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欲望という名の世界

I have always depended on the kindness of strangers.
私はいつも見ず知らずの人の親切に頼ってきたわ。

「欲望という名の電車」(テネシー・ウィリアムズ作)はあまりにも強烈な映画で、初めて見た時はものすごい衝撃を受けた。今でも、作中のこの言葉が時々思い出される。この台詞を言うのは、ブランチというか弱い女性。自分で生きることができず、他者のお情けに頼ってあちこちふらふらと生きているというふうに軽蔑の眼差しで描かれる人物だ。

私も初めて観た若い時は彼女を哀感漂う人物、自分の足で立てなかった大人の成れの果てのように感じだ。見ず知らずの人の親切に頼って生きてきた、というのは女性においてはなんとも言えない惨めさが溢れていると同時に、『女性』をひけらかしてちょっとした得をしている周りの人たちのちゃっかりさも思い出され、現在までの女性の生き方を象徴する言葉だなぁと感じ入った。

でも、子どもたちが生まれ、育てていく中で、この言葉がまた胸に蘇るようになった。まったく別の意味で。ワンオペ育児で親戚家族にも頼れず、私はほぼ一人で子どもたちの世話をしてきたけれど、この時ほど、この見知らぬ他人のちょっとした親切がどれほど助かったか、感謝してもしきれない。前にも書いたが、障害児連れの私に社会はとても冷たかった。公共の場所ではちょっとしたことで怒鳴られた。子どもが電車の席でモゾモゾとずり落ちてきたのを元の位置に上がろうとしただけで、大人に怒鳴られた。一生懸命端に寄っていても、道では「邪魔だ、子ども産んだからって偉そうにするな」と後ろから怒鳴られた。海外から来た友人たちと一緒に動く際にもそういう人たちに遭遇し、どの友人たちも一様に「なんでこんなささやかなことで。。。子どもがいることが日本では社会の迷惑なのか、マナー違反なのかわからない」と日本=穏やかで礼儀正しい国という印象が壊れて、ショックを受けたようだった。国にもよると思うが、子ども連れの親を怒鳴りあげるという光景は私は見かけたことも聞いたこともない。

障害児ということで、地域ほぼ全部の園から断られ、やっと入れた自主保育系の園でさえ、周りに迷惑とPTA会の度で吊し上げられ、家の中で子どもたちに向き合うだけで大変なのに、周りは四面楚歌の毎日で、今思うとどうやって生きていたのかわからない。

だからこそ、困っているときに通りかかりの人が助けを差し伸べてくれたり、子供達をあやしてくれたりしたことの嬉しさは今でも胸が熱くなる。
助けてくれたのは、どれも見ず知らずの人、その場を偶然通りかかった人ばかりだ。だから、今、私は、気まぐれで場あたりの他者への親切が世の中を回していっている、と確信している。義務になっては苦しくなるけれど、そうではない程度に、ちょっとできる時、ふと見かけた時に、困った人をみんなで助け合っていけば良いし、ちょっとした親切をすることを皆がポジティブに積極的に実行してくれたら、こんな世の中でも、ずっと良くなっていくと信じている。

参考資料:
https://mainichi.jp/articles/20200521/dde/018/040/009000c

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