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新考古学:半世紀前の1974年における福岡人の行動に関する考察

これまでのあらすじ
 声優の田中敦子さんの逝去は、彼女が演じる『攻殻機動隊』の草薙素子少佐や、『ジョジョの奇妙な冒険』のリサリサのファンである私にとって、非常にエモい気持ちを抱かせた。

 お題の『上京のはなし』を盛り上げるためには、出身地が非常に重要です。例えば、神奈川県横浜市や埼玉県川口市のように通勤電車で簡単に通える場所からの上京では、特別なエモさは感じられません。

 エモさを際立たせるには、東京から適度な距離が必要です。なぜなら、沖縄県や北海道のように飛行機で簡単に東京に来られる地域や、愛知県名古屋市のように新幹線で2時間程度で来られる場所では、エモさに欠けるからです。

 そのため、東京の上野駅から連想されるエモい出身地としては、青森、秋田、岩手の三県が挙げられます。これは石川さゆりの『津軽海峡冬景色』の『♬上野発の夜行列車降りた時から~ 青森駅は雪の中』の一節を聞くだけで、瞬時に物悲しいエモい気持ちになれることからも明らかです。

 意外に思われるかも知れませんが、東京駅から連想される西日本側のエモい場所は、実は『よへい隊長』の出身地であり、『日本のリバプール』とも称される福岡県です。

『日本のリバプール』の概念を理解するためには、イギリスのリバプールを知る必要があります。リバプール・サウンド(Liverpool Sound)は、1960年代にリバプールを拠点とした音楽シーンで、ビートルズやジェリー・アンド・ザ・ペースメイカーズなどの代表的なバンドが、ポップ、ロックンロール、R&Bの要素を融合したキャッチーでリズミカルなサウンドを特徴とします。

『日本のリバプール』と称されているのが、福岡県の天神にあるライブ喫茶『照和(しょうわ)』です。この場所は1970年代、福岡の若者たちの文化的中心として機能し、フォークソングを通じて反戦や社会批判のメッセージが広まりました。特に、武田鉄矢の海援隊や長渕剛、チューリップなどがこの思想を反映し、全国に影響を与えました。

 福岡の反戦思想は、日本のフォークソング運動の原動力となり、その後の市民運動や思想形成に大きな影響を与えました。この運動が日本の政治、文化、平和運動の基盤に寄与したことは歴史的に評価されています。

 ライブ喫茶『照和』は1970年に開店し、海援隊、チューリップ、長渕剛、甲斐バンド、CHAGE and ASKAなど多くの有名ミュージシャンがデビュー前に活動していた場所として知られています。『照和』は若手アーティストの登竜門的存在で、福岡の音楽シーンを象徴する場所でした。

 福岡県出身者には、井上陽水のように『照和』とは関係なくても、現在でも日本の音楽シーンに強い影響を与えている歌手や作詞家、作曲家が非常に多いです。

もし福岡県人が1980年に上京していたら

 福岡人に大きな影響を与えている漫画やアニメには、福岡県久留米市出身の松本零士の『男おいどん』、『宇宙戦艦ヤマト』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』、『銀河鉄道999』、『Queenエメラルダス』、『新竹取物語 1000年女王』などが挙げられます。これらの作品の中でも特に上京のエモさを語る上で外せないのが、『銀河鉄道999』です。当時の福岡県の青少年の多くは、『ブルートレインに乗れば、機械の体をタダでもらえる東京へ行ける』と信じていたはずです。

機械の体をタダでもらえる東京の想像図

 一方で、『ヤマト』、『ハーロック』、『エメラルダス』はどれも宇宙船の話なので、船で上京するという夢もあったでしょう。

 このようなブルートレインかフェリーで上京する二択を考える際に、フォークソング・ニューミュージック原理主義者の福岡人が考えることは、以下の三点であった可能性が高いです。

一、チューリップ『心の旅』(作詞・作曲:財津和夫)1973年から、『♬あぁ~明日の今頃わぁ~、僕わぁ汽車の中ぁ~』というフレーズを引用し、ブルートレインでの上京ルートを検討していたでしょう。

二、一方で、風(KAZE)やイルカの『海岸通』(作詞・作曲:伊勢正三)1975年からは、『♬あなぁたがぁ船を選んだのぉわぁ~、私えのぉ思いやりぃだったのでしょうかぁ~』を連想し、船に乗って未知の大都会東京を夢見て上京していた可能性もあります。

三、最終的には、時間が掛かり過ぎるフェリーよりも、現実的で旅情あふれるブルートレインを選ぶ決定打となる音楽は、ゴダイゴ『銀河鉄道999』(英語作詞:奈良橋陽子、日本語作詞:山川啓介、作曲:タケカワユキヒデ)1979年のはずです。

 東京・福岡間の新幹線が開通したのは1975年(昭和50年)なので、新幹線という選択肢もあったかも知れませんが、新幹線では『銀河鉄道999』的な旅情が満喫できないため、ブルートレインで上京するのが最もエモかったでしょう。

結論:時代を超えたエモさの方程式

 エモい上京体験には、適度な距離感と、それにふさわしい音楽と物語が不可欠です。福岡からの上京は、この条件をすべて満たしていたからこそ、多くの若者にとって『エモい冒険』だったのでしょう。今では新幹線や飛行機で簡単に行き来できる時代になりましたが、当時の福岡人が感じた『ブルートレインに乗って、遠い東京へ行く』という夢は、時代を超えてエモさの真髄を物語っています。

 人はいつの時代でも、旅にロマンを求め、その距離と手段に『エモさ』を見出します。そしてそれこそが、以下の上京における『エモさ』の方程式なのです。

E = (D × T × M) + C

E = エモさ(Emotion)
D = 距離(Distance): 生まれ故郷から上京先までの物理的距離
T = 時間(Time): その移動にかかった時間や、上京してから経過した時間
M = 音楽(Music): 上京時やその後の生活で聴いている音楽の感情的影響度
C = コンテキスト(Context): 個人の過去の経験や感情、その時の状況などがもたらすエモさの補正項

 この方程式は、エモさが距離、時間、音楽という3つの要素の掛け算によって決定され、それに個人の文脈が加味されることを表しています。

武智倫太郎

#上京のはなし #田中敦子 #草薙素子 #攻殻機動隊 #ジョジョの奇妙な冒険

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