すもも

内緒だけど、時々スキップしてます。

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最近の記事

いつもなんどでも

「かなしみは数えきれないけれど その向こうできっとあなたに会える」 「千と千尋の神隠し」のエンディングのうた。 聴くとなぜだかクリープハイプのことを思い出して泣きたくなる。 母が緊急入院。病院からの帰り道、車で「社会の窓」を聴きながら、「そうきたか。」と独り言を言った日のことを今も覚えてる。 悲しんでる場合じゃない、がんばるしかない、と思えたのは、あの日の「社会の窓」のおかげだったと思う。 いつもよりたくさん母と話せたそれからの日々、そして、そのさなかに、初めていったク

    • 「夜にしがみついて、朝で溶かして」ライナーノーツ

      jwave sparkで、尾崎さんに命名してもらったスナックの名前「スナック人生(かぜ)」。開店予定はまだないけれど、一年前、看板のデザインをお願いして、ここに開店!っていう気持ちでnoteを始めました。クリープハイプを好きにならなかったら、きっとnoteなんてやれなかった。ことばであそべることを教えてくれた尾崎さん、本当にありがとうございます。もっと上手にあそべるようにがんばります! 1料理 喧嘩しててもなんか疑っていても、いっしょにご飯を食べる。夫婦ってなんか変だ。結婚

      • ラブレターfrom湯河原

        ラブレターを書いたこと、たぶんない。 たぶん、ないと思う…。 紙では、たぶん、ないと思う!!! 母から父への結婚前のラブレターが、先日見つかりました。寝室のカウンターのハジの方に挟めてあったらしいので、病に伏していた父がおそらく時々こっそり読んでいたと思われる。 湯河原に仕事の研修で行っていた母が、早く帰ってあなたに会いたいと、ポストカード4枚にわたって綴っていたそれは、実家を片付けに来ていた妹により発掘されました。 晩年、初恋の人と同窓会で会って喜んでいた母はたぶん、

        • 父のこと

          酒と野球とボランティアが大好きで、曲がったことが大嫌いだった父は、何ひとつ私のタイプじゃない。職場に、お父さんが理想の人だったって言ってる人がいるけど、嘘だろって思ってる。 父がまだ働いていたころ、仕事帰りに一杯やって、昔のマスオさんみたいに、寿司の折箱や、焼き鳥をぶら下げ、千鳥足で帰って来ることがよくあった。 酔っ払いはうるさくて嫌だったけど、お土産は美味しかった。最近はマスオさんだってそんなことしないよね 笑 最期にみんなで北海道に行きたい。 新幹線で函館に行きたい。

        いつもなんどでも

          母と煙草

          3年前、母の日に母と一緒にスーパーに行った。見たいものがあるから、別行動しようと言うので、離れて買い物をしました。 帰りにホームセンターで、母の欲しい椅子を買って、組み立てて、母も喜んで、普通のいい母の日。 そして、翌週、私は母にとって別の意味で、いい母の日だったことを知ることになります。 次の週、母のところで煙草の吸い殻をみつけた私は、それまで母が煙草を吸っていたことを全く知りませんでした。 あの日、スーパーで、母が別行動して買いたかったものは煙草だったんです。 母

          母と煙草

          台湾に行った。

          今年、台湾に行った。 1月1日出発。 嫁として、お正月に家を空けるなんて何事?っていう思い込みは、だんなが休めるのは一年でここしかないよっていう理由であっけなくクリア。 車の中で聴いていたラジオ。 リーマントラベラー東松さんが、会社に勤めながら、毎週末、海外へ出かけているという話。 私はとっくに切れていたパスポートをとりにいくことを決めた。 その時の気持ちを書いたメールが、ラジオで読まれて、だからその時のラジオも、旅の一部。 仙台から飛行機で飛び立ちました。 台湾の地下

          台湾に行った。

          イマジン

          冬の空 薄い水色 今年の夏のクリームソーダ ほろ酔い×スーパーカップ 夏の日の思い出 冬の青空を見た私は、数秒後、だいぶ昔の夏の海のことを考えていました。 頭の中のタイムカプセルとどこでもドアすごい。 東京の大学で一緒だった新潟出身の友達と、山形出身の私は、夏休みにそれぞれの実家の中間地点の海で合流しました。 閑散とした田舎の海水浴場は、子供の頃に毎年家族で行っていた海。 私たちは、現地で知り合った地元の男子高校生3人と、昼は泳ぎ、夜は花火をしました。 ひと夏のただの思い

          イマジン

          袋とじ

          袋とじが好き。 見えないから、いろんなことを想像したくなるところが好きです。 最近思うのは、人間にも袋とじがあって、それを開けられるのは、限られた人や限られた時なんじゃないかってこと。 限られた人のこと 私は、あの人しか笑ってくれないなって思ったり、あの人ならこのつらいことも笑いに変えてくれるなって思った時に、それらを袋とじにして、心の真ん中くらいのページにしまっています。最近は飲み会にも全く行っていないので、袋とじは開けられないまま、10ページくらいたまりました。 限

          袋とじ

          バブルの踊り

          オーディションを受けたことがあります。バブルの頃のこと。とは言っても、エアロビのインストラクター養成コースに入るためのオーディション。 レオタードにゼッケンで踊りました。全力です。その日、私は人生一、全力でした。 結果は合格。しかし、教えるより教わりたい自分に気づいてしまった私は、インストラクターにはなれませんでした。 「いま途中で辞めたら、これから先ぜんぶ最後までやれないよ」 尊敬するインストラクターの言葉は、40歳過ぎて始めた生花を、続ける励みになりました。やれると

          バブルの踊り

          スナック人生(かぜ)

          4年前、夜中のラジオに送ったメール。 還暦になって、もし一人になっていたら、仙台でスナックを開きたい。場末のスナックみたいな名前をつけてください! みたいな内容だったと思います。 その時につけてもらった名前が「スナック人生」人生と書いて「かぜ」と読ます。 もしかしたらスナックをやるかもしれないと思うだけで、人生なんか楽しい。そして、せっかくだからと看板のデザインを依頼。可愛くつくってもらってなんだかとても幸せな気持ちになった。 大学生の時、スナックのバイトに誘われて、

          スナック人生(かぜ)