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#想像していなかった未来

挑戦や努力から学んだことや、昔の自分では想像できないいまの自身の姿など、あなたの「想像していなかった未来」ついて教えてください! 11月27日まで 【賞】グランプリには10万円分のAmazonギフトカードなど、合計10名にプレゼント!

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  • マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

参考作品

参考作品

マイナビからのメッセージ

マイナビは、「一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。」をパーパスに掲げています。
マイナビは皆さんが未来へ向かうときの「ナビゲーター」でありたい。
だけどそもそも「皆さんが見たい未来って、どんなのだろう…」そんな疑問が浮かびました。
未来は誰にも予測できないものかもしれませんが、少なくとも怖いものだとは思いたくない。
未来に対して不安ではなく期待を抱くようなきっかけになれば、とテーマを考えました。
過去の自分が想像していなかった未来に今立っている自分を見てみると、
この先の未来も何でも乗り越えられる気がしないでしょうか?
この先が楽しみになるような、そんなコンテストになればうれしく思います。
みなさんの作品を、心からお待ちしております。

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マイナビ×noteで、投稿コンテスト「#想像していなかった未来」を開催します!

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 つい先日、選挙に行ってきた。  大学進学と同時に東京に行っていたので 地元で選挙に行くのは初めてだ。  投票所は僕が小学生の頃に通っていた母校だった。  小学校に行くのは約18年ぶりになる。 少し補修されている部分もあったがほとんど何も変わっていなかった。  なんだか懐かしい気分になって、投票を終えてから窓から教室を覗いてみたり校庭の遊具で軽く遊んだりしてみた。  一緒に来ていた妻に「この鉄棒で豚の丸焼きという技をよく披露していたんだ」「この滑り台で頭から滑ったら

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光を見つけた話

18歳。高卒で就職の道を選んだ私は、社会の厳しさに揉まれていた。 正社員として入社した大きな洋菓子会社の研修はとても手厚く、お辞儀の角度から生クリームの絞りまで教えてくれた。 今思えばとっても楽しい仕事内容だったのだが、18歳の私にはまず”毎日働く”ということが既に苦しく、半年経たずに泣きながら退社したのだった。 そこからいくつかの転職を経て、なんとか毎日働くことには慣れたと思ったその頃、ずっと女手ひとつで育ててくれた母が亡くなった。 最後の親が亡くなるってとても大変

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究極の私信

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こんにちは、シズカです。 2024年3月に会社を辞めて、独立しました。 これまでも転々としてきたのですが、これまでは「研究キャリアの中」で「サイエンティスト」という強みを活かして仕事してきました。 しかし今回は、違います。これまでいた「研究の世界」からエイっと飛び出し、「未知の世界」へ向かっています🕊️ これまでの経緯と、飛び出した理由、今の想いを綴ります。 「やりたいことがない!」 とにかく辛かった学生時代 高校生の頃、「進路」を人一倍悩みました。 何故悩んでいた

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※この記事は、私の起業記念note二部作のうちの第一部(ポエムの部)です。第二部では事業にかける思いを真面目に綴る予定です。 起業します。突然ですが、この度キャディ株式会社を退職し、起業することになりました。 提供するのは、企業向けのDX推進サービスです。 私は10年以上にわたるプロダクトマネージャーとしてのキャリアを一旦ここで終えます。 もちろんプロダクト開発のバックグラウンドは私の強みですし、今後も時にプロダクト開発をすることもあると思います。ただ、「プロダクト開発

ついに「YouTube」進出🥹──担当本についた「Amazonレビュー」にアンサーしてみた!

こんにちは! 三笠書房の5年生編集者です!! 唐突ですが、 YouTubeをやるのが、 ずっと夢だったんです〜🥹著者さんが発信しているYouTubeをいつも拝見しているうちに、 「自分もやってみたい!」という思いがどんどん大きくなっていきました🥹 その思いがあふれてついにやってみました!題して、 自分の担当本についた「Amazonレビュー」に、アンサーしてみた!書籍編集者にとって、自身の担当本にAmazonレビューがつくことほど嬉しい&勉強になることはありません!

日本で死んだ顔をしていた私が、インドに行って人生が180度変わった話

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“敗者の哲学”の果てに🇨🇿チェコ版『巨人の星』マレク・フルプのバットに託された野球小国の未来図⚾️

星飛雄馬?星一徹?どちらが『巨人の星』のスパルタ親父で、どちらが火の玉目玉っ子ジャイアンくん本人なのかさえ教えてもらえないアンチ巨人軍・アンチ鉄拳制裁の温かい中流家庭で、僕はかなりチャランポランに育った。 『ドカベン』『一発貫太くん』『名門!第三野球部』辺りに、大いなる未来のビジョンを描かせてもらった少年時代である。 一方、去る9月25日、晴れて讀賣ジャイアンツとの育成契約にサインしたチェコ共和国の主砲、マレク・フルプは、ひょっとしたら星家のような厳しい環境の下、英才教育を施

あんなに稼ぎたかったのに、専業主婦化してる。

個人的に仕事をくれる先輩がいる。 仮にその先輩をAさんとするが、彼女が昨年のある日突然「広告用の動画を作ってほしい」と連絡をくれた。 喜んでその仕事をこなしていたら、Aさんが、マーケティング会社経営のBさんという男性を紹介してきた。AさんとBさん2人が組んでやっている仕事の手伝い(反響営業の電話)が今の私の収入の柱だ。 ……柱などと言うと太そうな印象を与えてしまいそうだし、冒頭のビッグマウスが恥ずかしすぎるので早めに白状すると、私の今年の年収は45万円である。笑 まも

愛する夫に、恋人を。

夫に、恋人をつくろう。 私たち夫婦が見出した、答え。  私たちは互いに、信頼しあっている。 ただ性的な欲求のバランスが、取れない。 結婚後、ほどなく妊娠し (妊娠が発覚したのは着床から5ヶ月後、おかげで妊婦生活は体感半年)、 生まれたと思ったら生後2ヶ月で心臓の手術、 退院、 保育園、 仕事復帰、 引っ越しと駆け抜け 2人きりの生活はおよそ2ヶ月の私たちが やむなく先送りし続けてきた問題だった。 娘が3歳になり、 七五三を無事に終え、 さてと夫婦 顔を見合わせて 久方

時代を読む文法

11月最終週。 車の中も寒くなり、 朝は膝掛毛布を用意するようになりました。 体調第一。 腸を大事にし、免疫を高めていきましょう♪ 共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨ 教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌 どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。 共育LIBRARYりょーやん、元教師です。 激動の時代。 世の中は変化し

小学校の先生からアイドルになった私

私は大学を卒業して、小学校の先生をしていた。 授業はやりがいがあって楽しいし、子どもたちの成長はこの上なく嬉しい。 大きな行事があれば、子どもたちと一緒になって全力で取り組む。 忙しかったけど、教師である日々は毎日が充実していた。 だけど。 私には人には言えない夢があった。 アイドルになりたい。 昔からアイドルが大好き。 歌やダンスは得意ではないけど、それでもステージに立ってみたい。 そんなことは叶わない。 だって私は教師をしている。 年齢も24歳。 普段から先生をし

誕生日なのでYouTube開設しました

皆さんお疲れ様です。 今日で私は27歳になりたました… いやぁ嫌ですね できるなら18歳と名乗り続けたいですが そうも行きません。 界隈では「トランスAGE」という言葉が一時期流行りました。 自認 年齢を自分で好きに決めるらしいんです 本当は27歳なのに「自分は18歳なんだ」と言えばそれがまかり通る世界にはなって欲しくないですが、実際にそういう人がいるんです こんな人間にはならないように頑張ります ということで 誕生日の日にYouTubeを解説しましたー 弱小チ

一粒のイチゴが働く理由

日本のサラリーマンは、6,000万人。 そうならば働く理由は、6,000万通りなのか? おそらく違うだろう。 わたしが10年弱日本の社会の割と真ん中の方で働いて分かったことは、周りにいた多くのサラリーマンは、「生活のため」に働いていた。 たしかにほとんどの人が「生活のため」に働いているが、それを口に出してしまうと味気ないし、何かわたしたちの毎日が無味乾燥なものになってしまう。 だから人々は、働く理由をこのようにいうのだ。 そのためにこそ働くのだ。 「そうでないと

なんでもないふりして暮らしているボクらの、このなんでもなくない日常

昨日は、明日の引越しを控えて、家族3人で新居のお掃除に出かけた。 開栓したはずの水道が出なかったりというトラブルが発生したりもしたけど、14時前にはなんとかお掃除を終えた僕たちは駅前の大型商業施設のフードコートで遅めのランチを取ることにしたのだった。 その施設は今年、開業したばかりの施設だったこともあり、フードコートにあるお店も今まで見たことがないユニークなお店がたくさんあった。 「あ!牛肉のフォーの店がある!」 無類のフォー好きの妻が思わず声を上げる。 「いいじゃ

転がる石コロ #想像していなかった未来

「道端で拾った石コロみたいな命をどう使おうか」 病院の集中治療室、モヤっとする頭で考えていた。  2019年11月、宇都宮駅近くの路上で心臓発作を起こし意識が遠くなる中、通りすがりのオッさんが救急車を呼んでくれ、病院に救急搬送されたことは解った。  救急外来から集中治療室に移動し、手術は回避できたものの、心臓は痙攣して激しく動き、酸素が脳にロクに届かない状況で 「このまま死んじゃうのかな」 と覚悟しつつ 「生き延びて退院できたら、拾った石コロみたいな命をどう使おうか、オマケ

ちいさな 本当の

私は今まで何も言葉に出来なかった ママにも先生にも友達にも このnoteは今まで全部の日記 10年前の日の事がやっと言葉になったりして 書いた日記 駅前 待ち合わせに誤差は付き物 スカートが冷たい 制服 紺色 髪色明るく見えがちだよな…。 人間関係には 誤解が付き物 あの日のママへ  あの日の先生へ  あの日の友達へ 大好きな貴方に 下手っぴな滲んで破けた日記 これがnoteに合ってるとも思わないけれど 優しい想いの場所 だと思ったから。 noteに想い

お喋りがまだまだ下手くそで、YouTubeを何度も撮り直ししてたら、こんな時間に🥹 本作りせず、こんなでよいのかな、、、😵‍💫

それは悲しみの先に待ってるんだよ

「僕、最近、サンタを信じられなくなってきたんだ」 「うん」 「それがなんだかとても悲しくてさ」 「うん、そっか…」 いつかこんな日が訪れるとは思ってはいたけど、それはもっとずっとずっと先のことだと思っていた。 いや、本音を言えば、彼なら永遠にサンタを信じるだろうとすら思っていたかもしれない。 そして、そんな僕の脳裏に、不意に 「3歳の頃、うちにサンタが来てさ。めっちゃ大きかったんだよ!」 「サンタは、たくさんの小人たちに指示して、おもちゃを全部手作りしてるんだ

最悪の失恋の腹いせに、”星野リゾート全制覇”を目指し、今49施設目のOLの話。

33歳の秋、7歳年下の彼氏に振られた。 独身、失恋、崖っぷち。人生白紙、お先真っ暗、オワタ。今からまた振り出しか、積んだ。 さらに追い討ちをかけるように言われた、元彼からの別れの衝撃のセリフ。 「ミカちゃんよりも面白いコンテンツが世の中にはたくさんあると思った。」 めちゃくちゃ腹が立った。なんだよ、私より面白いコンテンツって。悔しい。悔しすぎる。思い出しても腹が立つ。 とはいえ失恋しようがしまいが平日は週5で仕事がある。平気なふりをしながら、怒りを燃料に働いていたが

初心者noterに立ちはだかる【三作目の壁】〜継続こそが成功への鍵〜

 最近noteに投稿を始めたあなた。クリエイターとして活動していると、一つの壁にぶつかることがあります。それは「三作目の壁」です。  僕もブログを始めたばかりの頃、この壁に直面しました。特にnoteでは、一作目の自己紹介記事には多くの「スキ」が集まり、嬉しさと高揚感でいっぱいでした。  しかし、二作目を投稿すると、スキの数は一桁台。三作目に至っては、ほとんどスキがつかない状況に。  モチベーションは下がる一方で、このまま続けていく意味があるのかと悩んだものです。  実は

栗色パーマのショートカットで。

この初秋にこのヘアスタイルにしてから 楽でラクで、しょうがない。 なにがラクって、 根本さえしっかり起こしてやれば 髪をまとめなくてもサマになるんだよね (さようなら、散逸するピンやヘアゴム達)。 それまでは数年かけて、 肩より長いストレートヘアに 細かい筋を幾重にも入れてトーンアップし 自然なグレイヘアを目指していた私。 60を過ぎた母は見事なグレイヘアだから 私も、抗わないヘアケアを 考えさせられてきた結果では、ある。   ただし毎回、3時間はかかるこのメンテ。

妻がうつ病と診断されて自分が実施したこと

①はじめに 「うつ病家族」、「鬱病家族接し方」、「うつ病家族治し方」、「20代 うつ病 治し方」、「20代 教員 鬱」「うつ病効果がある」 ——何度このようなキーワードを検索したかわかりません。心の中に積もる不安やモヤモヤを解消できるような答えを探しても、なかなか見つけられずにいました。 インターネットには、うつ病を抱えている本人の体験談や、彼らの苦悩に焦点を当てた記事は数多くあります。しかし、うつ病の方を支える家族の視点からの話は驚くほど少なく感じました。 このブログ

選ばれなかった人間が、選ばれるようになるまで

私は普段モデルという仕事をさせてもらっています。 みなさんはモデルと聞いてどのような人をイメージしますか? モデルと聞いて富永愛さんのようにスタイル抜群で、海外のファッションショーに出演している方をイメージする人が多いと思います。 モデルの仕事というのは、いくつかジャンルがあります。 富永愛さんのようなファッションショーで活躍するモデル。 ファッションブランドのカタログやHPに出演するモデル。 CMや広告に出演するモデルや、イベント等でコンパニオンのような仕事をするモデルも

安西先生が三井寿になったミラクルひかるな夜

「◯◯がしたいですっ!」 東京丸の内のビルの地下一階にある海鮮居酒屋で、感極まった僕は、まるで「スラムダンク」の三井寿だった。 見た目はどちらかといえば、安西先生なのだけど…。 本当にいい年して何やってんだか、と思われるかもしれないけれど、正直、このときの僕の気持ちはめちゃくちゃ清々しかった。 実際、生まれて初めてだったからだ。 こんなふうに人に対して気遣いや忖度なく、あと自分自身に対してあらかじめ防御線を張ることもなく、 「自分はこれがやりたいんです」 という

私の幸運。岡山で八年間暮らして、書く楽しさを知った

こんな人生、想像もしていなかった(風景スケッチ1)  岡山市内を流れる旭川の上流から、黒い鳥の小さな群れが対岸へ近づいてきた。わたしはスマホのコンパスを出して東西南北を確かめる。上流は東、下流は西。これは見通しのよい場所へ来たときのわたしのクセだ。どこへいても、10歩も歩けば方位がわからなくなるスペシャルな方向音痴を自覚している。今日は旭川河川敷、ここへ来るまでに川沿いを30分も歩いてきたのだから当然西も東もわからなくなっていた。  堤防に腰かけて、地図を確かめる。対岸は

思い立ってから半年。東京で古着屋を始めます。

noteで文章を書くのはとても久しぶりですが、いまぼくがやっていることや思っていることをしっかりと残しておきたいと思い、また不定期で更新していこうと思います。 今回はタイトルにもあるように東京で古着屋(リアル店舗)を始めることになったので、その経緯や理由などについてお話しします。 「いつかやりたいリスト」という逃げ昔から洋服やファッションが好きで、学生時代から古着屋によく通っていました。店頭で服を見て試着したり、スタッフさんといろんな話をするのがとても好きで「いつか自分で

Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:Just Like a Boy〜喜びを届ける日〜

Gutsヒロのスイーツ・ストーリーへ、ようこそ!お菓子作りが生きがいでスタートしたお菓子のお店の活動を皆様と共有し、美味しく幸せなひとときとなれば幸いです。 先日の10月27日は、私のお店「お菓子工房たびこ」の第3回目の店頭販売日でした。この日を迎えるのに様々なことがありました。 Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:心の音は正直者 前回の投稿にも書いたのですが2回目の「急性腰痛症」を診断されました。徐々に良くなっていったのですが、店頭販売の週のはじめに職場で物を置こうと

きっとちょうどいいくらいの奇跡

深夜2時過ぎ 久しぶりに中途覚醒したボクは、当たり前みたいな振りをして、no+eを見る。 そして、昨日から新しい住まいの寝室となった2階の和室の暗闇に白く浮かび上がったスマホの光は、ボクにとって文字通り 光 となった。 というか、最初は、何が起きたのかまったく分からなかったくらい、 それは紛れもなく 奇跡 ってヤツでもあった。 なぜならボクは、このとき あの「バナナブレッドのプディング」のあの主人公のあのセリフを 自然とそらんじていたのだから。 夢にも

これはボクからのメッセージ【すべてのno+erの人たちへ】

1.ポスト・コンテスト・シンドローム この1週間ほど サイドエフェクト(副作用) にずっと悩まされていた。 原因は、no+eのある創作コンテストに参加したことである。 ありがたいことに僕の作品は、その中のある賞の候補に選ばれた。その「想像していなかった未来」に当初の僕はとても浮かれていたのだけど、今は、対照的にとても憂鬱なムードの中にいる。 それは、結局のところ受賞を逃してしまった、という結果のせいでもあるけれど、それ以上に、賞の受賞うんぬん以前に、それぞれのエン

人手は足りているのか仕事は変わったのか

いろんなニュースを見ていて思うのは・・・ 実際のところ 人手は足りているのか? それとも足りていないのか? その基準となるのが 有効求人倍率 有効求人倍率とは 仕事を求めている人に対して、何件の仕事があるのか R6年8月で1.2倍となっており、基本的には求職者が有利な売り手市場となり 人手不足の状況とのこと。 人手は不足しているので 景気は良いとの指標になるが、果たしてほんとにそうなのだろうか 人手が足りていないと思う理由 ・少子高齢化による 就労可能な人口が減っているこ

「学びながらお金が欲しい」というシンドイ人たち

先日、気になるポストがあった。 医学部の学生と思しきアカウントから発信された、 という内容だ。 一読した最初は、 と勘繰ったのだが、どうやら違ったらしい。 臨床実習に対して、本気で金銭的な対価が発生するものだと思っているようだ。 30半ば、ゆとり世代と言われた僕ですら頭がクラクラするような感覚を覚える。 世の中年以上の世代にはまるで異星人の発言かのように捉えられているだろう。 「おぉ、とうとう時代はここまで来たか!」 多くのオジサンたちは絶望と諦念と感嘆が相

写真を撮ることができるということ

2024年の11月の上旬に幡野広志さんの写真のワークショップその3に参加した。 初めて写真のワークショップに参加したのが2023年の2月。 初めての参加は少し不安もあったけど、思い切って申し込みをした。結果、「写真を撮る」ということがグッと身近に感じることができるようになり、カメラを毎日持ち出して撮る生活が始まった。 翌年の同じくらいの時期に写真のワークショップその2を受けた。 そこではより実践的な撮影時に意識した方が良いことや現像のコツなどを教わった。 そして今回、3

夢のない大学生がハライチに憧れてテレビ業界に飛び込む話

大学2年生の春、広島に住んでいた僕は、友人と一緒に東京へ旅行することにした。 少しでも節約をしたい大学生の僕らは、夜行バスに揺られる10時間の長旅を選んだ。 硬くて狭い座席、慣れない夜行バスでは深く眠ることができなかった。 一緒に乗っていた友人も寝付けなかったのだろう。深夜に突然、動画のURLを送ってきた。 「ハライチのターン フリートーク 神回まとめ」 TBSラジオで放送されている『ハライチのターン』のフリートークがまとめられている動画。もちろん違法アップロードであ

流行りのガジェットも好きだけど、すぐ「消費」できない「NUME FUKURO」もよいという話

世の中に「消費」されたくない。 SNSの流行り廃りの速さにそんなことをぼんやり考えることがある。 悪気なく自分だって、流行りものは猛烈にハマって、そして気がつけば忘れてしまいがちだ。 そうなってしまえば、ある日もう一度出会った時に「あの時流行ったやつね」と烙印を押してしまう。 商品を取り扱う上で、世の中の需要に素早くついていけることは、大切な能力のひとつなのだけど、一方で少しずつ長く愛される商品を取り扱いと思うことはわがままだろうか? そんな思いを知ってか知らずか、ある

缶コーヒーと兄

2つ上の兄がいる。両親からここ25年くらい「本当は優しい子なんだよ」と言われ続けている兄である。 私は兄と会話をしない。兄が中学以降、家の中で喋ることがほとんどなくなったからだ。ただ無口になっただけで特に非行に走っているわけでもなく、はたしてグレたといえるのかはよくわからない。 ご飯の時間になれば一緒に食卓を囲むし、一緒にリビングで『笑う犬の冒険』も見ていた。でも食事中に兄が自分から話し出すことは一度もなかったし、どんなにはっぱ隊やセンターマンが面白くても兄が声を出すこと

パンデミックの時はまさか今の自分がこうなるとは夢にも思わなかった

2020年から始まった数年間のパンデミック、世界中の人々が不安の中にいました。 僕も例外ではなく、パンデミックが始まった頃は毎日が不安に埋もれて息苦しく、精神的にかなり追い詰められた状態でした。 その頃、僕は約10年に渡るアナログゲーム創作活動の佳境に入っていました。 約10年間、イベントやコンテストで自作ゲームの発表や販売を続け、 2020年には以下の3つのパーティーゲームが一般向けに製品化されるところまで来ていました。 「やった~! いよいよ代表作のゲーム達が全国で一