野際

医師(公衆衛生が専門)就職氷河期世代です。 英国大学卒業後、海外各国で働いてきました

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最近の記事

スイスでコモンを考えてみる

子ども、特に障害児を育てる中で特に、胸が痛くなるのは、虐待や心中など悲しいニュースを目にした時である。痛ましいと言うだけでなく、私自身が地続きの先にいるような気がするからだ。 その中で、よく「行政がもっと何とかしないと」とか「行政に相談すればよかったのに」と言う声を聞くが、私にはどうしても違和感が芽生えてしまう。みなさん、役所に行ったことありますか?手続き、どんな感じでした? 役所は制度である、そして制度は個人にそこまでは歩み寄ってはくれない、と言うのが私の実感だ。個々の家

    • 音楽は世界を巡る〜カンボジアと中国編〜

      数年前からカンボジア音楽をよく聴くようになった。子どもをあちこちの療育に送っていかねばならないのでその送迎時に聴いていることが多い。元々私はワールドミュージックに興味があって、外国を訪れる度に現地の店に行っては、「どんな曲が流行っているの?」「どれがおすすめ?」と店員さんに尋ねてはCDなどを購入しては聴いていたのだが、配信の時代でしかも発展途上国のアーティスト達もどんどん自分たちの作品をアップロードできるようになったので、各国の曲を聴くようになった。タイ、インドネシア、モンゴ

      • 壁と卵と村上春樹(ディアスポラ)

        「壁と卵」という記事の最後の方に、ディアスポラ文学(元々ルーツを持つ土地から離れて暮らす人やその人たちの文化を表した文学)について少し言及した。 子ども時代から複数のマイノリティ性を背負って育った私がイギリスに渡り、明らかなマイノリティとして生きる中で、常に惹かれ、孤独の心の支えとなってくれたのは、いつもどこかに自分が望まざるに関わらず不条理な世界でもがく人たちを描く作品だった。 その中で、今でも思い返すたびに胸が締め付けられるような気になる本がある。村上春樹さんの「中国

        • 壁と卵

          私は大学時代をイギリスで過ごした。 当時は今ほど情報はなく、進学先を探すのも、留学の手続きも全て自分で行なった。お金がもったいないので留学エージェントにも頼まず、親は英語ができない。イギリスには知り合いも全くおらず、学校制度もまったくわかっていなかった。英語もおぼつかない中、一般の学生に混じって授業や試験を受けなければいけない。実際に入ってからあまりの自分と周りの乖離に呆然としたが、やがて少しずつ慣れて、何とか周りを見る余裕も出来た。 と同時に、ふとした瞬間に、西洋と私、

        スイスでコモンを考えてみる

          女性活躍と特別支援とかけて助長のことわざと説く

          よくある社会の通念や制度が、一見とても良いように見えて、実はより本質的な問題解決を遠ざけていると言うことがある。 私の子どもには障害があるので、教育と聞くと、途端に胸が重くなる。本当に毎日が試行錯誤で、出口の見えない暗いトンネルを無我夢中で恐る恐る歩いている気がする。障害を持つ子どもは、できることできないことがいわゆる標準から外れたところに散らばっている感じで、彼らを教えるのは本当に常に調整の要るカスタム・メイドだからだ。 「最近は、障害を持った子どもも色々な選択肢が増えて

          女性活躍と特別支援とかけて助長のことわざと説く

          フェミニズムと自虐ネタ

          フェミニズム的な主張が色々な場面で自然に受け止められるようになって、とても嬉しい。以前から数度、フェミニズム運動の波はあったというが、今回は著名な人たちだけでなく、かつては声を上げなかったようなジャンルの人たちも発言するようになり、裾野の広さを感じている。 が、その女性権利の拡張を訴える女性たちの一部で、年齢差別的なことを自虐的に話すことが平気に思われている節が感じられる。自分は「おばさん」だから、と開き直り的に話したり、もう年で本当ダメなんです〜、と自分ダメっぷりを紹介す

          フェミニズムと自虐ネタ

          5択の深ーい罪

          日本の教育制度に問題があると言われて久しい。受験、画一化、教員の働き方、などなど。。。だが、私も含めて、字面を見て「ああ、大変そうだ」とは感じても、問題の本質は何であるのか、あまり深く一般には理解が共有されていないように思う。 教育の短期的な結果は、全国統一学力テストやPISAなどで定量化できる。が、しかし、最も大切なのは、教育がほぼ不可逆な人の能力形成や人格に大きく影響して、しかもそれはずっと後になってわかることだということなのだ。これが教育の問題の本質への理解が難しい所

          5択の深ーい罪

          欲望という名の世界

          I have always depended on the kindness of strangers. 私はいつも見ず知らずの人の親切に頼ってきたわ。 「欲望という名の電車」(テネシー・ウィリアムズ作)はあまりにも強烈な映画で、初めて見た時はものすごい衝撃を受けた。今でも、作中のこの言葉が時々思い出される。この台詞を言うのは、ブランチというか弱い女性。自分で生きることができず、他者のお情けに頼ってあちこちふらふらと生きているというふうに軽蔑の眼差しで描かれる人物だ。 私

          欲望という名の世界

          ヘルプマークのジレンマ

          最近は目にも慣れてきたヘルプマークの赤いタグ。目を引くのにおしゃれなデザインなのがまた良いなあと思っている。私の子どもは障害を持つので、その子のカバンにつけようかな、とずっと悩んでは結論し、また悩んでは今に至る。 我が家の子どもたちがまだ乳幼児の頃、今ほど少子化の問題などは今ほど知られておらず、むしろ「スマホ育児」とか「保育園建設が近所の反対で断念」とか「昔と違って、ダメな母親」と言う風潮がピークであった。そういう雰囲気もあり、公共の場所でそれは本当に冷たい視線を浴びたし、

          ヘルプマークのジレンマ

          お化けと自己幸福論と憲法と

          幸福度と自己決定権はとても強く関連しているらしい。人生において、自分で決断をして、自分の足で立ってと言うことは、人間に深い充足と自信を与え、そしてたとえ失敗したり困難なハードルにぶち当たっても、納得て、かつ乗り越える強さを与えるのだそうだ。 トラウマや精神的な痛手が与える最悪なことは、その人の人生の主体性を奪うことだ。つまり、人生の主人公として歩きづらくなることだ。人生の主人公になるって言うことは、自分が自分で決められる、と言うことだ。それには、単に行動だけではなくて、物事

          お化けと自己幸福論と憲法と

          傷はアイデンティティ?

          ある政治学者が、現代の若い人の間では、「心の傷」というのが自分を形成する大きなアイデンティティになっている、というようなことを話していた。そうだろうなぁ。 画一化教育から個性を重視、と政府は少しは教育方針を変えているようだけれど、学校では相変わらず同調圧力がとても強い。学校=権力からの抑圧だと、まだ反発心も育っていくかと思うが、それが子どもたちの間ではばかる横の関係での不文律となってしまうと、人間が育つ中で、次第にいきいきしたエネルギーを絡め取られていくような気がする。

          傷はアイデンティティ?

          曖昧な日本の。。。

          映画や芝居はよく観てきたと思う。友人もやっぱり同じような趣味で一緒にいろんな作品に触れてきたのだが、ある日、まじまじと「日本の映画やドラマで出てくる人間関係、結構 "perverted" だよね」pervert とは、英語の辞書では物事の元々から逸れてしまったり、不正直な状態になっているという意味で、彼女はとても詩的な人だからそう使ったのだと思うが、何しろ私の頭のなかは?!?!。だって pervert はもっと普通に、「変質者」として使われているからだ。その時は、えーなんで?

          曖昧な日本の。。。

          「…なのに…」と「…で…」の違い

          サブカルチャーという言葉をよく聞くようになった頃から少し後の時代から、「…なのに…なんだ」という風に自分自身や他者のことを表現することが増えたように思う。前者の…と後者…は大抵の場合、一般的に対立する概念やいわゆる意外な組み合わせで、例えば「チャラチャラした感じ」だけど「哲学本好き」や、「お嬢様」なのに「ヒッチハイカー」など。個人的だけでなく、例えば芸能界での売り出し方にも「〇〇大生なのに芸人」「名門大卒なのにクラビアモデル」「医者なのに美しすぎる女性」のようなアングルで使わ

          「…なのに…」と「…で…」の違い