


13歳の頃から憧れた仕事だった。
飽き性のわたしが、唯一ずっと思い続けられたことだ。「ずっと思い続けていた」ということだけがまっすぐ自分の中にあった。要領の悪さゆえ、泣きながら試験勉強をした夜があったし、友人と電話越しに励まし合いながら4時までかけてレポートを書いていた日があった。

だけど、ようやく手が届いたのだ。やっと働けるのだ。そう思うと、本当に嬉しかった。

嬉しさのあまり、100均に寄った後にニトリへ行き、組み立て式のダイニングテーブルを買って持ち帰ることにした。配送されるのを待っているのがもどかしかった。わーい!と思いながら購入し、……すぐに、その選択が誤りだったことに気付く。


これ、めちゃくちゃ重いな……?

担いで歩けるのはほんの数歩というほどの重さである。自転車に載せようにも安定しないので、諦めて自転車は駐輪場に置いて帰ることにした。まだ自宅周辺の地理が頭に入っていないゆえ、バスに乗るにもわからない。タクシーも考えたが、全然通りかからない。仕方がないので、古代の通貨よろしく転がして歩く。大通り沿いで巨大な段ボールを転がして歩く女、夜中に見たら妖怪か何かだと思われかねない風貌だった。

ヒィヒィいいながら休み休み歩いていると、アパートのベランダで煙草を吸っているおじいさんと目が合った。すみません変な姿を晒して。嬉しい日で舞い上がってしまったんです。恥ずかしさのあまり急いで立ち去ろうとしたら、上から声をかけられた。

「どこまで行くの?」

「あ、……○○の少し先までです」

「ちょっと待ってて」

なに?!?!
「東京は冷たい街」と言っていた、母の言葉が蘇る。一体なにが起きるというのだろう。逃げ出したい気持ちを抑えて待っていたら、おじいさんが自転車を押して現れた。

「ちょっと貸してごらん」

そう言ってわたしから段ボールを受け取り、荷台にクルクルと紐で括る。ピッタリと括られたそれは安定していて、自転車で押すとスイと進んだ。

「サドルまで隠れてるから乗っては行けないけど、押していくといいよ」

「え、そんな!お借りするなんて……!」

「終わったらそこの駐輪場に停めててくれたらいい」


お礼がしたいので部屋番号を教えてくださいと言ったら、そんなのはいいよ〜とあっさり、手をヒラヒラ振りながらその方は去って行ってしまった。
申し訳ない気持ちと、それ以上に何倍も楽になったことにありがたい気持ちと。恐縮しながら自転車をお借りして、そのとき持っていたお礼になりそうなものをありったけ袋の中に詰めて返した。お礼をするにも、近くのコンビニの場所もATMも分からないような状態だったのだ。本当に有り難かった。

そんなふうに、いろんな道ゆく方のやさしさに助けられて過ごしている。
上京した日に「どこまで行くの?荷物重いでしょう」とおばあちゃんが声をかけてくださることがあった。荒天の日にバス停で待っていたら、おばあちゃん方と仲良くなったこともある。夢を叶えたこの場所で、仕事を通して関わる方々も皆良い人ばかりだ。「担当してくれたのがあなたで良かった」と言ってくださる、手の温かさといったら。



夢を叶えた東京は、ちっとも冷たい街なんかじゃない。あたたかなこの街が、わたしは好きだ。







この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?