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#エッセイ
拝啓 読書様。これが私の遊びで、続く葉脈になります。
私が貸した星野道夫の「旅をする木」を手に持ち、後輩が私のもとにやって来た。
「お返しします」
私は、この後輩を密かに読書好きにさせるように遊んでいる。遊んでいるというよりかは、遊んでもらっているのかも知れない。本に興味があると言った後輩は、彼女が読んでいるという伊坂幸太郎を好きかどうかを私に聞いてきたことが始まりだった。
私は、朝会社でわざと読書をしている。わざとだ。いつか「窓際の読書さん」
もしかしたら、文芸サークルの一員として今後登場出来るかも知れないと考えたらサリンジャーを読まずにいられなかった。
ないものねだりは世の常である。
私は、今年に入って文芸サークルに物凄く憧れを持った。それは本というものを主人公にして議論を交わし、お互いに執筆をしながら高め合う。そんな活動が存在していることを初めて知ったからだ。それも部活やクラブ活動と同じような学生生活の一部、青春の一部として、存在していたことを知ったからだ。
ここに出てくる物語は、私の記憶でも何でもないのだが、初めて心の底から他人様の青春を
恐怖から見つける自分への疑惑。続くのは、大江健三郎を再び読める日まで。
大江健三郎と古井由吉が、対談している。
大江健三郎は、「短編の文章の緊迫を復活して、日本の文学、表現の世界を再建する必要があるんじゃないか。」と言っている。
古井由吉は、「言葉がぼろぼろに崩れがちな時代ですし、これは敗戦に劣らぬ文学の危機ですね。」と言っている。
大江健三郎が亡くなって、大江健三郎を読めなくなった。どうすることも出来ない気持ちが続いていて、新潮名作選「百年の文学」を読みはじめ
スズキ ヒロに伝えたいこと
久しぶりの読書は、スズキ ヒロの『Book Cover』からにした。スズキ ヒロとは、卍丸くんだ。
彼とは会ったことはない。会ったことはないけれど繋がっている。矛盾しているが、SNS上の繋がりだけではないという、見えない繋がりに何かしらの見える物を感じる繋がりだと言いたい。
どうして、こういう回りくどい言い方をしなければならないのか。少なくとも私には、人との関係が希薄になったこの何年間で一番、
小津夜景の暮らしに触れた一日に。
「梅雨が明けた頃でいいかしら」
「梅雨が明けた頃会いましょうね」
その日、同じ時間を共有したのであろう2人から、別々に写真やメッセージが私宛てに届いたのは偶然ではないのだろう。
ふいに届く言葉にふと、その時間を想像し、想いを馳せる事が出来るありがたさを感じた。
「楽しみにしてます」と文面を一言で返信しようとしていた自分に、これはキッカケだ。逃すな。と踏みとどまった。
好きな作家が亡くなり
第8回《ふるさとと文学2022》「開高健の茅ヶ崎」に行ってきた。
12月下旬一枚のハガキが家に届いた。
ハガキは、往復ハガキの返信用で少しでも市役所の方に上手く見せようと、若干細目に書いた見栄っ張りな字がバランス悪く中央より若干下に書いてしまっていた。
僕は、そのハガキが何を意味するかは知っていたが、裏を捲る心の準備をしてからハガキを覗いた。
入場整理券〈売買禁止〉
ふるさとと文学2022~開高健の茅ヶ崎
と目に飛び込んで来た。
当選に胸の高鳴りを覚え
人の日常に、本が重なる時、何を自分に受け入れるかは、心が問われる。
📚
北村薫
月の砂漠をさばさばと
日常の物語は、暮らしにある。
誰でも知っている事だがどれだけ理解出来ているかは、わからない。
さきちゃんのお母さんは、お話を作る人です。
そんな一文から始まる母と娘の物語は、お互いに想像し合うということを楽しむ事は、日常を豊かにすると伝えてくれる。
時に、本との出会いは人との出会いと同じようなものだ。まず自分で手に取らなかったであろうこの本に触れた
生活を丁寧に感じる事は、時代を経過しても時が戻る事を向田邦子から学んだ。
📚
眠る盃
父の詫び状
先日、私の読書友達から問い合わせがあった。
「開高健と向田邦子が貸出中で借りる事が出来ませんでした」
私は先日、開高健と向田邦子はいいと講釈したばかりだった。
「時代が私を追いかけ始めたね」
その友人にこう答えた以来、なぜだか返事がない。
向田邦子。久しぶりに読みたくなった私は、読書メモを振り返った。
これは、拙い伝え方だが私が最初に向田邦子に出会い「父の詫
翻訳者須賀敦子が書いた本人の言葉は、僕に旅をさせた。
📚 #ヴェネツィアの宿 #こうちゃん
須賀敦子を手に取った。
この後、彼女が翻訳したアントニオ・タブッキを読むためにだ。
私の印象は、彼女が書く文章は、読み手に本当の意味での心情は明かさない。無駄は省く。それは、読み手自身で思考し、整理し、考えなさいと言われている気がした。
それは翻訳体験からきているものなのかどうかは、わからない。
だけど、美しい。
向田邦子の文章を読んだと
行動する私が影響を受けたのは開高健とインドの友人
📚 #開高健
裸の王様・流亡記
「行動する作家」として、名が残る開高健。
茅ヶ崎市のゆかりの作家として、市役所でたまたま目にした。
ええ。私現在、湘南在住です。
調べると、邸宅として住んでいた場所が開高健記念館として残されている。
行ってみたい。
行動する男として自称している私は、とても興味をそそられた。
物語は、おそらく「組織としての人間」を描いていると思う。
組織、会
哲学におもふ事情と、自分の事情は二乗でありたい
📚 #41歳からの哲学 #池田晶子
著者の言葉です。
死の確率を知っていますか。
100%です。生まれた時から変わらず100%です。
とかく、死生観について考えようとも忘れがちになったり、急に迫ったり、身近な人で何か起きた時に不意に隣にあることに気付くこと。
それを気づかされました。
誰にでも訪れますが、都合よく忘れてしまいがち。
人とは何ぞや。
読むべくして読む時に読むもの。