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こてこて大阪人の、上京話

わたしは、好きで上京したわけではなかった。大阪生まれ、大阪育ちで、旅行を除き、それまで大阪から出たことがなかった。大阪の会社で働く日々にも満足していた。仕事内容にも、生活環境にも不満なところはなかった。

婚約が決まると同時に、当時は婚約者だった夫の転勤が決まってしまい、それについていくために生活拠点を東京に移したのだ。東京へと向かう新幹線のなかでは、不安でいっぱいだったのを憶えている。

大阪でひとり暮らしをした経験はあったけれど、東京でとなるとまた勝手が違った。なにより家賃がとても高い。いろいろ探した結果、JR南武線のある駅近くのマンションを借りることになった。事情により、まだ夫とはいっしょに住んでいなかった。そもそも、その頃の彼は多忙で、あまり話し合いができなかった。

東京での暮らしは、予想に反して楽しかった。「東京の人は冷たいに違いない」。そう決めつけていたのに、出会う人のほとんどが優しく、親切だった。電車の乗り換えが難しいと言ったわたしに、わかりやすくイラストを描いてくれた方もいらした(感謝!)。

職場関係の人以外でお世話になった一人が、喫茶店のマスターだ。

わたしが住んでいた線路沿いのマンションの向かいにお店があった。バイク好きな人で、同じくバイクを趣味とする老若男女がよく出入りしていた。コーヒーが大好物のわたしもその喫茶店を利用し、マスターと話をするようになった。歯切れのいい東京弁を話す、陽気なおじさんだ。

東日本大震災のあった翌日、南武線は運休していた。線路沿いに住み、電車が通り過ぎる音や踏切の音を毎日うるさく感じていたわたしは、あたりの静けさに圧倒された。テレビは悲しく、やりきれない各地の様子を映し続けていて、スーパーマーケットは品薄だった。青森にUターン就職した大学時代の友人とも連絡がつかなかった。

どうしても一人でいられなくなったわたしは、マスターの喫茶店に顔を出した。お腹が空いたけど食欲がないと言うと、マスターがカレーライスをすすめてくれた。

「こういうときは、ごはんだよ」

正直なところ、わたしはカレーライスがあまり好きではない。子どもの頃からそうなのだ。

でも、マスターが出してくれたカレーライスは、じゃがいもがごろごろしていて、辛くて、熱かった。食道を通って胃に落ちていくのがわかるほど。それが妙に頼もしかった。わたしの思い出のカレーライス。

その後、当時東京に住んでいたわたしの妹も喫茶店を訪れるようになった。お店で恋も生まれたらしい。スツールに腰かけて恋人を待つ妹は、とてもかわいかった。

しばらくのち、京都でのわたしたちの結婚式にマスターと常連さんたちから電報が届いた。妹から式場を聞き出し、こっそりと準備して送ってくれたのだ。わたしは高砂席でちょっと泣いた。

誰なんよ、東京の人は冷たいとか気取ってるとか、言ってた奴。わたしである。口には出さないものの、そう思って東京を敬遠していた。たしかに大都会だからいろいろな人がいる。けれど、実際に出会ったのはこんなにいい人ばっかりじゃないか。

結局、東京には3年と少ししか住めなかった。夫の帰任とともに、わたしは大阪で転職した。

このあいだGoogle Mapで確認したら、マスターの喫茶店は少し前に閉店していることがわかった。店内に飾っていた、あのかっこいいバイクはどうなったのだろう。

今年の初め、単身で東京に1泊した。久しぶりの表参道も六本木も素敵だった。また行こうと思っている。「なかなか行けないけど、東京だいすき!」、ごりごりの大阪人にそう言わしめるに至った東京暮らしとそれを見守ってくれたあたたかな人々に、心からのお礼をお伝えしたい。

ありがとうございました。

#上京のはなし

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