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壁と卵

私は大学時代をイギリスで過ごした。

当時は今ほど情報はなく、進学先を探すのも、留学の手続きも全て自分で行なった。お金がもったいないので留学エージェントにも頼まず、親は英語ができない。イギリスには知り合いも全くおらず、学校制度もまったくわかっていなかった。英語もおぼつかない中、一般の学生に混じって授業や試験を受けなければいけない。実際に入ってからあまりの自分と周りの乖離に呆然としたが、やがて少しずつ慣れて、何とか周りを見る余裕も出来た。

と同時に、ふとした瞬間に、西洋と私、そして私という人間を形造ってきた日本(アジア)の違いがまざまざと敏感に感じられるようになった。人種とか歴史的、地理的事実という表面的な違いだけではない。表面に垣間見えるささやかな違いの下には、積み重ねられてきた人々の歴史(国の歴史ではない)の系譜や連綿と受け継がれる文化の継承の根元が脈々と続いているーーその深淵を瞬間的にでも覗いたような気がして、時々はクラクラした。宗教の要素も大きい。西洋の歴史、思想、哲学は常に宗教ーキリスト教に対する葛藤と独立、または帰依と王制へのそれである。中世から残る様々な建造物、宗教画などに触れるたびに、それらを全く肌感覚として理解できない自分を意識せざる得なかった。
そして、時には目の前にいるイギリス人の同級生が、物語でも読んでいるかのように遠く、ずっと向こうにいるように感じていた。

私たち東アジアでは、洋服と言われる世界標準的な格好を普段して、一見すると何らヨーロッパの人と変わらない生活慣習で暮らしている。だから、何となく話が通じるように感じてしまって、国の違いなんて関係ない、みな地球人!と楽観的にいう人もいる。が、国の違いはともかく、私は人間と文化や環境というものはそんなに単純ではないと感じている。ものごとの感じ方、思考方法、感情の整理分類パターンなどは、自身が意識して体得したものもあるが、幼少期から育つ環境、土地、周りの影響、そしてその影響を及ぼす人たち自身が影響された人たちーと連綿と続く人々の生活からは切り離せない。それは、移住してきた人は、永遠にその国の人となれないと否定するアンチ共生主義ではなくて、イギリスや西ヨーロッパの文化の厚みに無防備にぶつかった若かった当時の私のほろ苦い感想だ。

私の話す英語は、どんなに頑張っても、代々家庭の中で常にシェークスピアが引用され、ワーズワースの詠うラッパズイセンの群生を彼の生きた地で見ながら育った人の話すそれに永遠に追いつけないだろう。私はどうやっても彼らのような思考プロセスで考えることができないかもしれない。理論や実証方法を自分たちで発見していった人たちと、明治に一気に「輸入」した日本ではそもそも学問に対する理解とアプローチが違うのではないのだろうか?

大学には神学部があり、その建物の入り口は中世さながらの木と金属の分厚くとても重い扉でできていたのだが、私にはそれが、何度当たっても超えられない西洋の文化と歴史の壁のように感じ、そこを一生懸命乗り越えようとしている自分が、敢えなく当たって潰れる卵のように感じていた。

そして、卒業後、ビザが厳しかったため、アジアに移るのだが、そこでまた大きなショックと受けることになったのだ。それは別の機会にまとめたいと思う。

ただし、この文化というのは常に流動して、新しいものを受け入れて変化をしている。伝統文化と括られるものでさえもだ。西欧も日本もどんどん他の国から来て住み始める人が増え続けて、今後、文化もダイナミックに変わるだろう。

もしかして、私にはシェリーの詩の奥深さは永遠に追求できないかもしれない。が、Hanif Kureishi (ハニフ・クレイシ:パキスタン系のイギリス人作家)の作品の切なさに感じた胸のうずきは今でも思い出す。日本でも、陳舜臣さんを始め、楊逸、東山彰良、温又柔など外国にルーツを持つ作家の作品を手に取る時、多文化が混ざり作り出す文化の醸成に私は胸を躍らせる。

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