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本能寺の変1582 目次小 11光秀の年齢 2柴田勝家と滝川一益 第69~71話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 11光秀の年齢 2柴田勝家と滝川一益 第69~71話 

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 第69話
  
光秀は、現役の戦国武将。
  光秀の遠征戦。
  光秀の甲斐遠征。
  光秀は、老人ではない。
  しかし、着実に、それに近づいていた。
  中国攻めは、既定の作戦だった。
  光秀には、気力・体力・行動力があった。

 第70話
  
信長の部将たち。
  柴田勝家は、六十一歳。
  滝川一益は、五十八歳。
  丹羽長秀は、四十八歳。
  羽柴秀吉は、四十六歳。
  柴田勝家は、六十二歳で敗死。
  滝川一益にも、老人になる時が近づいていた。
  信長は、一益に、配慮を示した。          『信長公記』
  一益も、六十二歳で没。

 第71話
  
信長は、老臣たちの「知」を重んじた。
  信長は、老臣たちの体力を気遣った。   「織田信長文書の研究」
  老人とは。
  光秀は、老人の一歩手前だった。
  光秀の長女は、永禄元年頃に生まれた。
  光秀は、弘治年間に妻木氏を妻に迎えた。 



 ⇒ 次へつづく
   目次小 11光秀の年齢 3土岐の随分衆 第72~73話 


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