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音楽は世界を巡る〜カンボジアと中国編〜
数年前からカンボジア音楽をよく聴くようになった。子どもをあちこちの療育に送っていかねばならないのでその送迎時に聴いていることが多い。元々私はワールドミュージックに興味があって、外国を訪れる度に現地の店に行っては、「どんな曲が流行っているの?」「どれがおすすめ?」と店員さんに尋ねてはCDなどを購入しては聴いていたのだが、配信の時代でしかも発展途上国のアーティスト達もどんどん自分たちの作品をアップロー
もっとみる壁と卵と村上春樹(ディアスポラ)
「壁と卵」という記事の最後の方に、ディアスポラ文学(元々ルーツを持つ土地から離れて暮らす人やその人たちの文化を表した文学)について少し言及した。
子ども時代から複数のマイノリティ性を背負って育った私がイギリスに渡り、明らかなマイノリティとして生きる中で、常に惹かれ、孤独の心の支えとなってくれたのは、いつもどこかに自分が望まざるに関わらず不条理な世界でもがく人たちを描く作品だった。
その中で、今
女性活躍と特別支援とかけて助長のことわざと説く
よくある社会の通念や制度が、一見とても良いように見えて、実はより本質的な問題解決を遠ざけていると言うことがある。
私の子どもには障害があるので、教育と聞くと、途端に胸が重くなる。本当に毎日が試行錯誤で、出口の見えない暗いトンネルを無我夢中で恐る恐る歩いている気がする。障害を持つ子どもは、できることできないことがいわゆる標準から外れたところに散らばっている感じで、彼らを教えるのは本当に常に調整の要る
フェミニズムと自虐ネタ
フェミニズム的な主張が色々な場面で自然に受け止められるようになって、とても嬉しい。以前から数度、フェミニズム運動の波はあったというが、今回は著名な人たちだけでなく、かつては声を上げなかったようなジャンルの人たちも発言するようになり、裾野の広さを感じている。
が、その女性権利の拡張を訴える女性たちの一部で、年齢差別的なことを自虐的に話すことが平気に思われている節が感じられる。自分は「おばさん」だか
ヘルプマークのジレンマ
最近は目にも慣れてきたヘルプマークの赤いタグ。目を引くのにおしゃれなデザインなのがまた良いなあと思っている。私の子どもは障害を持つので、その子のカバンにつけようかな、とずっと悩んでは結論し、また悩んでは今に至る。
我が家の子どもたちがまだ乳幼児の頃、今ほど少子化の問題などは今ほど知られておらず、むしろ「スマホ育児」とか「保育園建設が近所の反対で断念」とか「昔と違って、ダメな母親」と言う風潮がピー
傷はアイデンティティ?
ある政治学者が、現代の若い人の間では、「心の傷」というのが自分を形成する大きなアイデンティティになっている、というようなことを話していた。そうだろうなぁ。
画一化教育から個性を重視、と政府は少しは教育方針を変えているようだけれど、学校では相変わらず同調圧力がとても強い。学校=権力からの抑圧だと、まだ反発心も育っていくかと思うが、それが子どもたちの間ではばかる横の関係での不文律となってしまうと、人