見出し画像

思い出はひたすら眩しくて、だから、それが少し悲しいんだ

気づいたらあれから10年も経っていた。

その夜、僕たちは、これは完全に僕の趣味なんだけど、神保町のラドリオとスイートポーツをハシゴして、それでもまだ夜は一向に終わる気配を見せなかったから、

ひとまず神田駅に向かって歩くことにしたのだった。

その道中、なぜか彼女は知り合いの新宿2丁目のバーに勤める同性愛の男性の豊胸手術の話をし始めて、挙げ句の果てに、

「確かに私の胸は彼よりずっと小さいけど、柔らかさでは負けてませんよ」

と言い始めて、まあこーゆーことを割とあけすけに話すタイプとは分かっていたけれど、僕は思わずその彼女の小さな胸の柔らかさを想像してドギマギしてしまった。

横断歩道を渡りながら、行き交う人々はみなその輪郭を失って、そんな僕らの前をまるで流れ星のように過ぎ去っていった。

そして、たどり着いた神田駅前のどうってことない感じの居酒屋で飲み直そうという話になった僕たちは、店員さんにテーブル席に通された。

しかし、彼女はテーブルを挟んだ向かいの椅子ではなくて、なぜか僕の右隣にドカッと座ったから、再び僕はドギマギしてしまったのだった。

その日以降、何度、彼女と飲んだだろうか、全く思い出せない。

しかし、少なくとも自分の人生でいちばん飲んだ人であることは間違いない(そもそも僕は下戸だから基本飲まないのだ)

そして、そのたびに、さっき話したみたいな、他愛のない、というか、どうしようもない思い出だけがどんどん加算されていったのだった。

しかし、なぜだろう。

あのときのまるで万華鏡みたいにコロコロと変わる彼女の表情を思い出すたびに、こんなにも胸がキュと締め付けられる自分がいるのは。

それはおそらく東京の街に放り出されて本当はずっと途方に暮れていたふたつの孤独な魂が、ほんのいっときだけど、触れ合えたような気がしたからかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?