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山手線鮨詰め人生。生きるって楽しいね、東京。

もう暗記できるようになった山手線内回り。今は揺られるのも億劫で、乗り換えの新宿のアナウンスがかかるとドッと疲れを感じるようになってしまった。

絶対に東京で生きていくんだと覚悟を決めた中学3年生のゴールデンウィーク。

新宿、代々木、原宿、渋谷、恵比寿、目黒___

初めて見た黄緑色の綺麗な電車。電車に電子パネルがついているなんて知らなかった、ねぇ、ママ、このパネルは次の駅の表示だけじゃなくてCMとか天気予報も流れるんだね。

WEGOの短パンにフリルのついた黒い七分袖、重めのぱっつん前髪と胸下まで伸ばしたバージンヘアの私。なんでッ…….どうして!!なんでこんなに芋くさいの!!?今は当時の写真を見ただけで気が狂いそうになるけれど、ラフォーレ原宿前の交差点でピースしていた当時の私は、もう楽しくて楽しくてしょうがなかった。なぜってこの日は待ちに待ったまふまふとの握手&サイン会。スクラッチくじでまさかの当選を果たした私は、母を説得し、やっと東京の地に舞い降りたのだった。

初めての東京、大好きな推し、ああッなんて至福の東京ッ!!!山手線の音声アナウンスにいちいち興奮し、街行く人々の冷たさ、聳え立つビルの高さに心が震えた。


「お前、編集者になりたいなら東京行かんと」

当時の担任が言った。ゴールデンウィーク明けの進路相談、元々東京に憧れていた私の東京愛はさらに増し、どうせ行くなら推しがいた大学・立教大学に入ろう、それで編集者になってずーっと言葉に関わって生きていくんだ!と燃えていた。

推しも大学も、就職先も、今思えば後から上京の理由としてこじつけただけかもしれない。物心ついた時から「東京」は私が生きていく場所だと直感的に感じていた。多分、上京者あるある。「東京」って夢の土地だし、なんか、何でもできそうだし。遊ぶところが信じられないくらいたくさんあるし、ヤバい人たくさんいるし。電車は鮨詰めだし、空気は汚いし。駅にゲロが落ちていても、誰も気にしていないし。

結局立教大学には行かなかった。だけど東京の大学に進学し、もう3年が経つ。東京は夢の土地ではなく、ただの日本の一地域だった。人が生まれ、家族ができ、命が消える、普通の街。それでもまだ私は東京に恋をしている。死ぬほどキツいバイトの後やダンスレッスン終わりに乗る電車は最悪だけど、一定の速度で一定の向きに流れる人波に流されつつ乗り換え改札に向かうのは何も考えなくて良い時間だから好き。たまに、足元にレーンでもあるんじゃないかしら?と本気で不思議に思うこともあるけれど、当の私の足もお行儀よく皆と同じように動くのだから面白い。電車内でシャッター音が聞こえた時も、大抵は観光客が車窓の景色を撮っているとか、仲間内でふざけているだけの場合が多いけれど、車内に一斉に「えっ?盗撮?」って緊張が走るのも面白い。皆スマホで全然別々の情報を貪っているのにシャッター音が鳴った瞬間同じ緊張を感じるんだよ。人間のそういうところが不思議で可愛くて憎めないなーって思う。

東京に来て、世の中にはありとあらゆる人間がいるのだと気づいた。大学1年生の時、同じく上京してきた子と仲良くなった。そして、縁が切れた。(この話は一生引きずっていて、私の日記帳はもう一冊分くらい埋まっていると思う)絶対にコイツとは馬が合わん、と警戒していたギャル(なお純朴)はいつの間にか心から愛する友人になったし、アルゴリズムのお導きによって大切な人も見つけた。

そんな感じで東京での生活はなんだかんだ楽しい!
毎日何かしらが起こるこの街で、まだまだ頑張って生きたいなぁと思うのです。生きていくために、とりあえず私は就職先を探さなきゃ。大好きな東京へ、どうか私の席を残しておいてね。

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