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お化けと自己幸福論と憲法と

幸福度と自己決定権はとても強く関連しているらしい。人生において、自分で決断をして、自分の足で立ってと言うことは、人間に深い充足と自信を与え、そしてたとえ失敗したり困難なハードルにぶち当たっても、納得て、かつ乗り越える強さを与えるのだそうだ。

トラウマや精神的な痛手が与える最悪なことは、その人の人生の主体性を奪うことだ。つまり、人生の主人公として歩きづらくなることだ。人生の主人公になるって言うことは、自分が自分で決められる、と言うことだ。それには、単に行動だけではなくて、物事に対してどう感じるか、どう思うか、その気持ちを自分である程度決められるということも含まれる。

例えば、急に襲うフラッシュバックが起きると、その時は完全にその症状にとらわれ、コントロール不能になる。酷い被害を受けた場所と似た風景に出くわすと、冷や汗が出たり、足が立ちすくんでいる時は自分が自分でないようだ。

「みんなやっているよ」「そんなんじゃモテないよ」「将来のお金は?」などなど、不安に突き動かされるような状況でものを購入したりする時、私たちは、果たして、本当に、自分主体で決めているのだろうか?そんな人生を生きるのは、お化け屋敷をおずおず進んで行っているようなものだ。何が出てくるか分からず、真っ暗な道を何となく歩いていっているとき、私たちは、化け物たちの動きと意思に勝手に乗り取られている。妖怪屋敷では、私たちの気持ちと時間の主人公は怪物だ。彼らの気まぐれに翻弄されてちっぽけな私たちはあっちへひゃーっと逃げ、こっちへひゃーっと逃げ惑う。お化け屋敷は、わざわざ翻弄されに行く非日常だが、もしこれが実際の毎日の暮らしで起こったらどうだろう。いつ何が来るか分からずオドオド歩き、怖さや不安が人生の軌跡を作っているなんて、不条理すぎやないか。

お化けに怖がるか怖がらないか、私が決める。それが人生の主人公になること。ちなみに、これこそが幸福の源なんだとすると、つまりこれは憲法で保障されているって言うことなんだ。憲法第13条(別名:幸福追求権)は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と私たちに語っている。

辛い過去を持つ人の間では、そもそも、人生の主人公って何?と言うところから考えて行かないといけないのかもしれないが、でも、まずは気を留めてほしい。行動の一歩手前の気持ちから、「何が怖いかはぼくが決める!!」。

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