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天職である仕事と大好きな故郷を手放し、結婚するために上京した話。


2018年3月、結婚を機に上京

6年間の地元香川県での教員生活にお別れを告げ、上京を決めた。

それは同時に、大好きな故郷である、香川県の小豆島を離れると決めた瞬間だった。

大好きな故郷での学校の先生という夢だった仕事。充実した毎日。仕事を支えてくれる実家の両親との生活。大好きな教え子たちと、お世話になった同僚の先生方。

小豆島という山と海に囲まれた、大自然。

朝太陽に励まされて不登校の子どもを起こすために眠い目をこすって車に乗ったあの日。

夜に星を見ながら職場の先輩に聞いてもらった、仕事の悩み。

たまにふらっと卒業した教え子が学校に来てくれることの喜び。

教え子たちの活躍を見に、遠い広島や神戸まで応援に行って大きな声で応援した日。

ときに涙を流しながら、ときに喜びを分かち合いながら一緒に肩を組み合って働いた、職場の同志でありライバルであり、大好きな仲間の存在。

情熱を燃やしながら、心血を注いで「学校の先生」として働いていた、あの6年間。

私のすべてを費やした、充実した大好きな仕事を手放し、大事な家族から離れ、人口26000人の島から、500km以上離れた大都市東京で結婚をする。

「島の宝やのに、もったいない」
「島で良い人おるんちゃう?」
「先生は、島が合っとるよ」

そう言ってくださる方も実際にいた。

でも私は東京に行き、知らない世界で自分を試したかった。世界で一番大事なパートナーと結婚し、一緒に家庭を築きたかった

これは私が大好きな小豆島という故郷を離れ、東京で夫婦で、家族をつくる物語である。

結婚をすると悩む日々

2017年。結婚をするかどうか迷っていた私がいた。
東京は遠い、しかも西日本にしか住んだことのなかった私にとって、東京は未開の地。怖さもあり、踏み入れられない感じもあった。

絶対自分は東京に住むことはないだろうと思っていた。

パートナーは大学からの付き合いだ。もうすでに9年ほど付き合っている。東京と香川の遠距離をするのは至難の技だ。

実際この当時6年の遠距離が続いていて、月に1回香川または東京、中間地点で会うという生活だった。

「本当にこの人と結婚して大丈夫なんだろうか・・・」

通勤中、車の中で毎日悩む日々だった。でも当時一緒に住んでいた親には相談できるわけもなく、ずっと悩む日々が続いた。

結婚をすると決めてから

結婚を決めたのは、2017年の3月。ちょうど結婚する1年前。これはパートナーと相談してだったし、自分の中でもGOサインが出た瞬間だった。

というのも同僚の50代の先生がふとこんなことを言っていたのを耳にした。

「私今からでも、青年海外協力隊に行きたい。」と。

内心、「え、こんな年齢からでも挑戦したいってすごすぎる。20代の私が今挑戦しないで、どうすんだ・・・!」と。この瞬間私の東京行きが決まった。

結婚を聞きつけて、いろんな人が会いに来てくれた。初任の学校の先生が高松から会いに来てくれたり

教え子が一緒に島めぐりをしてくれたり

香川での結婚のお披露目パーティーもさせていただき、お世話になった方々をお招きさせていただいた。

嬉しい便りの反面、島を離れるのは大きな痛みが伴った。

私の誕生日に「これが最後かもね」と両親と泣きながら食べたケーキ。

当時中学校3年生を担任していた私。教え子たちの卒業とともに、自分の島生活の卒業が近づくと思うと、時折寂しさにふける瞬間。

「この夕焼けも、山も、島の人達の温かさも、もうこんなあったかい環境を捨てて、何も挑戦しなくても良いのではないか。なんでパートナーが島に来るという選択肢はないんだろう」と憤る日もあった。

島を離れる当日が来た

島では見送りの儀式として、島を離れる方を紙テープで見送るという慣例行事がある。

2018年3月27日、当日。本当に多くの教え子や、お世話になった方々が見送りに来てくれた。そこにはもちろん家族もいたし、高松港で見送りにきてくれた人たちもいた。

心から嬉しかったし、同時にすごい悲しかった。別れたくなかった。本当は島でもっと働きたかった。家族とも一緒に生活したかった。

でも引き裂かれるような思いを感じるままに、「お世話になった島の人達、島のためにも、私は東京で幸せになるんだ!」と心に決めた瞬間だった。

東京までの旅路はおおむね7時間ほどかかる。朝に島を出ても、着くのは夕方か夜だ。

上京した夜。

新幹線の中では「やっと、パートナーとの新しい生活が送れる!」と嬉しく思っていたように思う。でも内心「本当に東京でやっていけるんだろうか・・・」と不安も渦巻いていた。

だって、名字も変わる。仕事も変わる。働く場所も、住む場所も変わる。何もかもが変わる。

なんだか自分のアイデンティティまで変わってしまうのではないかと、不安にも思ったし、同時に「なんとかしないと」という気持ちにもなっていた。

東京生活暮らし、1年目

慣れるのに、必死だった。言葉の壁、人混みの壁、人付き合いの壁、仕事の壁。いろんな壁が次々と眼の前を通り過ぎていった。

特に人との距離のとり方に苦労した。島は本当に距離が近く、みんな兄弟みたいな関係性だったのに対し、一歩引いて距離を置いたコミュニケーション(のように感じていた私)は本当になれず、しばらくは自分の個性を見失っていた。

誰にどこまで心をひらいて良いのかわからず、友達もなかなか出来なかった。

島に帰りたい、と思うことも一度や二度ではなかったと思う。

でも、幸いパートナーがいて、一緒に支えてくれていたからこそ、なんとかここまで来られたと思う。

またもちろん東京だから出来たこともたくさんあった。刺激的な毎日。アメリカやスペインにも旅行に行ったし、こんな人生島の先生をしていたらきっとなかっただろうなっていうこともたくさん経験した。

東京生活暮らし、6年目の今

すっかり東京生活が板についた。電車もスムーズに乗れるし、東京での仲間も増えた。どこから出て良いかわからず迷子になっていた東京駅の乗り換えも、すぐにできるようになった。

また今は子どもも生まれ、家族が増えた。6年間の中でいろんな変化が家族に起きた。

私は学校での先生の仕事を辞めて独立した。引っ越しも2回した。主人も2回転職した。コロナウイルスという思っても見なかったような状況にもなり、島との往来が遮断されていたときもあった。

あのとき「島を出て結婚する」という選択肢じゃない選択肢だったら、今頃どうなっていたか。

それは分からない。島で変わらず先生を続けて、バリバリと島の子どもたちのために力を注いでいたかもしれない。それはそれで面白い。

でも今はこの選択をして良かったと思っている。おかげでいろんなことがありながらも、大切な家族と日々楽しく生活できている。

でも、どうしても諦められないことがある。どうしても島のために仕事がしたいのだ。方法はまだわからず、道半ばではある。

私はやはり故郷である香川県の小豆島が好きだ。あの自然と瀬戸内のあたたかさ、人の優しさが好きだ。

島のために、島と行き来しながら東京で今日も暮らしていく。

#上京のはなし

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