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雪虫の舞う庭で。



春。
猿が小脇に野菜抱え森へ帰る田舎から上京した季節。


東京。
空の星は見えないと聞かされていたけど見えた都市。


部屋。
親のすねを齧りつつ初めて手にした自分だけの空間。


引越。
2tトラック借り親戚総出で僅かな荷物運び込む作業。


家具。
私の意思などはないと父親が勝手に買い揃えた静物。


円卓。
丸い緑のサイドテーブルは大き過ぎ居場所奪う存在。


なんだよ、これ。しかも、広がるじゃん。


父親。
癇癪持ちで、乱暴で、見栄っぱりで、声がでかくて、やることが大袈裟で、繊細さの欠片もない生物。


こどもの頃から大嫌いだった。


命日。
父は死んだ。突然死んだ。大動脈瘤解離という病で殆ど即死だった神無月。


亡骸。
庭で倒れた父逝きて三日後に牛乳配達員により発見。


訃報。
叔父からの連絡で帰郷するも事件性の有無検分のため回収された遺体。


雪虫。
父の居なくなった庭で私を待っていた雪の様な翅虫。


見慣れた庭。
見慣れた庭の変わらぬ風景。
見慣れた庭の変わらぬ風景とそこから見える景色。

雪虫の舞う庭。

歳月。
父の死から数年、上京してから四半世紀になる時間。


まあるいみどりのサイドテーブルはまだある。
上京したあの頃と変わらずにわたしの部屋の居場所を奪っている。



それを見る度に父のことを思い出す。
雪虫の舞う庭で亡くなった父のことを。


夏が終われば気の早い雪虫が舞い始める。


それを見てわたしはまた思い出すのだろう。
雪虫の舞う庭で亡くなった父のことを。


いまは、ただ、
無性に父に会いたいとおもうのです。



このような未来が来ることを、あの春のわたしは想像だにしていなかった。




_亡き父と丸い緑のサイドテーブルに捧げる。


ー了ー


【新ジャンル|これまでにない形式・分類】
という意味合いで書いた。

ただ、
個人的に感じていることを書かせていただくと、形式や分類は人間だけがする奇異な行為だとおもっている。

概念だからだ。

わたしたちの都市には、概念の森が存在している。それこそ、そこかしこにある。
概念の森には言語の木が生え、その木には言葉の葉が繁茂している。

文字である。

文字は記号である。記号はデジタルである。
一方で、人はアナログである。アナログは波である。
だから、人は、デジタルとアナログを、その心と身体、内に抱えて生きている存在と言える。

矛盾した存在である。

命そのものがすでに矛盾を孕んでいるからだ。
量子力学では、その矛盾は説明されている。
が、その量子力学は、矛盾して孕んだ人にやって産みされたものである。
結局、どこまでいっても、わたしたちには命というものを説明することはできない。

宇多田ヒカルは言う。

わたし、ジャンルって苦手です。コードとかよくわからないんですよね。だから、なんか、こう鍵盤を鳴らしてみて、これは何だ?みたいな。(中略)だって、そもそも、人間のなかって、分類できないものがぐちゃぐちゃにあるものだとおもうんです。

@だいたい宇多田

また、藤井風は言う。

曲を作ることは、空にクラウド(雲)みたいなもんがあって、そこに、これまで作られたもんとか、元々あるもんとかが全部あって、そこから、こう、ひとつ、自分に降ってきたものを借りてるだけ。で、また、こう返してる。(以下、略)

@だいたい風

同時代に、同じ感覚を持つ素晴らしいアーティストがいることは嬉しいものだ。

わたしもそのように感じてきた。
自分の心と身体とそこに宿るたましい、つまり命を見つめ、他者のそれらと向き合い、感じたものだ。

わたしたちは、確かに、一人ひとりの顔や形・姿が違うように、心の形も違う。

しかし、顔や形を作るたんぱく質が同じように、形の異なる心を作る構成物もまた同じであるとおもう。意識しているかどうかは別として。

聖人君子だろうと、蕩児愚人だろうと、大統領だろうと、犯罪者だろうと、その他大多数のものであろうと関係ない。

宇多田ヒカルのなかにあるものは、藤井風のなかにもあるし、藤井風のなかにあるものは、わたしのなかにもあるし、わたしのなかにあるものは、あなたのなかにもある。

これは、詩でも、散文でも、随筆でも、都々逸でも、川柳でも、歌詞でも、評論でも、文芸でも、どう捉えてもらっても構わない。

ただ、あなたのなかにあるかもしれない、わたしのなかにあるぐちゃぐちゃ蠢くものを、文字を使って言葉にしただけのものだ。

忘れないで欲しい。
いま読んでいるあなたが目にしてるものも、ただの文字に過ぎないということを。

デジタル信号に変換されて、光ファイバー網によって伝達され、あなたの手にしているスマホで表示された記号以上でも以下でもない。

たとえ、わたしの言葉が、この記事が、この文章が、あなたの心に届き、なにかを動かしたとしても。

忘れないで欲しい。
わたしはここにいる、あなたはそこにいる、この星のどこかにいる、確かに生きている、ということを。

そして、忘れないで欲しい。
そんなわたしとあなたの身体のなかには、真っ赤に燃える赤い血が、一瞬でも止まることなく夜空を駆ける流れ星のように、絶えることなく流れているのだということを。

_流星群と亡き魂降り頻る盆の終わりの夜に。


✏︎この記事に関連する記事は、こちら。

文字中心のやり取りの場だからこそ、気をつけたいこと、忘れて欲しくないことについて書いています。

微炭酸くらいの刺激がありますので、ドキッ、とされる方々もいるかもしれません。笑。



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